人物紹介
経歴
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1976年に高校卒業後、役者になりたいという旨を両親に伝えたら「お金になるかどうか分からないような事はやめて、家業を手伝え!」と反対された。しかし、どうしても役者になりたかった難波は尚も食い下がらず「生涯通してやるものを見つけた」と言ったら勘当されたという。
- 親から勘当され絶縁。帰る場所を失った難波は、その後上京し入る劇団を探していた頃、声優の野沢那智が主宰する劇団薔薇座の舞台上でレオタード姿で汗を流す先輩の戸田恵子の姿に魅入られ薔薇座に入団。それからは、芝居がうまくなりたい一心で朝から朝まで稽古場にいたという劇団に縋り付くような日々を送った。
- ちょうどその頃、薔薇座がミュージカル路線に変更した時期で、薔薇座にいた多くの先輩劇団員が退団したため人手不足であった事と、難波はかつてロックミュージシャンを目指していた事もあってある程度歌唱力があったため、入団早々にいきなり戸田の相手役に抜擢され、以後様々な舞台に立ち続けた。
声優として
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1984年に映画『超人ロック』(ロック役)でデビュー。二枚目キャラから三枚目まで、シリアスからギャグまで多数のキャラクターをこなしている。また、初期『トランスフォーマー』TVシリーズでは、初期からVまで、全作品に出演している。
- 『嗚呼!バラ色の珍生!!』、『伊東家の食卓』など、バラエティ番組等におけるナレーションでの需要も多い。
- 近年は声優業としてはアニメ・ゲームに出演する機会は少ないが、ナレーション中心の活動をしている。またインターネット放送等で声優関連企画の講師として顔出しの仕事もこなしている。
補足・エピソード
『タッチ』
- 代表作の1つとしている『タッチ』の上杉和也は、放映当時かなり気合を入れて臨んだが、和也が第1部で事故死するというストーリー上、第2部以降はほとんど登場しないため、悲しい思いをしたという。
- 和也をやっていた頃、共演していた先輩声優によく「難波くん、絵と全然違う芝居やるよね」と言われていた。本人も近年再放送されているタッチを見て、「ずいぶん下手だったなぁ」と感じているという。本人曰く舞台に立っている感覚でやってしまっていたためアニメーションの感覚をいまいち掴めず苦労したと懐述している。
- 和也死亡後は、回想シーンで多少の出番を期待していたようだが、実際には達也や南は写真の前で語ることが多く、和也の台詞が登場する機会はほとんどなかった。浅倉南役の日高のり子は、2部以降難波に「番組まだ続いているんだね。たまに見てるよ。」と沈んだ調子でよく声をかけられたとエピソードを語っている。
- これらもあって、後の劇場版製作にあたってパンフレット上に彼の復活にとてもうれしそうなコメントをしている。
- 上杉達也役の三ツ矢雄二によれば、オーディション時には難波も達也役でオーディションを受けていたという。
出演作品
テレビアニメ
OVA
劇場版アニメ
ゲーム
CD
特撮
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ウルトラマンメビウス(ハンターナイトツルギ/ウルトラマンヒカリ、魔神怪獣コダイゴンジアザーの声)
- ウルトラマンメビウス外伝 ヒカリサーガ(ハンターナイトツルギ/ウルトラマンヒカリの声)
- ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス (ウルトラマンヒカリの声)
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獣拳戦隊ゲキレンジャー(臨獣拳拳士・臨獣イール拳のナギウの声)
人形劇
ナレーション
その他
ラジオ
関連項目
外部リンク
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)