太陽黄経が270度のときで、
北半球では
太陽の
南中高度が最も低く、一年の間で
昼が最も短く
夜が最も長くなる日(実際には数日ずれる。詳しくは
昼を参照)。『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。
日本では、この日に
柚子湯に入り、冬至粥(小豆粥)や
南瓜を食べると
風邪をひかないと言われている。中国北方では
餃子を、南方では湯圓(餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣がある。
なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃であり、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃である。
また、南半球では昼と夜の長さの関係が北半球と逆転するため、天文学的な冬至とは別に、慣習的に「一年中で一番
昼が短く
夜が長い日」のことを冬至と呼ぶことがある。すなわち、南半球が慣習的な意味での冬至を迎える日は本来の
夏至である。
朔旦冬至
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた
太陰太陽暦では、冬至を含む月を
11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が
11月1日となることがあり、これを
朔旦冬至(さくたんとうじ)という。太陰太陽暦では、19年7閏の周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切替となる年を新しい章の最初の年という意味で「
章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりにあたる7番目の
閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように
暦法が作られるのが原則とされていた。
朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づく
暦が正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、
659年に偶々
遣唐使が
唐の都・
洛陽に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった
桓武天皇の
784年に初めて儀式が行われた。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する
御暦奏も行われていた事から、非常に盛大な行事となった。
ただし、
破章法を採用している暦では19年7閏が守られない場合があり、その場合新しい章の最初に朔旦冬至が到来するとは限らず、逆に章の途中で偶々朔旦冬至が到来してしまう事態(臨時朔旦冬至)も生じた。日本ではこのような状況を放置する事は不祥ととして、暦を人為的に操作して朔旦冬至を到来させたり回避させる事(「
改暦」)が行われた。なお、後には章の最初以外の朔旦冬至も祝われるようになった。なお、
1768年の
光格天皇の時に朔旦冬至の儀式が行われたのが最後であり、次の
1870年の朔旦冬至の際に
明治政府は古い因習として、以後こうした儀式は行わない事とした。
七十二候
- 初候
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乃東生(なつかれくさ しょうず) : 夏枯草が芽を出す(日本)
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蚯蚓結(きゅういん むすぶ) : 蚯蚓が地中で塊となる(中国)
- 次候
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麋角解(びかく げす) : 大鹿が角を落とす(日本)
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麋角解(さわしかの つの おる) : 大鹿が角を落とす(中国)
- 末候
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雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる) : 雪の下で麦が芽を出す(日本)
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水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(中国)
前後の節気
とうし
とうし
とうし
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)