生涯
1348年(
正平3年/
貞和4年)に
四條畷の戦いで
楠木正行ら南朝方が
高師直に敗れると、吉野から賀名生(奈良県
五條市)に落ち延びる。後醍醐の死後は後村上天皇を補佐し、
観応の擾乱と呼ばれる
足利氏の内紛による騒乱がはじまり、尊氏が南朝に降伏して
正平一統が成立すると、これに乗じて一時は京都と鎌倉の奪回にも成功する。1354年に賀名生で死去。親房の死後は南朝には指導的人物がいなくなり、南朝は北朝との和睦に傾いていく。法名:覺空(ちなみに最初の出家の時の法名は「宗玄」)。
官職位階履歴
※日付=旧暦(明治5年12月2日以前を適用)
-
1293年(正応5)6月24日、従五位下に叙位。
-
1294年(永仁2)1月6日、従五位上に昇叙。
-
1297年(永仁5)2月18日、正五位下に昇叙。
-
1298年(永仁6)5月23日、従四位下に昇叙。
-
1300年(正安2)1月5日、従四位上に昇叙。 閏7月14日、元服し、兵部権大輔に任官。
-
1303年(乾元2)1月20日、左近衛少将に遷任。 12月17日、正四位下に昇叙し、左近衛少将如元。 12月30日、右近衛中将に転任。
-
1305年(嘉元3)11月18日、権左少弁に遷任。
-
1306年(徳治元)12月22日、左少弁に遷任。
-
1307年(徳治2)11月1日、左少弁を辞任し、弾正大弼に転任。
-
1308年(延慶元)11月8日、従三位に昇叙し、弾正大弼如元。
-
1310年(延慶3)3月9日、正三位に昇叙し、弾正大弼如元。 12月17日、参議に補任。弾正大弼如元。
-
1311年(応長元)1月17日、左近衛中将を兼任。 3月30日、弾正大弼を止め、備前権守を兼任。 7月20日、左兵衛督を兼任し、検非違使別当に補任。 12月21日、権中納言に転任。検非違使別当・左兵衛督如元。
-
1312年(正和元)3月15日、検非違使別当・左兵衛督を止む。 8月10日、従二位に昇叙し、権中納言如元。
-
1315年(正和4)4月17日、権中納言を辞任。
-
1316年(正和5)1月5日、正二位に昇叙。
-
1318年(文保2)12月10日、権中納言に還任。
-
1319年(元応元)8月5日、中納言に遷任。
-
1320年(元応2)10月21日、淳和院別当・源氏長者両職兼帯。
-
1322年(元亨2)4月5日、右衛門督を兼任し、検非違使別当に補任。
-
1323年(元亨3)1月13日、権大納言に転任し、淳和院別当如元。 5月、奨学院別当を兼帯。 6月15日、陸奥出羽按察使を兼任。
-
1324年(元亨4)4月27日、大納言に遷任し、淳和奨学両院別当・陸奥出羽按察使如元。
-
1325年(正中2)1月7日、内教坊別当を兼帯。
-
1326年(正中3)2月9日、陸奥出羽按察使を辞任。
-
1330年(元徳2)3月5日、従一位に昇叙し、准大臣宣下。 9月17日、出家。法名:宗玄 のち、覚空と改める。
- 年月日不詳、准后(准三宮)宣下。
-
1908年(明治41)9月9日、贈正一位。
参考文献
- 横井金男『北畠親房文書輯考』(大日本百科全書刊行会、1942年7月)
-
平泉澄編『北畠親房公の研究』(日本文化研究所 1954年11月、増補版1975年3月 皇学館大学出版部)
-
久保田収『北畠父子と足利兄弟』(皇學館大学出版部、1977年)
- 『北畠親房公歌集』(阿部野神社・北畠親房公顕彰会、1984年4月)
-
白山芳太郎『北畠親房の研究』(ぺりかん社、1998年、のち増補版) ISBN 4831508365
- 伊藤喜良『東国の南北朝動乱 北畠親房と国人』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2001年) ISBN 4642055312
- 下川玲子『北畠親房の儒学』(ぺりかん社、2001年) ISBN 483150954X
北畠親房を題材とした作品
-
志茂田景樹『南朝の日輪 北畠親房』(秋田書店、1991年) ISBN 4253002994
-
童門冬二『小説 北畠親房 南北朝の梟』(成美堂出版成美文庫、1998年) ISBN 4415064892
- 『太平記』(1991年 NHK大河ドラマ)演:近藤正臣
関連項目
ちかふさ
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)