概要
太政官布達により
明治13年(
1880年)2月14日開園。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理している。
都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園 奈良公園」といい、総面積は502ha。周辺の
興福寺、
東大寺、
春日大社、
奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ha(東西約4km、南北約2km)に及ぶ。通常はこの周辺社寺を含めたエリアを奈良公園と呼ぶことが多い。
塀・柵・門などがなく入園料も不要なのでどこからでも、いつでも(365日・24時間)散策することができる。なお、旧「
史蹟名勝天然紀念物保存法」に基づく名称は「
名勝奈良公園」である。
公園内施設
太字は世界遺産。
奈良公園と鹿
公園内の大部分は芝生に覆われ、約1200頭に上る
鹿が放し飼いされている。彼らは観光客に愛嬌を振りまき、首を縦に振って鹿せんべいをねだる姿が人気を集めている。なお、この公園に鹿が放し飼いされていることには以下のような由来がある。
すなわち、鹿は
春日大社の
神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある
鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる(春日大社は鹿島含め3社の分霊)。それゆえ、奈良公園の鹿は古くから手厚く保護されてきており、不慮の事故も含め、殺めると厳しい刑罰を受けた。伝説によると誤って文鎮で鹿を殺してしまった子供が鹿の死骸とともに生き埋めとなり、その墓が奈良公園周辺に残っている。今でも地元の住民は鹿に愛着の念と共に畏敬の念を併せ持つといわれる。
この鹿は野生による繁殖で、基本的には餌付けされていない。その上神格化していたために手厚い保護の下で、個体数を増やしていった。しかし、
明治維新からは手厚い保護への反発から、戦中から戦後しばらくの間は食糧確保のため狩られ、その結果頭数が二桁まで激減した。その後は
奈良市が「
財団法人 奈良の鹿愛護会」を作り、保護に努め、その結果今日の生息数に至っている。この鹿は野生鹿として国の
天然記念物に定められており、故意に傷を付けたり悪戯したりした場合は
文化財保護法違反の罪で罰せられる。その一方で、近年は観光客が運転する
乗用車と鹿の衝突、接触事故が多発しており(鹿の死因のトップにもなっている)、奈良公園界隈の道路では、常に鹿の飛び出しに注意を払う必要がある。「鹿の飛び出し注意」という交通標識まで存在する。
また奈良公園では、鹿が道路を横断して交通を妨げたり、付近の家や敷地に入り込む光景がしばしば見られる。遠くは奈良県庁の庭にも、稀に
近鉄奈良駅までやってくる事もある。深夜にはかなり遠出もしているようで、
JR奈良駅周辺にも出没することがある。過去にはJRの踏切で鹿が電車にはねられたこともあるようだ。
奈良の鹿については保護団体である「奈良の鹿愛護会」が毎年調査しており、
2006年発表の調査によれば、全1248頭(前年比82頭増)、内オス232頭、メス797頭、小鹿219頭である(暫定)。最近では、「奈良の鹿愛護会」の財源不足が深刻であり、観光客に鹿せんべいの購入を積極的に勧めるなどの活動をしているが、根本的な解決には至っていないのが現状となっている。特に観光客が他所の店で買ってきた菓子などを大量に与えるケースも多く、問題化している。
年間行事
交通アクセス
又はJR・近鉄の各奈良駅から市内循環バス外回り「氷室神社・国立博物館」・「大仏殿春日大社前」・「春日大社本殿」下車。
その他の情報
- フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンの作品「7つの俳諧」(1962年)の第2曲には「奈良公園と石灯籠」というタイトルが付けられている。この「7つの俳諧」は、メシアンが1962年に来日し奈良をはじめとする日本各地を訪れた折の印象を作品としてまとめたものである。
周辺情報
外部リンク