来歴・エピソード
- 父親は国鉄(現JR)の職員で、南満州鉄道の職員もしていた。
- 10代の頃は大場政夫に憧れ、ボクシングジムに通った。1973年には京都府高校フライ級1位を獲得(ただし紳助曰く出場者は3人)
- 友人が自宅に来て、母親が自室にまで運んでくれた朝食を布団の中で食べてから登校していた。
- 少年時代に暴走族であったころの話をしばしばネタにしている。中学生の時は学校の窓ガラスを割ったり、教室で盗品を売りさばいたりしており、高校生の頃に車上荒らしで補導されて少年鑑別所に送致された経験がある。
- 高校のとき教師から叱責されたのを機会に「おもろい不良になろう」と改心(?)する。
- 高校時代のあだ名は、泣きながら熱く語る事から「泣き虫みー君」。
- 高校の三者面談で「公彦君はこの学校のゴミです。」と言われたことがあり、芸能界で大成した後に学校へ行くと「君はこの学校の誇りだ」と言われた。それに対して、「ゴミと誇り(埃)やったらかわらへん」と言っていた。
- 料亭に勤めていたことがあり、将来は寿司屋か競艇の選手か漫才師かと考えていた。
- 18歳のとき、B&Bに憧れ、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。同期に明石家さんま、オール巨人、桂小枝などがいる。若い頃には緻密な研究ノートを書いていた。「島田洋七を倒すことに俺の青春を賭けよう」と誓ったが、「結局何もしてないのに勝手に倒れた」と当時を振り返っている。
- 1975年9月に松本竜介(解散後松本竜助に改名)と漫才コンビ紳助・竜介結成。
- 1985年に紳助・竜介は解散。その際、「このままでは太平サブロー・シローや当時はまだ無名であったダウンタウンには勝てない」と発言した。
- 元相方の松本竜助について、著書に「彼が居たから8年もの間漫才が出来た」と記してある。2006年3月に竜助が倒れた際には東京での仕事をすべてキャンセルして大阪へ駆けつけた。同年4月1日に竜助は逝去、葬儀には参列しなかった。
- 石垣島に喫茶店「TOMURU(トムル)」をオープンしている。また、2005年11月に大阪・東心斎橋に「寿司 はせ川」をオープンし、2007年9月には東京・西麻布にもオープンした。
- それまでバラエティ番組とは無縁だった歌手や俳優のバラエティ番組との相性を見抜き、自分が司会する番組に出演させることが多く、円広志や高木美保、misonoのように、それをきっかけに活動の幅を広げていく芸能人も存在する。
- 弟子に島田まさしらがいる。また土建屋よしゆきは高校の同級生である。
- 亀田一家への理解が高く、行列のできる法律相談所において、面識のない亀田一家に対する意見を語ったところ、亀田興毅から丁寧なお礼のメールが来たという。ちなみに亀田興毅はたむらけんじに島田のメールアドレスを聞いたという(たむけんの焼肉屋が亀田家のスポンサーを務めた縁から)。
- 数多くのレギュラー番組を持っているが、火、水、木曜日の三日間は必ず仕事を休むという。(2008年7月7日放送「人生が変わる1分間の深イイ話」より本人談)
- 海外旅行は、絶対にグアムしか行かないことを「メトロポリタンジャーニー」で明らかにしており現在も貫いている。
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M-1グランプリの立案理由については、「世の中、テレビはおろか、劇場に立ったことすらほとんどない、売れない芸人は沢山いる。それでも、そういう子らは夢を見てやってるから、辞めようとしない。そこで、M-1に出られる期限を結成10年にしたら、まあそこで芽があれば、準決勝に出てテレビに映る。運のエエ子らはそこ以外で世に出られる可能性もあるけど、基本的には10年やって芽が出なんだら、お笑いをやめるべき。周りを不幸にする。そのための区切り。」と語っている(2008年7月28日、「人生が変わる1分間の深イイ話」での発言)。
- 90年代の深夜(関東では)番組「クラブ紳助」でゲストの酩酊状態の赤塚不二夫から「テレビに出る顔ではない」と言われ、番組終了時まで会話のない状態が続いた。
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老眼の年齢に差し掛かったこともあり、最近は自前の黒縁眼鏡を着用して番組に出演することもある。特に「一攫千金!日本ルー列島」では大半の回で眼鏡を着用している。
- 長年多くの番組で司会を勤め、数多くの芸能人と共演しているがとんねるずと一度も共演したことがない。本人はとんねるずのみなさんのおかげでしたの食わず嫌い王に出たいと行列のできる法律相談所で語っている。
- 2001年5月某日、関西テレビ「太っ腹!紳助ファンど」収録中、若手芸人「麒麟」田村裕のVTRが気に入らなかった紳助は、客の前で田村の髪の毛をつかみ殴る蹴るの暴行を行った、とアサヒ芸能は報じている。この収録後、「麒麟」と担当ディレクターが番組を降板。吉本興業はアサヒ芸能の取材に暴行の事実を認めた。
傷害事件と謹慎
女性が部屋を飛び出した後、島田は「こいつおかしいねん。殴ってもないのに大声出しやがって」と周囲に怒鳴りちらし、それに対し女性は「あなたに殴られて左耳が聞こえないんですよ。一生聞こえなかったらどうしてくれるんですか!」と反論したが、紳助は「な?こんな口答えする女やから、殴られても当たり前やろ」と周囲に同調を求め、彼女が悪いという雰囲気を作り出しなんとか誤魔化そうとした。
すぐさま被害女性は大阪府警に被害届を提出し、紳助は10月28日付で傷害事件として正式告訴された。島田は警察に訴えられたと知ると同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、犯行時とは態度を一変させ、TVカメラの前で「100対0で僕が悪いです」、「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」といって泣きじゃくって反省している様子をみせた。
これを受けて吉本興業では11月4日まで島田を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組については、各局とも
テロップ(収録した日付など)を挿入して通常通り放送した。ただし『
行列のできる法律相談所』については法律をテーマに扱っているだけにテロップ挿入で放送という訳にはいかず、緊急生放送として事務所の後輩で番組レギュラーである
東野幸治を司会に立てて放送した。
大阪府警大淀署は11月4日、島田を「
加害者」として
傷害罪の疑いで書類送検、検察が略式起訴をし大阪簡易裁判所において30万円の罰金判決が下された。
前述の謝罪会見で島田は「髪をつかんで座らせ、平手で一発」と述べていたが、その後の略式起訴の際には「右手やリュックサックで頭を殴ったほか、髪をつかんで壁に打ちつけ、唾を吐きかけるなどの暴行を加え、約2ヶ月の怪我を負わせた」という犯行事実を認めたことが分かっている。
なお、島田は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、11月8日の『
キスだけじゃイヤッ!』を最後にブラウン管から一時期姿を消した。なお、被害者からは「芸能界を辞めて」と引退を要求されていた、一般からもその声は多かった、しかしわずか2ヶ月ほどの謹慎期間のみで、
2005年1月2日『行列のできる法律相談所』内の生放送にて復帰の挨拶と事件についての謝罪を改めて行って復帰した。
ダウンタウンは紳助のレギュラー司会の代行を勤め、島田の復帰まで繋いだ。
被害女性は事件後休職していたが、
2006年6月限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、
8月4日には被害女性が島田と吉本興業を相手取り、4400万円の
損害賠償を求める
訴訟を
東京地裁に起こしている。また、仕事ができなくなったのは首の
捻挫や
PTSDなどが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めている。
政治について
- 大阪府知事選挙や国政選挙での出馬の可能性についてしばしば報道される。東国原英夫は、島田が「オレは政治家じゃなくて、商人だ。豪商の立場から政治家を応援する」と自らに語ったことがあるとし、転身の可能性について否定している。
- 政治信条に関しては保守主義で、読売テレビ「今夜はシャンパリーノ」で憲法9条がテーマとして取り上げられたとき、「改正したほうが良い」と発言している。
-
2008年
4月27日放送の行列のできる法律相談所にて、橋下徹大阪府知事による4年間の府政によって結果(大阪府の債務など)が出なかった場合、自らが出馬して同知事と争うと冗談で言っていた。また、同日に橋下府知事より、選挙戦での演説におけるアドバイスを求めていた事を同知事によって明らかにされた。作戦は「情に訴える」だったという。
-
2004年の参院選で、民主党から出馬した尾立源幸の選挙運動の応援演説に駆けつけ、トップ当選に貢献した。
現在の出演番組
レギュラー番組
単発・不定期番組
過去の出演番組
CM
現在
過去
書籍
- 紳助の青春の叫び PART5 (1980年11月 レオ企画)
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風よ、鈴鹿へ (1991年7月 小学館 ISBN 978-4-09-363291-1)
- 風が、止まる時 (1990年9月 小学館 978-4-09-363292-8)
- こんな僕でよかったら (毎日新聞社)
- 「いつも心に紳助を」シリーズ (毎日新聞社)
- いつも心に紳助を (1994年10月 ISBN 978-4-620-31030-5, 小池書院 ISBN 978-4-88315-737-2)
- いつも心に紳助を 2
- 新 いつも心に紳助を (1996年11月 ISBN 978-4-62-031144-9)
- いつも心に紳助を ファイナル (1997年5月 ISBN 978-46-2031174-6)
- ラスト・ラン〜おっさんたちの青春が終わった〜 (1995年8月 小学館 ISBN 978-4-09-363293-5)
- 紳助のH・愛・ジョーク (1995年9月 毎日新聞社 ISBN 978-4-620-31076-3, 1998年4月 小池書院 ISBN 978-4-88315-781-5)
- メッセージ (1996年3月 毎日新聞社 ISBN 978-4-620-31106-7)
- 紳助の「メッセージ」 たった一回の人生やもん! (同上の本、1999年4月 小池書院 ISBN 978-4-88315-789-1)
- えせ田舎暮らし (1997年9月 KTC中央出版 ISBN 978-4-87758-053-7)
- 知識ゼロからの金儲け (2000年6月 幻冬舎 ISBN 978-4-87728-970-6)
- ぼくの生きかた (2001年3月 KTC中央出版 ISBN 978-4-87758-205-0)
- 天下の廻りモノオカネの正体 (2001年6月 幻冬舎 ISBN 978-4-344-40115-0)
- いつも風を感じて (2004年11月 KTC中央出版 ISBN 978-4-87758-335-4)
- ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する -絶対に失敗しないビジネス経営哲学- (2007年5月 幻冬舎新書 ISBN 978-4-344-98038-9)
- ニッポンを繁盛させる方法 (2007年11月 共著:東国原英夫 角川書店 978-4-04-710121-0)
松本竜助と共著
- 紳助・竜介のツッパリ魔:反抗の悪知恵 (1981年5月 ワニブックス ISBN 978-4-584-20021-6)
松本人志と共著
- 松本紳助 (2002年1月 ワニブックス ISBN 978-4-8470-1415-4)
- 裏松本紳助 (2002年11月 ワニブックスISBN 978-4-8470-1473-4)
- 哲学 (2003年3月 幻冬舎 ISBN 978-4-344-40332-1)
- 松紳 (2004年7月 ワニブックス ISBN 978-4-8470-1559-5)
雑誌記事
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月刊現代 (講談社)
- 2005年9月号 - 本誌〔現代〕独占!120分 復帰から7ヶ月--吉本女性社員「暴行事件」を初めて語った 島田紳助 涙!--あの事件のこと、芸人とは、そして僕の未来 (共著:中田カウス・増田 晶文)
-
週刊文春 (文芸春秋)
- 2008年8月14日・21日夏の特大号(2490号) - [独占告白]スキあらばエッチするという姿勢は一パーセントでも持ち続けたい 独占告白 島田紳助「視聴率王」の苦しみ--「羞恥心」成功から、株、不動産、"黒い交際"まで、すべてを語った
CD
- 1981年ごろ、島田がボーカルを務める「紳助バンド」(ギターを弾けない村上ショージ、ベース・Mr.オクレ)として活動。
- 時間だけがロックンロール(1981年。作詞も)
- 東京コミュニケーション(作詞。紳助バンド)
- 1982年 『い・け・な・い・お化粧マジック』(明石家さんまとデュエット)
- 1990年には「島田紳助&バスガス爆発楽団」を結成する。
- 1991年 ダウンタウンのアルバム『万力の国』に楽曲提供。
- 1999年07月28日 島田紳助プロデュースの演歌「大阪の女」で島谷ひとみがデビュー。
- : 紳助の人間マンダラの企画から。
- 2006年08月30日 島田紳助作詞の演歌、香田晋「おかあさん」がリリース。
- : カシアスRECORDSの企画から。
- 2007年01月07日 RYOEIのアルバム『DEAI』がリリース。
- : アルバム内の「我が敵は我にあり」を作詞。
- 2007年09月26日 島田紳助作詞の曲、Pabo「恋のヘキサゴン」がリリース。
- : クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年04月09日 島田紳助作詞の曲、羞恥心「羞恥心」がリリース。
- : クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年06月25日 カシアス島田(島田紳助)作詞の曲、羞恥心「泣かないで」がリリース。
- : クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年10月22日 カシアス島田作詞の曲、クイズ!ヘキサゴンIIのアルバム「WE LOVE ヘキサゴン」がリリース。
- : クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。アルバム内に入っている曲すべてを作詞。
- 2008年10月29日 misonoシングル「家族の日/アブラゼミ♀(大阪バージョン)-ピアノ・バージョン-」がリリース。
- : アルバム内の「アブラゼミ♀(大阪バージョン)-ピアノ・バージョン-」をカシアス島田名義で作詞。
- 2008年11月07日 島田紳助作詞の曲、RYOEI「我が敵は我にあり」がリリース。
- 2008年11月12日 カシアス島田作詞の曲、里田まい with 合田兄妹「もうすぐクリスマス」がリリース。
- : クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年12月10日 カシアス島田(島田紳助)作詞の曲、羞恥心「弱虫サンタ」がリリース。
- : クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
プロデュースしたユニット
クイズ!ヘキサゴンIIでのユニット
映画
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じゃりン子チエ(1981年/東京ムービー新社)マサル役で声の出演
- ガキ帝国 (1981年/ATG)リュウ役で映画初出演、スクリプター
- マンザイ太閤記(1981年/東京ムービー新社)
- 次郎長青春篇 つっぱり清水港 (1982年/松竹)森の石松役
- 逃がれの街(1983年/日本テレビ、田中プロ)米倉役
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瀬戸内少年野球団(1984年/ヘラルド・エース)正木二郎役
- 星くず兄弟の伝説(1985年/「星くず伝説」プロジェクト)「ひょうきんベストテン」司会
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ゴルフ夜明け前(1987年/東宝)桂小五郎役
- 死霊の罠(1988年/ジャパンホームビデオ)
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佐賀のがばいばあちゃん(2006年)スポーツ用品店店主役(友情出演)
脚本・監督
Vシネマ
- 新・童貞物語2 Close to you あなたのそばに (1991年/バンダイビジュアル)
- 殺しやPAZUZU (2000年/ミュージアム)
ゲーム
受賞歴
- 第1回 日本映画批評家賞 特別賞(映画「風、スローダウン」)
- 第17回おおさか映画祭 新人監督賞(映画「風、スローダウン」)
- 卒煙大賞(2004年、過去にthe brilliant greenやaikoらが受賞した賞)
関連項目
主な友人
外部リンク
脚注
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)