藤原公実の四男
実能を祖とする。
平安時代末期、
左大臣時代の実能が衣笠山の西南麓を所有した別邸を営み、その中に持仏堂を建て徳大寺(得大寺)と命名。これが後に家名となった。後にこの別邸は
細川勝元に譲られて
龍安寺の元となった。
徳大寺公英は
美術評論家として有名。なお自動車評論家の「
徳大寺有恒」はペンネームであり、本項の徳大寺家とは全く関係が無い。
以下に歴代当主と、徳大寺出身の人々を時代順に辿る。
- :実父は久我通言。
- :実父は花山院定熙。
- :実父は醍醐冬基。
- :実父は西園寺公晃。
- :実父は鷹司輔平。以後実堅・公純と2代続けて鷹司家からの養子である。
- :実父は鷹司政通。
- :侯爵を授かる。後に公爵に陞る。
- 弟の公望は、後に西園寺家へ養子入りする。
- :弟の則麿は分家し男爵を授かった。
- 弟の宣麿は高千穂男爵家へ養子入りする。
- 1878-1964 徳大寺則麿
- 1889-1970 徳大寺実厚
系譜
凡例 太線は実子、細線は養子。
関連項目
とくたいし
とくたいし
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)