欧米諸国における「中東」の概念
日本における「中東」の概念
このような不確かな概念にも係わらず、日本で中東の概念が広く用いられているのは、広大な範囲に広がる
イスラム教国の中から
東南アジア・
南アジア・
ブラックアフリカなどイスラム以外の
宗教と入り乱れてまとまった地域を形成している国々を除外し、逆にイスラム教国に取り囲まれているがイスラム教国ではない
イスラエル・キプロスなどを組み込んだ地域を「イスラム」という言葉を用いずに表現するのにもっとも適当な概念だからであろう。特に地理的にはアフリカに属すが、政治的・文化的には西アジアの
アラブ諸国と同じ
マシュリク(東アラブ)に属すエジプトを西アジアと一体の地域として扱うためには非常に便利な地域概念と思われる。
アメリカの中東戦略
冷戦崩壊以降、国際安全保障環境は民族・宗教対立の表面化、核拡散、国際秩序の地域分化などが顕著となった。
アメリカは、産油国でありながらかつ紛争の絶えない中東への介入を強め、湾岸戦争を皮切りにリビア、イランとの対立を深めてきた。
2001年における4年ごとの国防見直し(QDR)においては中東から東アジアにかけての広い地域を
不安定の弧と位置づけ、対アジア戦略の中枢に据えてきた。中でも中東は紛争の絶えない地域でありアメリカの世界戦略の軸とされてきた。
しかし、
国際法上、テロに対する戦争が困難だったアメリカはテロ支援国家を攻撃することによりこれに対抗しようとした。その結果が
アフガニスタンの
タリバン政権打倒であり、
イラク戦争であった。イラク戦争をはじめとするアメリカの中東戦略は
国連安全保障理事会の承認を経ずに自国とイギリスを中心とした有志連合によって攻撃をしたため、国際社会から批判の声も上がっている。
イラクでははじめての国民投票が行われ新政府樹立に向けた機運が高まっているが、依然として中東における治安や復興、或いは宗教上の対立は深刻であり、21世紀の安全保障課題の中心的な課題のひとつとして今後も動静が注目される。
日本との関係
第一次世界大戦と第二次世界大戦前の中東は欧米列強の侵略に悩まされた地域であり、
日露戦争において日本が欧米列強の一員である
ロシアに対して勝利した事は、中東諸国を含めたアジア諸国に大きな希望を抱かせた。この結果、常にロシアからの脅威を受けていた
トルコはじめ
アラブ諸国には親日国も多い。また1970年代の日本赤軍によるゲリラ活動により親日感情を持つものも多いという事実がある。特に日本にとっては豊かな産油国であるこれらの国との関係はエネルギー安全保障上において重要なパートナーであり、日本から
東南アジア、
インド洋、そして中東にかけて伸びる海洋交通路即ち
シーレーンの防衛が課題となっている。
アメリカによるイラク戦争の開戦後は、日本もアメリカの同盟国としてイラク戦争の後方支援並びにイラク戦後復興支援に尽力している。このため、日本のイラク復興支援は「アメリカにいわれるがまま」であるとか、「本当にイラクのためになっているのか」、「自衛隊の派遣は許されるのか」という批判もあり国内では大きな議論となっている。前述の親日感情を帳消しにしかねず、対米配慮と石油戦略という最重要国益をいかにして両立させるかという困難な問題がある。
前述のように、一面では中東との関係は少資源国である関係上非常に重要な意義を持っており、シーレーンの到達点にあるイラクの戦後復興は日本にとっても国益になり、日本とイラクを結ぶシーレーンの安全も重要課題であることも重要な問題である。
また、クルアーン(コーラン)第9章5節「多神教徒は見つけ次第殺せ」の思考が根強く、日本への理解が広まると同時に、宗教に関する無節操さに嫌悪感(原理主義者は明確な殺意)が生じている側面も存在する。
中東の国 - 首都の一覧
関連項目
関連サイト
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