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日本武道館

日本武道館(にっぽんぶどうかん、Nippon Budōkan)は、東京都千代田区北の丸公園にある屋内競技施設。日本伝統の武道を普及奨励し心身錬磨の大道場としての役割を担うことを設立趣旨とする。しばしば「にほんぶどうかん」と読まれるが、正式な呼称は「にっぽんぶどうかん」である。
運営者は同名の財団法人日本武道館。現在の会長は松永光

地史

日本武道館のあたりは、元々太田道灌江戸城を築城した際に、関東の守護神でもあった築土神社(旧・田安明神)が遷座したところで、のち、徳川家康が入府した際に、関東代官であった内藤清成らの屋敷となったため、代官町と呼ばれていた。その後、徳川忠長徳川綱重らの屋敷を経て、江戸中期以降は徳川氏御三卿であった田安徳川家が屋敷を構えたが、明治維新後取り壊された。

概説

(ぎぼし)
寸法は高さ3.35m、直径5.15m。]] 日本武道館は、1964年開催の東京オリンピックの会場のひとつとして建設され、同年10月3日に落成。設計は山田守法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠である。大屋根の稜線は富士山をイメージしている。
東京オリンピックでは、10月20日から4日間にわたって柔道競技が行われた。
柔道・合気道剣道弓道空手などの武道やダンスマーチングバンドバトントワリングの競技会(大会)・演武会などに使われるほか、コンサート格闘技(プロボクシングプロレスリング総合格闘技)の興行会場、大学や企業などの大規模な入学式卒業式・入社式の会場として等、幅広く使用される。
設立された頃は「日本の武道の聖地」的な意味合いが強かったため、1966年ビートルズのコンサートが行われた際には「日本の武道文化を侮辱する」などとして異を唱える者も多かった。細川隆元もその一人であった。
毎年1月〜2月には全日本書初め大展覧会(正月には大道場で席書大会が行われる)、4月29日には全日本柔道選手権大会(無差別級で競われる実力日本一決定戦)、7月下旬〜8月上旬には各武道連盟と合同で小中学生対象の全日本少年武道錬成大会8月15日には政府主催の全国戦没者追悼式、8月下旬には日本テレビ主催のテレビチャリティー「24時間テレビ」、11月3日には全日本剣道選手権、11月下旬には、自衛隊音楽まつりも行われる。

館内設備等

  • 大道場(アリーナ)は板張りで、柔道の競技場として使用する時はを敷き、コンサートでは養生シートを敷き椅子を設置したりなどする。柔道の際に使用される数百枚の畳はアリーナの地下に収納されている(建物レベルで言う地下3階)。
  • 大道場の天井に掲揚してある日章旗はいかなるコンサート・イベントの場合でも降ろしてはいけないことになっている。
  • 1階固定席は3,199席、2〜3階固定席は7,846席、立見席(3階)は480、アリーナには最大2,946席まで設置できる。
  • 2階スタンドにはカラー電光掲示板が東西スタンド前方の2ヶ所に設置されている。現在の電光掲示板は2005年2月に設置されたもので、小型のカラー液晶モニター付である。
  • 大道場の他、小規模な柔道場と剣道場がある。
  • 各武道の学生連盟事務所や国際武道大学の事務所がある。
  • 擬宝珠の下の部分には12台の換気扇があり、館内の換気を行っている。

格闘技会場としての日本武道館

プロボクシング興行

日本武道館でプロボクシングの試合が初めて行われたのは1965年11月30日の世界バンタム級選手権試合:ファイティング原田笹崎ボクシングジム)vsアラン・ラドキン()戦である。原田はチャンピオンとしての全防衛戦を日本武道館で開催している。
またモハメド・アリ()がマック・フォスターを相手にノンタイトル10回戦を行ったのも1972年4月1日の日本武道館である。
1973年 9月1日、世界ヘビー級王者:ジョージ・フォアマン()が、ジョー・キング・ローマン()を相手に日本武道館で初防衛戦を行い、1ラウンドKOで勝利した。これが日本に於ける初の世界ヘビー級選手権試合であった。
その後も数々の世界選手権試合が日本武道館で開催されており、ボクシングの聖地のひとつともされている。

プロレス興行

日本武道館へのプロレス初進出はオープン2年後、1966年12月3日に行われた日本プロレスの大会で、メーンイベントはジャイアント馬場VSフリッツ・フォン・エリックインターナショナル・ヘビー級選手権試合であった。
それ以降、力道山十三回忌追悼興行アントニオ猪木VSウィレム・ルスカモハメド・アリ異種格闘技戦プロレス夢のオールスター戦など数々のビッグイベントが開催された。1970年代後半は新日本プロレス、1980年代中期以降は全日本プロレスがビッグマッチ用の会場として使用し、とりわけ1990年代の全日本の試合は年間7試合組まれた武道館大会がほぼ間違いなく満員になるという伝説的な売れ行きをみせた。
1999年のジャイアント馬場の葬儀にも日本武道館が使用されている。2000年代に入ると、全日本プロレスから独立したプロレスリング・ノアが定期的に興行を行い、2002年2月には怪我、2007年12月には病気により長期欠場していた小橋建太の復帰戦が行われた。東京ドームのオープン以降はオールスター戦級のビッグイベントはそちらに移ったが、いまなお日本のプロレス界にとって特別な大会場である。

コンサートホールとしての日本武道館

現在では、コンサートやライブなどの、各種音楽イベントでの使用が、日本武道館の使用目的の大きな柱の一つになっている。ただ、元来は音楽目的で建設された施設ではないため、良好な音響を観客に聴かせるのは困難を極める。その改善のために、現在に至るまでさまざまなノウハウが確立されており、このノウハウが地方の多目的ホールでのコンサートに用いられることも珍しくない。
座席数は上記の通り合計最大14471席であるが、コンサートホールとして使用する場合、舞台設営・観覧のしやすさなどのレイアウト面の理由から一般的に1万席前後のホールとして使用される。
日本人の歌手・バンドにとって日本武道館は、極めて重要な位置づけに置かれているコンサート会場である。日本武道館は、会場としての規模の大きさゆえに、興行を実現させ、その興行を収入・内容の両面で成功に至らせる事は容易ではない。そのため、武道館公演の成功は、歌手として「一流」の興行能力を持つ事を業界の内外に誇示する一種のステイタスとしての意味を持っている。
このことから、新人やデビュー前のミュージシャンはもとより、プロの一線級の歌手でさえ、「武道館公演の実現」を憧れとし、これを目標に活動する者は数多い。特にバンド・グループ・アイドル歌手などは、武道館公演が活動の事実上の一つの節目となったり、解散の記念として1度きりの武道館公演を実施したりすることが珍しくない。逆にこのような大規模会場を好まずNHK紅白歌合戦の出場同様に武道館級以上の規模の施設ではライブをしないことを公言しつつ活動するミュージシャンやバンドも、山下達郎(妻である竹内まりやの武道館公演のバックメンバーとして出演したことはある)をはじめ少数ながら存在し、そのまま「大物ミュージシャン」と呼ばれる域にまで至ると、それがむしろ箔となる場合もある。
最近では、東京ドームなどのドーム球場での単独公演、さらには全国大都市のドーム球場を巡回するドームツアーが、「ミュージシャンとして最大の到達点」「日本の音楽ステージの頂点」としてみなされることも多く、絶対的な価値こそ薄れてきているものの、現在においても、日本武道館規模での単独公演は、大きな挑戦であり試練である。そのため、武道館公演に成功し高評価を受けることは、歌手としての集客力や興行力の証明として十分な価値を持っており、現在でも音楽業界・芸能界にとっては一種の聖地的な存在として、格別の意味を持つ重要なコンサート会場であることに変わりは無い。
他方、ミュージシャン・アイドルを擁する大手芸能事務所・レコード会社の中には、「武道館公演を成功させた」「武道館規模以上でなければ観客を収容できない人気がある」というそのステイタスの獲得を目的に、大した実績も無い段階で武道館公演を利用する本末転倒な者が存在している事もまた事実であり、この場合、事務所の後援会やファンクラブを利用した組織的なチケットの大量販売・大量動員などが行われる事も見られる。だが、この場合にしても、特にアイドルグループを擁する芸能事務所にとっては、タレントの肖像・グループのロゴなどを利用した関連グッズの販売が重要な収益源になっているため、大型会場として購入者の大量動員が可能である一方でドーム球場よりも会場使用コストが低い武道館公演は、収益性を考えれば大変に重要なイベントである。
また、当記述の通りの音楽ホールとしての「武道館」の知名度にあやかり、ソニーから簡易ボディソニックシステム及び携帯音楽プレーヤーウォークマン派生の重低音システムとして、「武道館 BOODO KHAN」という商品が販売されたことがある。

武道館公演の歴史

  • 武道館で最初にコンサートをした外国人音楽家はレオポルド・ストコフスキーで、1965年7月に日本フィルハーモニー交響楽団を指揮している。ちなみに60年代はアリーナに客を入れずにコンサートを行っていた。
  • 1966年にはビートルズの来日初公演。その公演の際は、アリーナには機動隊が詰めていた。
  • 1971年1972年ディープ・パープルの日本公演が行われた。その1972年の武道館でのライブをもとにアルバム 『ライヴ・イン・ジャパン』 "Made in Japan" を製作した。
  • 1978年に初来日したボブ・ディランが2月から3月にかけて8回コンサートを行い、この当時におけるツアー最多公演を記録した。1979年、この時の音源を使用したライブ・アルバム 『武道館』 "Bob Dylan at Budokan"発表。
  • チープ・トリックは、1978年4月28日の武道館公演をもとに、翌1979年 『アット・ブドーカン』 "At Budokan" というライブ・アルバムを発表した。当初日本限定盤のこのアルバムが海外に輸出されて大ヒットし、本国より先行して日本では人気を得てヒットしていたバンドと共に一躍、武道館の名前が世界に広がって海外アーティストにも憧れの会場となった。このチープ・トリックのアルバムの大ヒットにより、他のアーティスト達が武道館公演のLIVEアルバムを続々と発売するようになる。英語版ウィキペディアにおける日本武道館の項目には「多くの西欧人にとって Budokan の名は大規模なロックコンサートと同義」と記されている。
  • 1979年 12月3日エリック・クラプトンが4度目の日本ツアーの一環として武道館公演を行い(この日で通算8回目の使用)、その時の録音が1980年にアルバム『ジャスト・ワン・ナイト〜エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館〜』"Just One Night"として発表される。
  • 1980年 10月5日山口百恵引退コンサートが行われる。
  • 1982年 - オフコースが、当時としては最長となる連続公演を行う。オフコース解散後は、小田和正が1990年からコンサートツアーで使用しており、2008年9月現在まで22回行われている。
  • 1983年 12月6日エイジアの武道館公演をMTVが世界に衛星生中継した。のちにこれは 『エイジア・イン・エイジア』 "Asia in Asia" と題してビデオ化されている。
  • 1983年 12月12日 - YMOが、散開ライブを行う。
  • 1985年 12月13日 - 爆風スランプが、初の武道館公演。これに際して『大きな玉ねぎの下で』という曲を作った。この歌のタイトルの「玉ねぎ」とは、日本武道館の屋根の擬宝珠(ぎぼし)のことを意味している。
  • 1986年 - 甲斐バンドが、ファイナルコンサートツアー「PARTY」にて5日間連続公演。
  • 1986年〜1987年 - 長渕剛が、当時のコンサートとしては斬新なセンターステージ方式でライブを行う。
  • 1992年6月16・17日 - 尾崎豊が、初の武道館公演を行う予定であったが、4月に急逝したことで幻に終わった。尾崎は、武道大会で日本武道館を訪れた際に、「ここでライブをやる」と壁に書き残していたという逸話が残っている。既に完売していたチケットは払い戻しとなったが、その幻のライブチケットを記念に残したファンが多く、実際に払い戻しに訪れた者は多くなかったという。
  • 1993年 1月1011、18〜22、24、25日 - 米米CLUBがデビュー8年目を記念して、SHARISHARISM ACEツアーを敢行。この年から、米米は8という数字にとことんこだわり、メンバーの人数が8人、デビュー8年目、米米で八八八八、そして八角形の日本武道館ということで、日本武道館でライヴをした。この年から、8月8日は米米の日と勝手に制定した。
  • 1998年 - フォークデュオのあのねのねが、「武道館内の会議室」でライブを実施。使用料は、ラジオのリスナーからの募金。会議室でライブを行ったのは、あのねのねが初。
  • 1999年 12月31日 - 藤井フミヤが、初めてカウントダウンライブを開催。フミヤは、1995年から毎年大晦日公演を行っており、カウントダウンライブも2008年まで10年連続。
  • 2003年 3月10日ローリング・ストーンズが初の武道館公演を行う。ローリング・ストーンズは初来日公演を日本武道館で1973年1月に行うことを予定していたが直前に来日が中止となっており、いわゆる「幻の武道館」から30年の月日を経ての武道館公演が実現した。
  • 2004年7月 - ASIAN KUNG-FU GENERATION主催のNANO-MUGEN FES.を開催する。
  • 2005年4月1日 - 楽器を演奏する「女性アイドルバンド」としての活動形態を確立したZONEが、解散ライブを行う。
  • 2005年9月6・7日 - さだまさしが、自身の持つソロ・コンサート日本最多回数の記録を塗り替える、3333回目のコンサートを行う。
  • 2007年12月16日 - 矢沢永吉が、初の武道館公演100回を達成。
  • 2008年8月4・5日 - 久石譲が、映画「崖の上のポニョ」公開を記念して、自身が音楽を手がけた宮崎駿監督作品のみでのオーケストラコンサートを開催。200人のオーケストラ、一般公募を含む合唱団等。出演者総勢1200人。

ジャンル別単独初公演

武道館公演に関する記録

  • 史上最多公演アーティスト - 矢沢永吉・藤井フミヤ(総合1位、102回、2008年12月31日現在)
  • 史上最多公演女性アーティスト - 松田聖子(総合2位、85回、2007年12月16日現在)
  • 史上最多公演バンド - THE ALFEE(総合3位、71回、2007年12月24日現在)
  • 史上最多公演海外アーティスト - エリック・クラプトン(総合4位、70回、2007年12月16日現在)
  • 史上最多日数公演 - ハウンド・ドッグ(15日間・1989年
  • 史上1日最多公演 - SMAP(6回)
  • 武道館最多動員数 - SIAM SHADEの解散公演(2002年3月10日
  • デビューから初の武道館公演までの史上最短期間 - 新垣結衣(『SCHOOL OF LOCK!と新垣結衣の heavenly Xmas in 日本武道館』・デビューアルバム『そら』を発売してから、16日後)

その他の使用例

イベント

1970年代から1990年代にかけては、FNS歌謡祭世界歌謡祭東京音楽祭日本歌謡大賞日本テレビ音楽祭日本寮歌祭日本レコード大賞の発表会が行われてきた。その他、日本郷土民謡協会の春季・全国大会もここで行われる。
また、近年では超大作洋画のジャパンプレミア(試写会)も行われることがある。
演芸・お笑いでは、1992年に当時の人気深夜テレビ番組鶴瓶上岡パペポTV」が武道館初となるお笑い・トークライブを開催した。1995年松本人志が客が値段を決める料金後払い制ライブ「松風’95」を、2003年12月に「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称したラジオ番組『放送室』の公開録音を、2007年にはテレビ番組のイベントとして、KILLERSの解散コンサートと鶴瓶松嶋のトークライブの2部構成による「きらきらアフロ in 武道館」を行っている。また、1997年10月には春風亭小朝落語の独演会を行っている。
2007年 7月12日には大韓民国の俳優イ・ビョンホンが写真集販売イベントを行った。のちに、イ・ビョンホンの事務所が韓国のマスメディア向けに提供した写真で、大道場天井の日章旗が白旗に塗りつぶされていたことが、問題となった。

テレビ番組

学校

シーズンにに囲まれる日本武道館]] 入学式や卒業式等で使用。

企業

著名人の葬儀

内閣総理大臣経験者の本葬は、日本武道館で行われる場合が少なくない。

交通

外部リンク


出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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