改元
「平成」は、元号法が制定された際に
陽明学者・
安岡正篤が考案したと言われ、改元時の
内閣総理大臣・
竹下登ら政府首脳も決定前から執心していた。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間では予想する事も可能であった。
政府は、
昭和天皇の
崩御(死去)を受け、その当日(
1989年(
昭和64年)
1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と
衆参両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を聴いた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」、「正化(せいか)」の2候補は
ローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出て、全員一致で「平成」に決まったと伝えられる。このことから、「修文」「正化」ははじめからダミーの案であったと考えられている。
同日14時10分から開かれた臨時
閣議に於いて新元号を正式に決定し、14時36分、
内閣官房長官の
小渕恵三が記者会見で発表。
「只今終了致しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい元号は、平成であります」
と言いながら新年号を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた。
同日、「元号を改める
政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇の允裁(いんさい)を受けた後、
官報号外によって
公布され、翌
1月8日から
施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣
告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。
尚、
大正と
昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・
ワードプロセッサをはじめとする
OA化に伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。
「平成」の出典
安岡正篤が考案したとされる元号であるが、「平成」の名前の由来は、『
史記』五帝本紀の「内
平外
成(内平かに外成る)」、『
書経』大禹謨(
偽書)の「地
平天
成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。なお、平成は
慶応改元の際にも候補に上がったが、2回目で採用された。
典拠・故実に由来する反対意見に以下のようなものがある。
- 典拠として史記を書経よりも重視するのはおかしい。書経のみを以て典拠とするべきである。
- 書経の当該部分は、清代中国における研究によって偽書(偽古文尚書)である事が確定したものであり、典拠として書経をあげるべきではない。
- 「平」「成」の文字の中に「干(=楯)」「戈(=鉾)」があり「干戈(戦争を意味する)」に通じる。
-
平治以来「平」ではじまる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」ではじまる元号はこれを避けるのが故実である。ちなみに元号に「成」が付くのは初めてである。
時代の流れ
政治史
1982年 -
1987年の
中曾根康弘内閣を最後に、平成に改元された当時の
竹下登内閣以降、短命な内閣が続き、
2001年までの12年間に首相が10人、平均の在任期間が1年強という混迷の時代が続いた。この中には日本政治史上記録的な2つの短命内閣も含まれている(
宇野宗佑内閣(69日)、
羽田孜内閣(64日))。
小泉純一郎内閣(2001年4月〜2006年9月)が平成初の長期政権である。小泉の首相在任期間は戦後3位(1980日)であり、
私学出身者・
党人派による政権としては共に戦後最長である。
1989年(平成元年)、
竹下内閣による
消費税導入への国民世論の反発・
リクルート事件による自民党金権汚職への反発・
宇野宗佑首相の女性スキャンダルによる女性有権者の反発などの理由から7月の参議院選挙で自民党は大敗。社会党が一人勝ちをした。土井党首の女性を前面に出す方針から女性議員が倍増。以後平成期は国会でも地方でも女性議員が増加している。
社会党は
1990年(平成2年)の衆議院選挙でも勝利したが、自民党も安定多数で勝利した事で政権獲得に失敗する。
小沢一郎幹事長のもと自民党政権が竹下派支配で安定する。自民党最大派閥竹下派は平成4年に小渕派と羽田・小沢派に分裂。小沢一郎は
衆議院議員選挙制度の
小選挙区への変更で派閥解消・2大政党制選挙・金がかからない選挙・政党本位選挙を目指す政治改革論議を提起した。小沢は
新生党を旗揚げ、別の政治改革グループが
新党さきがけを旗揚げ。日本新党など新党ブームがおきた。
1993年(平成5年)、日本社会党・新党さきがけ・新生党・民主改革連合・公明党・社会民主連合・日本新党が連立した
細川内閣が成立。非自民連立政権の成立により、自民党は一時野党に転落して55年体制は崩壊するも、1994年には自民党は社会党との村山連立政権で早くも政権に復帰し、その後は公明党と連立で政権を維持した。政権与党は自民党単独→新生・公明・社会・民社・さきがけ・日本新党・社民連・民改連→自民・社会・さきがけ→自民・自由・公明→自民・公明・保守→自民・公明党と移り変わり、自民党を中心にした連立政権の時代となった。
経済史
バブル経済の崩壊により経済は停滞期に入った。
1993年頃から大学生・高校生の就職難がささやかれるようになり、「
就職氷河期」が10年以上にわたって続く。これに伴い
フリーター・
ニートの増加が社会問題になった。中高年にも
リストラにより解雇された失業者が目立つようになり、経済的理由からの自殺の増加が顕著になった。
1997年の
橋本内閣で行われた
消費税増税は、バブル崩壊の痛手から立ち直りかけていた日本経済に打撃を与え、企業の倒産・合併・再編が増加した。さらに、この頃から金融機関の含み損が再び表面化して、多額の
不良債権を抱えた企業の経営破綻が相次いだ。この反省から
小渕内閣では積極財政・景気対策路線がとられ、財政赤字が増大した。
2001年に首相に就任した
小泉純一郎によって推し進められた「
聖域なき構造改革」以降、銀行の不良債権処理が進み金融機関は健全化して、長く緩やかな景気回復(2002年2月以降)が続き、
平成不況からは脱した。この景気拡大はもっぱら外需主導であり、公共投資の縮小及び企業の人件費抑制に伴う労働分配率低下により、内需・個人消費は冷え込んだままである。新興国の経済発展に伴い
重厚長大産業を含む製造業の復権が起こった一方,新しい産業としては
IT産業・老人介護産業・
人材派遣業が成長したが、これらはいずれも劣悪な労働条件が問題になっている。
2000年代後半に入ると、
六本木ヒルズ族と呼ばれる富裕層が話題をふりまく一方、
非正規雇用の増大(10代後半は約7割が非正規雇用)や、フルタイムで働いても
貧困から脱却できない
ワーキングプアの存在が表面化し、「
格差社会」の到来が叫ばれるようになった(
新自由主義政策)。
2008年に入ると、景気は再び後退し始め、資源価格上昇の中で景気後退が続く
スタグフレーションの進行が憂慮された。2000年代は輸出産業である製造業が好調だったが、人手不足は
外国人労働者を含む
派遣社員を中心に非正規雇用でまかなわれた。そのため、海外市場の減速が製造業を直撃した2008年秋頃から、派遣労働者の解雇・雇い止めが増加。職を失った派遣社員が大量に寮を追い出され
ホームレスと化した。「百年に一度の不況」とも形容される2008年末からの世界同時不況は、製造業以外の業種にも深刻な打撃を与えており、主に非正規雇用の労働者が解雇・雇い止めの対象となっている。高校生、大学生の就職も再び厳しくなり、再度
就職氷河期が到来したとの見方もある。
教育史
偏差値重視の現行教育制度の改革が進められており、文部科学省は
ゆとり教育を掲げ授業時間数の削減、教育内容の減少を推進した。さらに
愛国心や
情操教育を盛り込んだ
教育基本法の改正も行われた。
これに伴って、
経済格差、地域格差を背景とした能力格差が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためといわれ、公教育への不信感が増大している。それを補うための
学習塾や
私立学校へ進学希望者が増加している。しかし、学習塾や私立学校のない地域はどうやって勉強すればいいのか、不景気の中で教育産業だけが儲かる状況は異常ではないのか、低所得者の学習意欲をどう保証するのかなど、
日本国憲法が定めた
教育権(能力に応じて教育を受ける権利を持つ)の問題を含めて深刻な状況にある。
そのためゆとり教育の見直し、
幼稚園・
保育園・
高等学校の
義務教育化に代表される公教育の機能強化が唱えられているが、教育観や費用の問題もあって見通しは不透明である。
少子化の進展で
2005年には『
大学全入時代』を迎えたが、学校を卒業しても親に生活を依存する
ニート、
引きこもり、
パラサイトシングルといった学生や社会人が増加し、問題視されている。これは経済的には1990年代以来の不景気を背景にしているが、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会になれた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になるといわれる。と同時に、教育は学校に行くことだけがすべてではないという見方から、公教育以外の多様な施設が考案、実践されている。さらにメンタル面では
不登校や
児童虐待、
いじめ、
薬物乱用、性モラルの低下といった問題を抱えるが、これらの問題は家庭や学校のみならず、塾にまで波及しつつある。
国際関係史
1991年に
ソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国のすべてが独立し、解体された。イデオロギーの退潮に伴って、各地で民族・宗教紛争が顕在化、
テロリズムの脅威が叫ばれている。一方でソビエト連邦解体後は、旧東側諸国が西側経済に統合され、
世界経済の一体化が起こった。
アメリカという超大国を軸に、
欧州連合 (EU)、
中国、
ロシア、日本などの中大国がそれに協力したり、地域的な覇権を争って対立もしながらも、ゆるやかな世界統合がなされている。その中で日本は冷戦時と同様に日米関係を外交の基軸とし、
湾岸戦争や
イラク戦争に協力するようになった。
このうち、
北京オリンピックを行い、
上海万博を控え、「
四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的存在感を強め、日本との関係はかつてないほど緊密化した(日本の最大の貿易相手国は中国である)。それとともに、ガス田開発、領土問題などで日本との摩擦が表面化している。また、中国は安全保障上の脅威が無いにも関わらず、
1989年から年々軍備増強を強力に推し進めており、日本にとって脅威になっていると言われている。(
中国脅威論)
この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や
華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化する事で、経済の多極化を図る動きがある。
そのため、
東アジア共同体 (AU) 、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権をめぐって日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。
文化史
- バブル期 (1989年(平成元年)〜1993年(平成5年)頃)
いわゆる
バブル景気の全盛期から、バブル経済の崩壊に差し掛かる頃。若者の間で、真っ赤な
口紅にソバージュやトサカヘアー、太
眉に
ボディコンという押しの強いファッションが
流行した。また、
トレンディドラマ全盛期でもあり(『
東京ラブストーリー』、『
101回目のプロポーズ』など)、当時の人気俳優を起用したドラマは軒並み高視聴率をたたき出した。なお、経済的には1991年にバブル経済が終焉しているが、国民が景気停滞を感じ始めたのは1993年頃からだという見方が強い。
-
平成不況期 (1994年(平成6年)〜2000年(平成12年)頃)
- 21世紀初頭 (2001年(平成13年)頃〜2003年(平成15年)頃)
パソコン・携帯電話などは
2000年代に入るとほとんどの国民に普及し、
インターネットの利用が一般化した。CDや漫画をはじめとする出版物の発行部数が減少し、
雑誌の休廃刊が相次いでいる(
出版不況)。一部では
テレビ離れも言われており、メディア業界の縮小が目立ってきている。また、中高年層の間では
高度経済成長期や、その前後の時代を
懐古する風潮も広がっている。若者のファッションは著しく多様化し、ある世代全体に広がるようなファッションの流行はもはやみられなくなった。
女性史
- 昭和30年代 戦後女性革命がおきる 昭和戦前〜新人類世代 婦人から女性へ概念が変更する。 家制度が崩壊して 男子願望が消滅する。 出生率が2人になる。 産婆から産婦人科での出産制度が普及する。 女性の体の医療・物質化がおき 中絶が容認された世代である。
- 平成期は少子化問題と高齢化問題が関心を集めた。以前の明治・大正生まれの高齢女性はきんさん・ぎんさんの例など 高福祉だが 昭和生まれの高齢者女性は 中福祉にならざるおえず、老人 介護問題が発生して介護者は女性の方が圧倒的に多くて介護師も女性の職員が多くて、厳しい労働条件である。 子供と同居せずにいる高齢者単身の世帯が増加した。 人口比が逆ピラミッド型になり、年金運用が赤字化するようになる。少子高齢化と年金問題が平成16年の参議院選挙以降議論される。
-
団塊世代の女性は 短大志向だった。3つの教育階層が団塊世代の女性に存在する。 1 大学・大学院卒 フェミニズム層 2 短大卒 中流層 3 高卒・中卒 金の卵層 パート労働・専業主婦層である。
- 昭和60年頃〜 バブル世代以降の女性は 男女雇用機会均等法の第1世代である。女性から女子への転換 平成バブル期女性革命がおきる。専業主婦時代は終わり女性の非婚化が進んだ事が理由で、出生率は1.5人以下になり男性は数余りになる結婚難になった。セクハラの概念やアッシー君など女性優位思想が生まれた。
- 短大志向から四年制大学志向になる。
- 体・性の開放が行われて・宮沢りえなど女優のヘアーヌードブームがおきる。
- バブル期韓国人女性と日本人男性の結婚が急増する・統一教会の合同結婚式で韓国男性の結婚赤字を解消をはかる。
平成7年以降 ポスト団塊ジュニア女性〜
- 援助交際が問題化する ルーズソックス アムラーに見られる 女子高校生 文化を形成する。 若い女性の性道徳の乱れが問題化する。 男性関係複数の女性と結婚しない女性に二極化する。
- 2000年以降 ストーカー犯罪の概念が成立して 女性の盗撮犯罪の被害が盗撮技術の進歩で多発する。
- 結婚しない日本女性に失望した日本人男性が中国・フィリピンなどアジア女性と経済力と性暴力の少ない性格の日本人男性が魅力的にみられて国際結婚が急増する。
- 女性の花形産業がスチュワーデスから女子アナウンサー人気にかわる。
- 平成フェミニズム運動
-
土井たか子など社民党を中心に女性議員の増加運動であるクウォーター制度がおこなわれて、 平成期は、女性知事・市長・首長が次々と誕生する。
- 女性運動の内容 1、大相撲の女人禁制問題化 2、ブルマー廃止運動を実現3、 男女混合名簿導入 4、 性教育の推進 5、サンに呼び生徒を統一・男女の色区別廃止運動 6、女らしさ・男らしさ男女区別反対 7、看護婦が看護師など男女の呼び名が統一される。7,男女共同参画基本法制定8,夫婦別姓制度の選択運動9.性同一性障害の法的承認10.女性の産休・保育園・子育て支援制度の確立運動
- 韓国人女性の従軍慰安婦問題が左翼・女性運動家によって問題化する。2000年以降保守勢力が力を持ち・国民意識は誤解だと認識される。
-
フェミニズム・社民党勢力は男性中心の保守勢力と格差社会で衰退する。 女性は1割の高学歴女性以外経済的勝ち組になれず、派遣事務には主に若い女性が、中年女性はスーパーなどパート労働につき、女性雇用者の半数が非正規労働者になって女性の経済的下流化が進んだ。
- 韓国人男性が日本人女性へのコンプレックス解消と結婚増加の目的で韓流ブームを中年女性を中心に起こすが、若い日本女性には反日・性暴力・経済力なさで余り効果がみられず。
-
バブル世代 団塊ジュニア世代の母親の平成世代の子供の教師へのモンスターペアレントが問題化する。
- 芸能人を中心に婚前妊娠・できちゃった結婚が急増する。
-
薬害エイズ事件を機に性的感染症や血液感染が関心を集まるようになる。
歴史学的類似時代
昭和時代を昭和元禄 平成時代を平成享保とする。昭和時代・元禄を高度経済成長時代で平成・享保を経済停滞・政治改革期とする。
これらを江戸の3大改革 享保・寛政・天保と比較して平成の3大改革とする。
自民党を旧幕府勢力 15代総裁
宮澤喜一を15代将軍
徳川慶喜として細川連立政権や民主党を平成維新勢力とする。
第1革命 農業革命
第2革命 工業産業革命
第3革命 IT革命 情報革命 知識革命
平成を第3人類革命とする。
年表
西暦との対照表
平成を冠するもの
企業・団体
文化・芸能・番組名
鉄道
地名
なお、岐阜県関市(改元当時は
武儀町)の地名のみは改元以前の
1988年以前も存在していた
小字名である。
道の駅
上記岐阜県関市の平成(へなり)地区に建てられている。ただし駅名としての読み方は「へいせい」。
教育
小学校
中学校・高等学校
大学
博物館
病院
橋梁・トンネル
その他
平成に改元した直後の1989年1月には、
平 成(たいら しげる)という
名前の個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。
エピソード
-
小渕恵三
内閣官房長官(当時)が記者会見で使用した台紙に平成と文字を墨書きしたのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。
記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボールと風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知ったとき、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである。また、4枚目を選んだのはうまい下手に関係なく、はじめから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。
新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである(TBSラジオ「伊集院光・日曜日の秘密基地」より)。
河東純一は、2005年12月に職務(20万枚以上に及ぶ官記・位記・辞令及び表彰状等の作成)の功績を認められ、第18回「人事院総裁賞」個人部門を受賞した。- その『平成』の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登に贈呈され、現在も竹下元首相私邸に飾られているとのことである。
-
竹下登首相・小渕恵三官房長官の所属派閥の名前が「経世会(けいせいかい)」であり、「派閥の名前と一文字しか違わない」と陰口がささやかれた。竹下が経世会旗揚げ前に田中派内で結成した集団の名前も「創政会(そうせいかい)」であり、「○○せい」というのが竹下の好みであったのは確かなようである。
関連項目
外部リンク
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