略歴・概要
1938年(昭和13年)
6月8日、東京横浜電鉄(のちの東京急行電鉄)の子会社として設立した。社長は同電鉄の
五島慶太、資本金は30万円、興行場の会社としてスタートした。設立に先立つ同年3月、渋谷に開場した「東横ニュース劇場」、同年11月に開場した「五反田東横劇場」を経営する。
1943年(昭和18年)、昭和興業、新宿興業、京浜興業を合併して資本金を50万円に増資、劇場を7館に増やす。
1944年(昭和19年)3月、五島に代り浦川睦臣が社長に就任、翌
1945年(昭和20年)、空襲などで全劇場を喪失する。同年
8月15日の終戦を経て、同年12月、
十条に映画館をオープン、明けて
1946年(昭和21年)
1月1日、渋谷の東横百貨店内に
大映作品と
松竹作品を公開する映画館3スクリーンのほかに、3つの劇場をオープンする。同年2月、東急本社の黒川渉三専務が社長を兼務した。同年内に五反田東横映画劇場を再建、新宿に映画館を開き、「
多摩川園」を吸収合併し、資本金を300万円に増資した。同年11月、同社の定款に映画の製作・配給を加え、大映との提携を進めた。
1947年(昭和22年)、大映との協定を結び、「大映第二撮影所」を借りて製作する準備が始まる。同年9月、資本金を2,000万円に増資、同撮影所を「東横映画撮影所」とし、旧満映のメンバーを中心に製作を開始した。設立第1作は
稲垣浩監督、
上原謙・
轟夕起子主演による『こころ月の如く』で、同年9月16日に大映の配給により公開された。
1949年(昭和44年)5月、資本金を5,000万円に増資、同年9月、黒川に代り比嘉良篤が社長に就任した。同年10月1日、映画配給会社「
東京映画配給」を設立、従来の大映から配給を移管した。移管後の第1作は
松田定次監督、
片岡千恵蔵主演による『獄門島』で、同年11月20日から公開された。同年12月、比嘉に代り鈴木幸七が社長に就任した。
関連事項
註
外部リンク
*とうよこ えいか
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)