仏教(ぶっきょう、Buddhism)は、インドの
釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。
キリスト教・
イスラム教と並んで世界三大宗教のひとつ(信仰のある国の数を基準にした場合)である。仏教とは一般に、
仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。
概略
約2500年前(紀元前5世紀)にインドにて発生。他の世界宗教とは異なり、自然崇拝や民族宗教などの原始宗教をルーツに持たない。当時のインドでは祭事を司る支配階級
バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。発生当初の仏教の性格は、同時代(→
枢軸時代)の孔子などの諸子百家、ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、とくに初期経典からそのような方向性を読み取れる。当時の世界的な時代背景は、都市国家がある程度の成熟をみて社会不安が増大し、従来の
アニミズム的、または民族的な伝統宗教では解決できない問題が多くなった時期であろうと考えられており、医学、農業、経済などが急速に合理的な方向へと発達し始めた時期とも一致している。
仏教の教義はあらゆる生命の住む世界を「世間」とし、そこでの生き方に関する教え(世間法)と、それらを越えて悟りに至る教え(出世間法)との二軸で構成される。世間法については当時からあった社会道徳や宗教観とそれほどの大差はなかったが、仏教が当時のインドの他の教えと異なったのは特に出世間法における教えと実践法であった。それは生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(
四諦)とするものである。そしてそれを目的とした
出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励することが特色である。
物事の成立には原因と結果があるという
因果論を原則として、生命の行為・行動(思考・感情も含まれる)にはその結果である果報が生じるとする
業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。また個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生、すなわち
輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して
涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。
仏教の特異性
仏教は神を信じる宗教ではない。仏教における
神の扱いは、人間などと同じ生命(有情)の一種という位置づけであり、厳密には仏教徒の間で神々は帰依の対象とはならない。本来的には何かに対する
信仰という形すらない宗教であった。時代が下るにつれて開祖である
仏陀、また
経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが、根本的には
イスラム教のように信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない。仏教における信仰は
帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており、たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない。また仏教ではあらゆる個人存在のうちに
魂、または普遍的な我といった存在を一切認めない(
無我)。ただしこれらの内容は、民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている。
宗派
釈迦以後、インド本国では大別して「部派仏教」「大乗仏教」「密教」が時代の変遷と共に起こった。
部派仏教
アビダルマ仏教とも呼ばれる。
釈迦や直弟子の伝統的な教義を守る保守派仏教。教義的な特徴として釈迦が死際に弟子達に残した言葉である「自明灯-じとうみょう」(自らの足元を照らすのは自らのみであり、自らのみを拠り所とせよ)が根底にある。
仏滅後100年頃に戒律の解釈などから上座部と大衆部に分裂(根本分裂)、さらにインド各地域に分散していた出家修行者の集団らは、それぞれに釈迦の教えの内容を整理・解析するようになる。そこでまとめられたものを論蔵(アビダルマ)といい、それぞれの論蔵を持つ学派が最終的におおよそ20になったとされ、これらを総称して部派仏教という。このうち現在まで存続するのは上座部(分別説部、保守派、長老派)のみである。古くは
ヒンドゥー教や大乗仏教を信奉してきた東南アジアの王朝では、しだいにスリランカを起点とした上座仏教がその地位に取って代わるようになり、現在まで広く根付いている(
南伝仏教)。部派仏教は、かつて新興勢力であった大乗仏教からは自分だけの救いを求めていると見なされ小乗仏教(小さい乗り物の仏教)と蔑称されていた。
大乗仏教
出家者中心のものであった部派仏教から、一般民衆の救済を求めてインド北部において発生したと考えられている。ヒマラヤを越えて中央アジア、中国へ伝わったことから北伝仏教ともいう。当時、インドのほぼ全てを征服していた
アショーカ王によって、各地にストゥーパ(卒塔婆、仏塔=釈尊の舎利を納めたところ)が立てられる。それを維持管理する出家者たちによる民衆への説法、礼拝などの活動によって、徐々に在家信者中心の新しい信仰集団が形成されていく。このような状況の中で大衆部の比丘(修行者)とストゥーパ管理の法師達の間で改革運動が起こり大乗仏教という新仏教が形成されるに至った。
大乗とはサンスクリット語でMahāyānaすなわち(Mahā=偉大な yāna=乗り物)の意であり、他者を救済せずに自分だけで彼岸(悟りの世界)へは渡るまいとする菩薩行を中心に据えた仏教である。おおよそ初期・中期・後期に大別され、
中観派、唯識派、浄土教、禅宗、天台宗などとそれぞれに派生して教えを変遷させていった。中央アジアから中国、朝鮮へ、その後日本に伝わったため、近代以前に日本に伝わった仏教は全て大乗仏教である。
密教
後期大乗仏教とも。インド本国では4世紀より国教として定められたヒンドゥー教が徐々に勢力を拡張していく。その中で部派仏教は6世紀頃にインドからは消滅し、7世紀に入って大乗仏教も徐々にヒンドゥー教に吸収されてゆき、ヒンドゥー教の一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。すなわち密教とは仏教のヒンドゥー化である。
密教の修行は、口に呪文(真言、マントラ)を唱え、手に印契(いんげい)を結び、
心に大日如来を思う三密という独特のスタイルをとった。曼荼羅はその世界観を表わしたものである。教義、儀礼は秘密で門外漢には伝えない特徴を持つ。秘密の教えであるので、密教と呼ばれた。
密教に対して従来の仏教は顕教という。
分布
言語圏
伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、サンスクリット語圏、パーリ語圏、漢訳圏、チベット語圏の四つに大別される。パーリ語圏のみが上座部仏教で、のこる各地域は大乗仏教である。
- サンスクリット語圏
-
ネパール、インド(ベンガル仏教、新仏教等)
- パーリ語圏
-
タイ、ビルマ、スリランカ、カンボジア、ラオス等。
- 漢訳圏
-
中国、台湾、韓国、日本、ベトナム等。
- チベット語圏
-
チベット民族(チベット、ブータン、ネパール、インド等の諸国の沿ヒマラヤ地方に分布)、モンゴル民族(モンゴル国、中国内蒙古ほか、ロシア連邦のブリヤート共和国)、満州民族、トルコ系のトゥヴァ民族(ロシア連邦加盟国)等。
信徒数
各大陸の仏教徒数は次のとおり。
- アジア - 4億人
- 南北アメリカ - 360万人
- ヨーロッパ - 180万人
- オセアニア - 40万人
- アフリカ - 8万人
このように、
世界宗教とはいえ、アジア(特に東アジア・東南アジア)に片寄って分布している。
仏教徒が1千万人以上いる国は次のとおり。
- 中国 - 1億人
- 日本 - 9千万人
- タイ - 6千万人
- ベトナム - 4千万人
- ミャンマー - 3800万人
- スリランカ - 1400万人
- カンボジア - 1200万人
- 韓国 - 1100万人
(英語版 Buddhism by countryより - 現時点は違う数値を示している)
教義
仏教の教えの基本は、
三法印(3つの根本思想)である。(三法印に
一切皆苦を付加し、四法印とする経典もある)
-
諸行無常 - 一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある
-
諸法無我 - 一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない
-
涅槃寂静 - 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地が目標である
-
一切皆苦 - 一切の形成されたものは、苦しみである
-
無明(無知)
-
行(潜在的形成力)
-
識(識別作用)
- 名色(心身)
- 六入(六感覚器官)
- 触(接触)
- 受(感受作用)
-
愛(渇愛)
- 取(執着)
- 有(存在)
-
生(出生)
-
老死(老いと死)
これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊する事により「生老病死」がなくなるという涅槃に至る縁起を示している。
本来の仏教ではこのように、救いは超越的存在(例えば
神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧める。
上座部仏教
上座部仏教の目的は、個人が自ら
真理(
法)に目覚めて「
悟り」を得ることである。最終的には「自分として執着している自我(
アートマン)は実体ではない(
無我)」と覚り、
苦の束縛から解放されること(=
解脱)を求めることである。一般にこの境地を
涅槃と呼ぶ。
大乗仏教
大乗仏教では、悟りを得ることはこの世の全てのもの(無常なもの)は
空であること(色即是空)を知る手段に過ぎないとし、空を五感で体得することを最終的な目標とする。空は
十二支縁起に説明される煩悩と潜在力(業)を捨て去ることで得られるという。
さらには自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち(
一切衆生)への救済に対する誓いを立てること(=
誓願)が主張されるが、特にこの「利他行」の強調が大乗仏教を
上座部仏教と区別する指標として重要視される。
さらに、道元のいう「自未得度先度佗(じみとくどせんどた)」(『正法眼蔵』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち(
一切衆生)への
慈悲から
輪廻の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励される。
『
般若経』は大乗仏教の根幹をなす教典である。ただ、日本や朝鮮といった大陸、中国を経由した仏教は色濃く道教などの影響を受けており、純粋な大乗仏教に最も近いのはインドに近かったチベットのものである。また、日本の仏教は神道との習合も見られる。
歴史
釈迦が死亡(
仏滅)して後、出家者集団(
僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(
仏典)を集める作業(
結集)を行った。仏典はこの時には口誦によって伝承され、後に文字化される。
仏滅後100年ごろ、僧伽は教義の解釈によって
上座部と
大衆部の二つに大きく分裂する(
根本分裂)。時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂する。この時代の仏教を
部派仏教と呼ぶ。
部派仏教の上座部の一部は、スリランカに伝わり、さらに、タイなど東南アジアに伝わり、現在も広く残っている(
南伝仏教)。
紀元前後、
在家者と釈迦の墓(
仏塔、ストゥーパ)の守護者たちの間から、出家することなく在家のままでも仏となる教え(大乗仏教)が起こる。この考え方は急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国・韓国・日本に伝わっている(
北伝仏教)。
7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流である
タントラ教と深い関係を持った
密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(
即身成仏)ができるとする。密教は、インドからチベット・ブータンへ、さらに中国・韓国・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。
8世紀よりチベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入した(
チベット仏教)。その後チベット人僧侶の布教によって、チベット仏教はモンゴルや南シベリアにまで拡大していった。
仏教の教えは、インドにおいては上記のごとく段階を踏んで発展したが、近隣諸国においては、それらの全体をまとめて
仏説として受け取ることとなった。中国および中国経由で仏教を導入した諸国においては、
教相判釈により仏の極意の所在を特定の教典に求めて
所依としたり、特定の行(
禅、密教など)のみを実践するという方向が指向されたのに対し、チベット仏教では初期仏教から密教にいたる様々な教えを一つの体系のもとに統合するという方向が指向された。
現在の仏教は、かつて多くの仏教国が栄えたシルクロードが単なる遺跡を残すのみとなったことに象徴するように、大部分の仏教国は滅亡し、世界三大宗教の一つでありながら仏教を主要な宗教にしている国は少ない。
玄奘が訪れた時点ですでに発祥国のインドでは仏教が廃れており、東南アジアの大部分はヒンドゥー教、次いでイスラム教へと移行し、東アジアでは中国・北朝鮮は共産化によって宗教は禁止され、韓国は
李氏朝鮮による激しい弾圧の後現在はキリスト教に移行し、わずかに日本とタイ、スリランカに残るのみである。近年でも
タリバーンによる石窟爆破などがあった。
しかしインドにおいては、
アンベードガルにより、1927年から1934年にかけて仏教復興及び反カースト制度運動が起こり、20万あるいは50万人の民衆が仏教徒へと改宗した。また近年においてもアンベードカルの遺志を継ぐ日本人僧・
佐々井秀嶺により運動が続けられており、毎年10月には大改宗式を行っているほか、ブッダガヤの大菩提寺の奪還運動や世界遺産への登録、仏教遺跡の発掘なども行われるなど、本格的な仏教復興の機運を見せている。
各地域の仏教については以下を参照。
- 紀元前5世紀頃 - インドで仏教が開かれる(インドの仏教)
- 紀元前3世紀 - セイロン島(スリランカ)に伝わる(スリランカの仏教)
- 紀元後1世紀 - 中国に伝わる(中国の仏教)
- 4世紀 - 朝鮮半島に伝わる(韓国の仏教)
- 538年(552年) - 日本に伝わる(日本の仏教)
- 7世紀前半 - チベットに伝わる(チベット仏教)
- 11世紀 - ビルマに伝わる(東南アジアの仏教)
- 13世紀 - タイに伝わる(東南アジアの仏教)
- 13〜16世紀 - モンゴルに伝わる(チベット仏教)
- 17世紀 - カスピ海北岸に伝わる(チベット仏教)
- 18世紀 - 南シベリアに伝わる(チベット仏教)
<!--==仏教における人間==
「にんげん」とは、人の間と書く。「間」とは世間とか仲間という意味である。仏教の生まれた時代のインドでは、衆生は
五趣(天、人、餓鬼、畜生、地獄)を
輪廻すると信じられており、人はこの中の1つの世界に偶々生まれているに過ぎないのである。そして、この五趣輪廻の苦から解脱して永遠の安寧を得る事は出来ないとされていた。仏教は衆生がこの苦から解脱するための処世的な側面を持って開かれたのである。五趣はやがて
大乗仏教の時代になると、天の中の闘争的な性格を具する
阿修羅を人の下に置いて、
六道というようになった。
天台宗などでは、さらに天の上に
声聞、
縁覚、
菩薩、
仏の四を加え、
十界の教義を立てた。これによって善業を積んで転生しながら、次々と上の世界に生まれていけば、終に仏になり輪廻から解脱するという階梯が出来たのである。言い換えれば、人間は
悟りへの途中の状態にあるという事が出来る。
さらに、人間誰もが
仏心という心(
仏性)を持っており、それを煩悩が取り巻いているために仏心が顔を出す事が出来ないという、
本覚(ほんがく)という考え方も言われる。
『
大正大蔵経』を創った高楠順次郎は「人間は未完成の仏である。仏は完成された人間である。」と表現している。
-->
文化
仏像・念仏
初期仏教では、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や
仏足石、
金剛座)で間接的に表現していたが、ギリシャ・ローマの彫刻の文明の影響もあり、紀元前後にガンダーラ(現在のパキスタン北部)で直接的に人間の形の
仏像が製作されるようになった。これは、一説では釈迦亡き後の追慕の念から
念仏が起こり、さまざまな
三昧へと発展する過程で、その拠りどころとして発達したと考えられている。現在は
如来・
菩薩・
明王・
護法善神など、さまざまな礼拝対象がある。一般的な仏教(顕教)では、仏像自体は宗教的シンボルとしてのみ意義がある。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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