北大西洋条約機構(きたたいせいようじょうやくきこう、
英:
North
Atlantic
Treaty
Organization)は、
アメリカ合衆国を中心としたアメリカ・ヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟。
略称は
NATO(日本でナトー、英音はネイトウ)。
ロマンス系諸言語(
仏・
伊・
西・
葡・
ルーマニア等)では、英語と同一語源・語頭文字が同じ単語が用いられるが語順が異なる(英語と逆)ため、
OTANと略称される(例、
仏:
Organisation du
Traité de l'
Atlantique
Nord)。
歴史
設立の経緯
第二次世界大戦が終わり、
東欧を影響圏に置いた
共産主義の
ソビエト連邦との
冷戦が激しさを増す中で、
イギリスや
フランスが主体となり、
1949年4月4日締結の
北大西洋条約により誕生した。結成当初は、ソビエト連邦を中心とする共産圏(
東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間
軍事同盟(集団的安全保障体制)であり、「
アメリカを引き込み、
ロシアを締め出し、
ドイツを抑え込む
(Keep the Americans in, the Russians out, and the Germans down) 」という初代事務総長イスメイの言葉が象徴するように、
ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませた
ドイツ問題に対するひとつの回答でもあった。加盟国は域内いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦する義務を負っている。
当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・
非ナチ化が構想されていた(
モーゲンソー・プランも参照)。また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な
国境警備隊や機雷掃海部隊以外の国軍を持つことは許されず、米ソ英仏の四カ国が治安に責任を持っていた。しかし冷戦の開始ととも西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の
1950年には
西ドイツの再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「
ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始めたが、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、
欧州防衛共同体構想で対抗した。この構想は
1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたが
ド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、
批准に至らなかった。この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍が
1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。
冷戦中
冷戦を通じて、NATOの枠組みによって西欧諸国は米国の強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。
植民地経済の喪失により、一国ずつの力が弱くなった西欧諸国は、米国の強大な軍事力と核の抑止力の庇護の下、安定した経済成長を遂げる道を選んだわけである。東側との直接戦争に向け、米国によって
核兵器搭載可能の
中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、米国製兵器が各国に供給された。途中、アメリカやイギリスと外交歩調がずれ、独自戦略の路線に移ったフランスは軍事機構から離脱、そのため本部が
パリから
ベルギーの
ブリュッセルに移転した。一方、
戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが役立ったことは言うまでもない。航空製造企業
エアバス誕生も、NATOの枠組みで西欧の一員となった
西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。
西欧は米国の庇護を利用する事によって、東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功し、「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。
冷戦終結後
1989年の
マルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧の動乱と
1991年の
ソ連崩壊により、NATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。また、域外紛争に対応する全欧州安保協力機構(OSCE)、旧ソ連・東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会(NACC)を発足させ、加盟国外でもNATOの軍事的抑止力を享受できることを確認した。
一方、ソ連崩壊により、ソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATO加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連に代わる自国の安全保障政策としてNATO加盟を希望する一方、拡大に警戒心を持つ
ロシアはその動きを牽制した。
1994年、「
平和のためのパートナーシップ(PFP)」によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展し、
1999年に3カ国、
2004年に7カ国が加盟するに至る。こうして旧
ワルシャワ条約機構加盟国としては、
バルト三国を除く旧ソ連諸国と
アルバニアを残し、他はすべて西欧圏に引き込まれた。
対テロ戦争
アメリカ同時多発テロ事件後の
対テロ戦争(
アフガン侵攻、イスラム武装勢力
タリバンをアフガン政府から追放した作戦)には賛同しつつも、各国が自主的に参戦するに留め、新生アフガン軍の訓練にNATOの教官が参加することで協力した。しかし、
2003年の
イラク戦争にはフランス・ドイツが強硬に反対したために足並みは乱れ、米国に追従する
ポーランドなど東欧の新加盟国と、仏独など旧加盟国に内部分裂した。
2005年にはアフガニスタンでの軍事行動に関する権限の一部が、イラク戦争で疲弊した米軍からNATOに移譲され、NATO軍は初の地上軍による作戦を行うに至った。
2006年7月にはアフガンでの権限を全て委譲され、NATO以外を含める「多国籍軍」を率いることとなったが、同時期にタリバンがアフガン南部各地で蜂起し、NATOと戦闘となっている。アフガンのNATOは英軍4000名が最大であるように、加盟各国ともに拠出兵力に限界があり、戦闘は苦しいものとなっている。また、仏独はこの戦闘作戦には参加しておらず、加盟国の内部分裂とアフガンでの疲弊により、NATOは新たな国際戦略の練り直しが必要とされている。
新冷戦
2000年代後半に入り、アメリカが推進する
東欧ミサイル防衛問題や、旧ソビエトの構成国で、ロシアの隣国である
グルジア、
ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興して
プーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。そして、
2008年8月には
グルジア紛争が勃発、NATO諸国とロシアの関係は険悪化し、「
新冷戦」と呼ばれるようになった。ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在であったが、2008年8月現在NATOとの関係断絶を示唆している。
日本との関係
冷戦期に西側陣営を構成していた日米欧の三極において、日米および欧米の関係に比べ、
日本とヨーロッパの関係は比較的薄いものであったが、2005年のNATO事務局長の訪日および2007年1月には安倍首相(当時)が欧州歴訪の一環としてNATO本部を訪問するなど関係構築が進められている。安倍首相が出席した北大西洋理事会(NAC)における構成各国の代表との会談においては、全ての主要国が日本との協力関係構築に賛成するなど、緊密な連帯が確認された。これらの首脳による関係の他にも、NAC下部組織である政治委員会との非公式協議の開催や、ローマに存在するNATO国防大学上級コースへの自衛官留学、NATOによる災害派遣演習へのオブザーバーとしての参加など末端での協力体制も行われるようになった。
NATOはアフガニスタンにおける活動の中で、現地の日本大使館が行っている人道支援・復興活動に注目しており、軍閥の武装解除を進める
DDR(武装解除・動員解除・社会復帰)プログラムの指導国である日本との連携を模索している。
日本としては、北朝鮮問題およびヨーロッパから中国への武器輸出問題に関してNATO加盟国の理解を得たいとの思惑が存在する。NATOは2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射、10月の地下核実験に際して極めて強い口調の非難声明を発表しており、また武器輸出問題に関しては、中国の人権問題が一定の改善を見るまで見合わせると報道されている。
具体的な協力
2008年10月現在、前年1月の
安倍晋三元総理の北大西洋理事会(
NAC)での演説以降、日本政府はアフガニスタンで
国際治安支援部隊(
ISAF)を展開するNATOに対し財政支援(financial support)を行っており、NATO・ISAF側は広報センターを通じてこの事実をファクトシートの形で公表している。日本の対NATO協力の変遷は次のとおり。
- 2007年1月、安倍元総理大臣が北大西洋理事会で演説を行う。
- 2007年3月、アフガニスタンでの人道支援プロジェクトのために約20億円の財政支援を実施。
- 2007年12月、NATO文民代表部との連絡促進のため常勤の連絡調整員を指名。
NATOのアフガニスタンでの活動に対する日本の財政支援は、政府の草の根(人間の安全保障)無償資金協力(GAGP)スキームの範囲内で行われている。2008年10月2日現在、日本政府はGAGPの方針に従い29のプロジェクト支援を実施しておりその総額は約260万ドル(2,647,927米ドル)に及んでいる。NATOによれば、政府はさらに39のプロジェクトへの追加資金協力を検討している。
加盟国
原加盟国(1949年) - 12カ国
その後の加盟国 - 14カ国
EAPC(欧州・大西洋パートナーシップ理事会)加盟国 - 24カ国(→
EAPC)
歴代事務総長
歴代軍事委員会議長
機構軍
発足時の部隊
- 欧州連合軍 ACE(Allied Command, Europe)
- 北欧連合部隊
- 中央連合部隊
- 南欧連合部隊
- 地中海潜水艦部隊
- 大西洋連合軍 ACLANT(Allied Command, Atlantic)
- 大西洋打撃艦隊 アメリカ海軍の第2艦隊
- 東大西洋管区
- 西大西洋管区
- 大西洋連合潜水艦部隊
- 海峡地区連合軍 ACCHAN(Allied Command, Channel)
- 地中海連合軍 (Allied Command, Mediterranean)
現在(2008年)の機関・部隊
- 軍事委員会
- 国際参謀部
- 作戦連合軍(旧欧州連合軍 司令官はアメリカ欧州軍司令官が兼任)
- 欧州連合軍最高司令部(ベルギー・モンス駐在 最上級作戦司令部)
- ブルンスム統合軍司令部(オランダ・ブルンスム駐在 欧州北部を担当)
- ノースウッド海上部隊司令部(イギリス・ノースウッド司令部内駐在 管区内の海上部隊を統括・指揮)
- ラムシュタイン航空部隊司令部(ドイツ・ラムシュタイン空軍基地内駐在 管区内の航空部隊を統括・指揮)
- ハイデルブルグ陸上部隊司令部(ドイツ・ハイデルブルグ駐在 管区内の地上部隊を統括・指揮)
- ナポリ統合軍司令部(イタリア・ナポリ駐在 欧州南部を担当)
- ナポリ海上部隊司令部(イタリア・ナポリ駐在 管区内の海上部隊を統括・指揮)
- イズミル航空部隊司令部(トルコ・イズミル駐在 管区内の航空部隊を統括・指揮)
- マドリッド陸上部隊司令部(スペイン・マドリッド駐在 管区内の地上部隊を統括・指揮)
- NATOサラエボ司令部(安定化作戦のための臨時編成)
- NATOティラナ司令部(安定化作戦のための臨時編成)
- NATOスコピエ司令部(安定化作戦のための臨時編成)
- リスボン統合司令部(ポルトガル・リスボン駐在 海上配備打撃戦力を担当 ブルンスム・ナポリの両司令部より小規模)
- NATO即応部隊(NRF ブルンスム・ナポリ・リスボンの三司令部がローテーションで指揮を担当)
- 即応部隊司令部(陸上部隊主体の即応部隊を統括)
- 欧州連合軍即応部隊(ARRC)司令部(旧イギリス第一軍団 ドイツ駐留イギリス軍主体)
- 欧州軍団(EUROCORPS)司令部(フランス・ストラスブール駐在)
- イタリア即応部隊司令部(イタリア・ミラノ駐在 イタリア軍主体)
- トルコ即応部隊司令部(トルコ・イスタンブル駐在 トルコ軍主体)
- ドイツ=オランダ軍団司令部(ドイツ・ミュンスター駐在)
- スペイン即応部隊司令部司令部(スペイン・バレンシア駐在)
- ギリシア即応部隊司令部(ギリシア駐在)
- その他部隊
- 即応部隊航空参謀部
- NATO早期警戒部隊(AWACSの共同運用)
- 海上即応部隊司令部
- 欧州連合軍機動部隊(空中機動部隊)
- 海上打撃・支援部隊
- 常設大西洋艦隊(同盟国による持ち回り)
- 常設地中海艦隊(同盟国による持ち回り)
- 常設海峡艦隊(同盟国による持ち回り)
- 改革連合軍(旧大西洋連合軍 司令官はアメリカ統合戦力軍司令官が兼任)
- その他の組織
- カナダ=アメリカ地域計画作業部会
- NATO早期警戒指揮管制部隊司令部(SHAPEと同居)
- 統合運用計画参謀部(SHAPEと同居)
脚注・参考
参考文献
-
佐瀬昌盛『NATO――21世紀からの世界戦略』(文春新書)
- 軍事同盟研究会編『最強の軍事同盟NATO』(アリアドネ企画)
脚注
関連項目
外部リンク
*