に描かれた力士。猪名川政之助(最高位
関脇 1844年(
天保15年))。
歌川国芳の作品。]]
(最高位
関脇)のもの。]]
力士(りきし・ちからひと)とは、
相撲をする
人間のこと。厳密には、
相撲部屋に所属して
四股名を持ち、番付に関わらず
大相撲に参加する選手の総称。
相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。しばしば
関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は
大関のことを指す異称であり、現代では
十両以上の力士のことを指す。また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめて
お相撲さんとも呼ばれる。
本来の意味
相撲はもともと神前で行われ、日本固有の
宗教である
神道にもとづき神に奉納される
神事である。力士とは
四股名を持ち、神託によって神の
依り代になり特別な力(
神通力)を備え、神からの御利益のある特別な者である。具体的には四股を踏む「しこ」とは醜女(しこめ)の「しこ」をあらわし、
穢れ、邪気を祓う行為。それによりその土地に
五穀豊穣や無病息災をもたらすと言われている。また、力士に
赤子を抱いてもらうと、その子は健やかに育つと言われている。手形などは
縁起物として珍重される。力士の中で最高位の者を
横綱と呼び、全ての力士の象徴として神の依り代の証である「綱を張る」のは
御神木や
夫婦岩などと同じである。
出で立ち
実際に相撲を取る際には
廻しだけを身につけ、足は素足、上半身裸で競技に臨む。髪の毛は伝統的に髷を結っており、番付によってその形が異なる。十両以上の力士は
大銀杏を結い、幕下以下の力士は
丁髷を結う。ただし、幕下以下の力士でも十両との取組がある場合や、
弓取式を行う際には大銀杏を結うことができる。また、十両以上の力士は
土俵入りの際には色とりどりの化粧廻しを身につける。
取組や稽古以外の場での服装は素材や種類こそ違えど、外出の際には全員
着物を着ている。
序ノ口では
浴衣のような簡素な着物だが、
序二段から羽織の着用が許され、
三段目から外套や襟巻も着用できるようになる。十両からは正装である
紋付羽織袴の着用を許される。履き物も番付によって細かく規定されており、幕下以上は
足袋の着用を許されたり、三段目以上は
雪駄、それ以下は
下駄を履くこととなっている。自分の部屋にいるときなどは洋服も着る。
待遇
江戸時代には
関所を通行するには
通行手形が必要だったが、力士はその大きく筋肉質な体つきから他の者が関所破りのために力士に変装するのは困難であるとされ、通行手形がなくとも通行することができた。力士の他に、通行手形がなくても通行できたのは旅の
芸人だけであるが、芸を見せて関所の役人を納得させる必要があった。
外国人力士
高見山(現・東関親方)が外国人力士として初めて
十両に昇進、
関脇にまで到達したのを皮切りに、
小錦が大関まで昇進して人気を集め、
曙が外国人初の
横綱昇進を果たした。これに
武蔵丸が続き、
貴乃花、
若乃花の兄弟横綱の引退以後は、横綱は外国人力士がつとめており、2008年
初場所の時点ではともにモンゴル出身の
朝青龍と
白鵬が東西横綱をつとめる<ref></ref>。
野球やサッカー等の外国人選手と異なり、外国人力士も日本語を身につけ、相撲部屋で日本語でコミュニケーションしたり試合後のインタビューに日本語で答えたりする必要がある。
外国人力士の出身地
現在相撲部屋に所属している外国人力士及びかつて大相撲にいた外国人力士の出身地は次のとおり(50音順)。
脚注
関連項目
外部リンク
*
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)