朝廷(ちょうてい)とは、
天子が政事を行う場所。転じて
政府のことをさす。
中国の朝廷
中国の朝廷は皇帝を中心とし、丞相などの宦官を含めた中国古来の政府である。
中国の皇帝は日本の天皇と同じく、建国者(高宗)の男子子孫がこれを継いだ。また中国では国内で戦争が起こりその勝者が皇帝に対し禅譲を要求して皇帝となり国号を変え前皇帝の男子の子孫でない別の者が皇帝となっている。その後同じように男子に世襲される。
ちなみに中国国内で皇帝の位を帝位と呼び、通常はこれをとることは不義不忠とされているが、現在の皇帝に不満がある場合国民などが帝位に着くことを望んだ場合帝位に上る。しかし例外もありその場合違うものがこの皇帝を倒し善政を敷いた。
ちなみに今は清王朝後、朝廷は存在せず、中国共産党が中国を仕切っている。清王朝最後の皇帝溥儀は満州国の皇帝となっている。この場合朝廷的体質ではなく明治後の日本の政府のような体質であり朝廷とは呼びづらい。
日本の朝廷
古代(
奈良時代、
平安時代)から中世前期(
鎌倉時代)における
日本では、天皇を中心とした政治体制が維持されており、国家における天皇が政治を行っていた政府(御所)のことを意味することが多い(ただし、皇位から離れた天皇(
太上天皇)が実質の政務を行う
院政も「天皇家の当主」を中心としていることでは差異はほとんどない)。「朝廷」の言葉の由来は、
大宝律令が成立し朝廷の政治体制が確立された
奈良時代は、政治や会議等は早朝から始められ午前中に開かれていたことによる。
武家政治の時代においては、
征夷大将軍が主宰する政府(幕府)についても「朝廷」と言うことがある。一般的には、
幕府に対応する言葉としてよく使われるが、これは天皇・貴族武家を対立した存在として捉えるようになった近世以後の考えからの影響が強い。実際には
鎌倉幕府の
摂家将軍や
親王将軍、
江戸幕府の大政委任論のように、幕府もまた朝廷の実質とは一線を画しつつも、朝廷から分離してその存在を考えることはできないものであった。
明治時代以降は幕府の消滅により「朝廷」と呼ぶことが減り、「政府」の呼び名が定着するようになる。しかし
明治維新においては、皇位を除いて朝廷の諸制度もすべて廃止されたので、明治以降の政府は実質的には新しく生まれ変わった行政組織である。
戦後は明治政府下で朝廷の諸制度が廃止されており、更に天皇は元首の座を連合軍により引きずり下ろされその後朝廷は復活せず、戦後以降は日本国始まって以来天皇が頂点である朝廷も政府も存在しない状態である。
関連項目
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)