概要
「東側諸国」はソビエトに主導された軍事同盟・
ワルシャワ条約機構の加盟国や、
共産主義国家による国際間経済組織・
経済相互援助会議(コメコン)の加盟国の別名としても使われた。名称の由来は、米ソがヨーロッパを東西に二分したうち、地理的に近かった東欧側をソ連が解放者の衛星国として勢力圏に置いたことに由来する。
米国が
マーシャル・プランにより西側諸国を経済的支配に置いたことを警戒したソ連は東欧諸国にマーシャル・プランのボイコットを呼びかけ、対抗して経済相互援助会議を創設し東西両陣営の対立は先鋭化した。ソ連に「解放」された国々では、宗主国の意向を受けた共産党が
一党独裁体制を樹立し、ソ連を真似た
秘密警察や
強制収容所が各国に創られた。
東ヨーロッパの例外
ユーゴスラビアは「東側諸国」やワルシャワ条約機構加盟国になったことがない。ユーゴスラビアは共産主義国家ではあったが、
チトー元帥率いる
パルチザンが
第二次世界大戦中に
ソ連軍が迫る前に独力でドイツ軍からの解放を成し遂げたため、戦後もソ連の指導力に対して何の忠誠も払わなかった。ユーゴスラビアは冷戦中、中立国であることを宣言し、
非同盟運動の提唱国のひとつとなった。
ソ連の軍事勢力圏
しかし
1980年代後半、
ミハイル・ゴルバチョフの率いるソ連は次第に東側諸国への内政干渉を行わないようになった。ブレジネフ・ドクトリンの廃止とシナトラ・ドクトリン(Sinatra Doctrine)として知られる新思考外交は東欧に劇的な影響を及ぼした。東側諸国の親ソ政権は
1989年の夏から冬までの間に次々と崩壊し(
東欧革命)、東側は終焉を迎えた。
東欧革命以前でも、ワルシャワ条約機構の全ての国が常に集団で行動したわけではない。1968年のチェコスロヴァキア侵攻はルーマニアの非難を受け、ルーマニアは侵攻に加わらなかった。
ソ連の軍事勢力圏にあった国の一覧
※時期は一致しない。東側諸国の一覧ではない。ソ連以下は五十音順。
また、
フィンランドは複数政党制であり資本主義体制であったが、冷戦中は事実上東側諸国の一員だった。
関連項目
外部リンク
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)