歴史
一般に長城を作ったのは
秦の
始皇帝だと認識されているが、現存している「万里の長城」の大部分は
明代に作られたものである。
戦国時代から
趙などは北の異民族に備えるために長城を建設していた。また北に備えるだけではなく
戦国七雄の国境間にも長城が作られていた。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのである。この時の長城は土製であり、馬や人が乗り越えられなければ良いということで、それほど高い城壁ではなかったという。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は
朝鮮半島に及んだ。
前漢の
武帝は
匈奴を追って領土を拡張したので、長城は西の玉門関まで拡張された。その後の
五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、
北魏は南よりの現在の線に新しく長城を築いた。
五代十国時代の
936年に長城の重要な防御拠点である
燕雲十六州を
後晋が
遼に割譲し、これにより長城による北方民族の防御は困難になった。そのため、その後の北方民族・
契丹の建国した遼、
女真の建国した
金、
モンゴル人の建国した
モンゴル帝国は、難なく長城を越えて侵入し、中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれた。南方から興った中国人の王朝である
明がモンゴル人の王朝である
元を北方の草原へ追放すると、元の再来に備えるために明は長城を強化し、ようやく現在の形になった。よく「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われるが、実際は草原の中に建っている。これは元の時代に北方の草原と南方の農耕を一体とした社会・経済が成立し、明も自国内でそれを実現すべく北方への勢力拡大を行なっていたからである。そのため、北方民族も南方の農耕民族の物産を必要としており、長城沿いに交易所がいくつも設けられた。ただし、交易はいつもうまくいっていたわけではなく、北方民族側の思うとおりにいかない場合もあった。その交易を有利にするための威嚇として、明の力が弱い時期に北方民族は長城を越えて侵入を繰り返す。
明末に
満洲族(女真)が勃興し
後金を建国すると、明との間で長城の東端を巡り死闘が繰り返された。後金は明に対して有利に戦いを進めるも、名将
袁崇煥に阻まれ長城の東端の
山海関を抜くことができなかった。しかし、袁崇煥は後金の謀略にかかった明の
崇禎帝に誅殺された。その後明は
李自成に滅ぼされ、後金から改名していた
清は明の遺臣の
呉三桂の手引きにより
山海関を越え、「清」の中国支配が始まった。
現在、中華人民共和国政府は重要な歴史的文化財として保護し、世界遺産にも登録されている。世界有数の観光名所としても名高いが、地元住民が家の材料にしたり観光客へ販売したりなどで長城のレンガを持ち去り、破壊が進んでいる。また、長城がダム工事により一部沈んだり、道路建設により分断されもしている。長城周辺の
甘粛省や
陝西省は中華人民共和国でもっとも貧しい地域の一つで、当局は対策に頭を悩ませている。
2006年
4月に行われた中華人民共和国の学術団体「中国長城学会」の調査によると、万里の長城が有効保存されている地域は全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告がされた。
慣用句
日本に於いて、
1989年の
証券取引法改正で
インサイダー取引への規制が強化されたことを受け、企業の非公開情報を知り得る立場にいる引受部門と、投資家に銘柄選定のアドバイスをする営業部門の間に「情報の壁」をつくるため、両部門を異なる場所に離す、管理体制を徹底するなどの対策を施すとした証券界の自主ルールを設定。この自主規制のことを「チャイニーズウォール(万里の長城の意)」という。
登録基準
主な長城・関一覧
※明代の長城をほぼ東から西の順に並べてある
北京以東
- 老龍頭長城(ろうりゅうとう)
-
山海関(さんかいかん)
北京周辺
※北京近辺で訪問できる場所
- 険しい山の上に築かれている。あえてあまり修復されていない。
- 慕田峪と司馬台の間にあり、司馬台とお互いに徒歩で行き来できる。
- あえて全く修復せずに公開された長城。崩れかかった長城の上に歩道だけを整備して公開された。
- 古北口長城(こほくこう)
- 大榛峪長城(だいしんよく)
- 黄花城長城(こうかじょう)
- 慕田峪長城(ぼでんよく)
- 箭扣長城(せんこう)
-
八達嶺長城(はったつれい)
- もっとも有名な見学地。ツアーのほか北京市内からの路線バスも頻繁にある。
- 水関長城(すいかん)
- 居庸関 ・居庸関長城(きょようかん)
- 八達嶺長城のすぐ北京寄りにある。近年修復・公開された。
北京以西
- 老牛湾長城(ろうぎゅうわん)
- 楡林鎮北楼(ゆいんちんほくろう)
- 三関口長城(さんかんこう)
- テンゲル砂漠長城
- 丹峡口長城(たんきょうこう)
-
嘉峪関(かよくかん)
- 河倉城(かそうじょう)
-
玉門関(ぎょくもんかん)
- 陽関(ようかん)
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)