大学(だいがく)は、学術研究および教育の最高機関。日本の現在の学制では
高等学校もしくは中等教育学校卒業者、通常の課程による12年の学校教育を修了した者、または、これと同等以上の学力を有する者を対象に専門的な
高等教育を行うものとされている。学生の教育課程と修了要件の充足に応じて
学位(
学士・
修士・
博士)の
学位授与を行う。(なお学位の名称・定義も国や地域によって異なる)
歴史
高等教育機関、大学の歴史
大学の定義によるが、高等教育機関の歴史で言うと、
が最古のものとなる。
ラテン語起源の "universitas" で呼ばれたものという基準でみると、
イタリアの"Alma Mater Studiorum" (
1088年設立、現在の
ボローニャ大学)になる。
紀元前7世紀設立の
タキシラの僧院では卒業生に学位にあたるものを与え、紀元前5世紀設立の
ナーランダ大学でも学位にあたるものの授与のほかに、今の
大学院にあたるコースも行っていた。
また修学とともに学位にあたる称号を授与する慣習は
で行われていた。
中国の古代の伝説では『漢書』儒林伝では、「夏は校と曰い、殷に庠と曰い、周に序と曰う」とある。
周朝では辟雍と呼んだともいう。しかし、高等教育機関の名として大学の名称が周のものとして伝えられるものに由来することが有名である。
礼記王制「天子命之教然後為學。小學在公宮南之左、大學在郊。天子曰辟癰、諸侯曰頖宮」
それ以後は、
等の名で呼ばれた。
- 一般市民の教育について、
- 統治者の子どもの(次世代の統治者としての)教育;統治、侵略者からの領地の防衛、浪費を防ぐ術 など
議論していた。これらの活動は
11世紀の
西欧の大学の予兆となる。
大学(universitas, ラテン語起源)或は中世以降ヨーロッパの大学の歴史
12世紀から13世紀の間の社会の専門職化の増大に伴って、同様の要求が職業的聖職者に対しても増大した。12世紀以前には、ヨーロッパの知的生活は
修道院に託されていた。修道院は、もっぱら
典礼と祈りの研究に関わっており、少数の修道院が本当の知識人を誇ることができた。
教会法と
秘蹟の研究についての
グレゴリウス改革の重点化に従って、司教は、教会法に基づいて聖職者を養成するための、さらに説教と神学的議論で使うための論理学や論争、より効果的に財務を管理するための会計学をふくむ教会運営のより世俗的側面においても聖職者を養成するための大聖堂附属の学校 (cathedral schools) を組織した。
学習は、教会の
ヒエラルキー内での昇進に不可欠になり、同じように教師は名声を集めた。しかしながら、需要はすぐに、本質的に一人の教師によって運営されていた大聖堂附属学校の容量を越えた。なお、そのうえ、大聖堂附属学校の学生とより小さい町の市民との間で緊張が高まり、大聖堂附属学校は
パリや
ボローニャのような大都市へ移転した。
近代的大学の前身は、そのルーツをパリに見ることができるという見解もある。市民と学生の間の緊張と教会による知識人の指導の検閲に不満だった、アベラールとその他の人は、中世のギルドに擬せられる、大規模で自律で永続的な高等教育機関である Universitas(統合体) を組織した。
13世紀に、教会における最高位の職務の約半数が修士学位所持者によって占められ(大修道院長、大司教、枢機卿)、次に高位の職務の三分の一以上が修士によって占められていた。加えて、中世最盛期の何人かの偉大な神学者、
トマス・アクィナス、ロバート・グローステステは、中世の大学の産物である。中世の大学の発展は、ビザンツやユダヤの学者からのアリストテレスの広くいきわたった再導入や、アリストテレス主義の思想を支持してのプラトン主義や
新プラトン主義の人気の衰えと符合する。
中世の大学の特徴
中世の大学は、キャンパスを持たなかった。授業は教会や家のように場所が使える所ならどこでも行われ、大学は物理的な場所ではなく、"universitas"(教師のギルドと学生のギルドが1つにまとまった組合団体の意)として互いに結び付けられた諸個人の集まりだった。この呼称で知られる高等教育機関としての大学は、まさに中世のイタリアから始まったものであり、それ以外の世界各地にあったという古代の教育機関とは直接の派生的な関係はない。
大学は一般に、教師に給料を支払う者に依存する2つのタイプに従って構成されていた。第一のタイプはボローニャにおけるもので、学生が教師を雇い給料を支払う。第二のタイプはパリにおけるもので教師は、教会から給料を支払われる。この構造的な違いは他の特徴を作り出した。ボローニャ大学においては学生が全てを運営した――事実しばしば教師は大変な重圧と不利益のもとに置かれた。パリでは教師が学校を運営した。従って、パリではヨーロッパ中からの教師にとって第一の場所になった。パリでは、教会が給料を払っていたので、主題的な事柄は神学だった。ボローニャでは、生徒はより世俗的な研究を選び、主な主題は法学だった。
大学の研究は学士号のために6年かかり、修士号や博士号のためにはさらに12年に及んだ。最初の6年は、
自由七科(算術、幾何、天文、楽理、文法、論理、修辞)を研究する哲学部(faculty of the arts)に学んだ。当時ポピュラーな教授法だったスコラ学との緊密な結びつきがあるために、最も重視されたのは論理学だった。
ひとたび学士(Bachelor of Arts)を取得すると、学生は修士や博士となるべく三つの学部―法学部、医学部、神学部―から1つを選ぶ。神学は学問のうち最も名望のある領域で、かつ最も難しい領域だった。
課程は主題やテーマによってではなく書物に従って設けられる。例えば、ある課程は
アリストテレスの書物あるいは
聖書からの書物に基づいてあるかもしれない。課程は選択ではなく、課程の設置は固定され、全員が同じ課程をとらなければならなかった。しかし、どの教師が使用するかにしたがって臨時の選択があった。
学生は大学に14、5歳の時に入った。授業は、午前5時か6時の開始が普通であった。
学生は聖職者と同様の法的保護を与えられた。この仕方で、だれも学生に肉体的な危害を与えることを許されず、学生は教会裁判所において犯罪のために審問されるのみであり、従っていかなる
身体刑からも免れていた。このことは学生に都市環境においてとがめなく世俗法を犯す自由を与えた。実際、多くの乱用がなされ、盗み、強姦、殺人は、ゆゆしい結果を直視しない学生の間では珍しくはなかった。このことは世俗的権威とともに不安な緊張へと導いた。学生は時々都市を去り何年も戻らないことによって「ストライキ」した。これは、(学生によって始められた)暴動が多数の学生を死に至らしめた後、
1229年のパリ大学ストライキにおいて起こった。学生はストライキしつづけ、二年間戻らなかった。
以上のように学生は法律上聖職者的な地位をもつため、女性が大学に入学することは許可されなかった(女性は法によって聖職者になることを禁じられていた)。
大学の研究のためのポピュラーな教科書は、
ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』といわれる。神学生や修士はカリキュラムの一部としてこの教科書について広範な注釈をかくことを要求された。哲学と神学における中世思想の多くは、スコラ的な文献注釈に見出される。なぜならスコラ学は非常にポピュラーな教育法だったからである。
ヨーロッパにおける国際的な卓越性をもつどの大学も
神聖ローマ帝国によって「ストゥディウム・ゲネラーレ」(Studium Generale)として登録された。この施設の構成員は、異なったストゥディウム・ゲネラーレにおける講義課程をしばしば与えるので、ヨーロッパ中にかれらの知識を広めるよう奨励された。
近代以降の発展
米国では
1636年に
ハーバード大学(最初はHarvard Collegeとして)が、続いて
1693年に
ウィリアム・アンド・メアリー大学(College of William and Mary)が設立され、
1749年には
ペンシルバニア大学(University of Pennsylvania)が誕生する。
自然科学は、長く各国の科学アカデミーのレベルで研究が進められた。
19世紀に至り、哲学から心理学、社会学、教育学などが分離、民俗学や遺伝学、生理学、物理学などが急速な発展を遂げ、19世紀は今日の大学の基本的な諸分野が、ほぼその骨格を現すことになった。特に重要なのは言語学者でプロイセンの政治家としても有名だったフンボルトがその骨格をつくったベルリン大学である。国家からの学問の自由を志向し、なにより研究を大学の重要な機能としたベルリン大学は、各国の大学のモデルとなり、その産業形成を支えた。
20世紀になってからは、欧米以外の世界の各国でも多くの大学が誕生してくるようになる。ヨーロッパでは、人文自然科学でも理論的な学問研究が、大学の主要学部とみなされた。また、経営学や音楽、美術、工学などは単科大学や大学校(例えば、ドイツでは大学をいうUniversitätよりも、格下、もしくは別種のものとしてHochschuleとして区別している)はやや差別的な位置づけをされていたものが、徐々に大学の構成学部として認知されるようになってきた。
21世紀に入ると、情報科学、社会福祉、都市開発などで従来にはなかったような新しいコンセプトの学部も、世界各国のそれぞれの国内事情に対応して誕生するようになってきた。
日本の大学教育
日本の大学の成立と変遷
近代日本の大学教育は西欧を起源としているが、そもそも日本では律令制下において
大学寮があり、博士が教鞭をとって優秀な人材の育成にあたった。庶民の入学も可能で、卒業した場合は八位に叙せられた。また、大学の他、
国学も起こり、郡司の子弟などが入学した。
しかし、次第に大学寮が衰退するにつれ、有力貴族によって設立された大学寮付属の寄宿舎兼学習室が発達した。これが
大学別曹である。その主なものとしては
和気氏の
弘文院や
橘氏の
学館院、皇別氏族である
在原氏の
奨学院など、皇室の外戚である
藤原氏の
勧学院いずれも平安初期の創建である。中でも、勧学院においては藤原氏の勢力を背景にして有力氏族の大学の中で最大規模であった。そうしたことから、勧学院の雀蒙求をさえずると評された。そして、大学別曹が発達していくにつれ、本来は官吏養成機関であった大学寮は変質していった。大学寮の試験も情実で行われるなど形式化し、貴族の推薦で入学するという例が多くなった。また、教官側も
世襲化してその学問は
家学化していき、寮外の自宅などで講義を行うようになっていった。そのため、大学寮は平安末期には有名無実化してしまい、大学別曹も貴族の衰退とともにかつての隆盛を失った。その後は、
足利学校や
比叡山、
根来寺、
高野山、江戸幕府の学問所などで僧侶たちが日本の高度な学問レベルを維持したが、民間でも江戸時代に
懐徳堂が立てられるなど、各地で大学レベルの高等教育が盛んに行われた。それらが幕末維新後の日本に西洋風の大学制度をスムーズに根付かせせる下地を作ったと言える。
明治初期の頃、明治政府の政策により、蘭学を学ぶ場となっていた
開成学校が、幾多の変遷を経て大学校になった他(1868年)、その他の国立大学も次第に創設されていった。その後、
帝国大学令に基づいて地方ごとに
東京帝国大学(大学校から改称(1886年))を中心として国立大学が成立していった。一方で専門学校であった私立の学校も
大学令(1918)の下で私立大学として成立していった(
旧制大学)(旧制大学名については、「
旧制大学」の項目を参照)。大学は当初、大学部の他、専門部等を置くなどの変遷を経たが、その後、4年制の学部と上級課程に5年制の大学院が置かれた。1948年以降、大学院に修士課程が創設され、大学院は2年制の修士課程、その後の博士課程に分割された。今日の制度はほぼ戦後初期に成立したものをそのまま踏襲しており、多少の法改正・制度改革を経て今日に至る。現在の日本では、女子学生のみの
女子大学は存在するが、男子生徒のみの男子大学というものは存在しない。
日本の大学教育
大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的としている(
学校教育法第83条)。換言すれば、大学教育の目的とは、広範にわたる知識の獲得と諸分野の専門的な
教育研究を行うことで、拡大・深化した知見と柔軟な思考力を備えた知識人を育成することであるといえる。この目的に照らして、大学の内部は専門分野ごとに、
学部や
学科・課程などの教育研究組織に分かれている。教員と学生は、それら個々の教育研究組織に所属し、教育研究活動を行う。
大学院重点化大学では、教員は、学部の専任教員ではなく、
大学院の研究科の専任教員となる(学部については、兼務の一つとされる)。大学院の研究科に代えて、教員の所属(研究部)と学生の所属(教育部)を分けている大学もある(
研究部・教育部制度参照)。また、大学院のみの大学、
大学院大学も存在する。
なお、深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成することを主な目的とする大学は、その修業年限を2年又は3年とし、
短期大学と称する(学校教育法第108条)。また、大学又は大学院に相当する教育を行うと認められ、その課程を修了すると学位の取得が可能(学校教育法第104条第4項2号)な文部科学省所管外の機関として
省庁大学校も存在する。
だが、。しかしこのようにヨーロッパを唯一の基準として物事をみるのはヨーロッパ文明至上主義的な意見であるという意見も近年提示されている。
ため、「大学は遊ぶところ」というイメージが強い。2007年5月21日読売新聞大阪版には、授業中の私語が絶えないとの内容が書かれている。
)、。もっとも、。大学に代わる、
ビジネスを専門に学ぶ高等教育機関の存在も求められているといえる。そのため、
専修学校制度が発足した。この点は議論が分かれるところであるともいえる。
入学者・受験資格
日本においては入学者の経歴は形式上単一化している。それは、直接的には第2次大戦後教育制度を単線型にしたことによる。すなわち、
高等学校卒業が入学の条件となっている。
近年、文部科学省は中等教育の多様化を掲げ、中等教育学校という制度を発足させたが、大学入学者の経歴の多様化にはならない。これは社会制度上は、ある意味、近代日本における大学制度の本質である。それは、戦前の旧制度においても同様であり、帝国大学入学者は実質的にすべて旧制高等学校の卒業者であった。
大学入学資格をもつ者
以下の国内の教育課程を卒業・修了した者(見込みを含む)
-
高等学校又は中等教育学校を卒業した者
-
特別支援学校の高等部又は高等専門学校の3年次を修了した者
- 外国の高等学校相当として指定した外国人学校を修了した者
- 文部科学大臣指定専修学校高等課程を修了した者
- 旧制学校等を修了した者
- 国際的な評価団体(WASC、ECIS(CIS)、ACSI)の認定を受けた外国人学校を修了した者
以下の国外の教育課程を卒業・修了した者(見込みを含む)
- 外国において、学校教育における12年の課程を修了した者
- 高等学校と同等と認定された在外教育施設の課程を修了した者
以下の資格保有者
- 国際バカロレア、アビトゥア、バカロレアなど、外国の大学入学資格の保有者
- 高等学校卒業程度認定試験(旧大検)に合格した者
- 大学において個別の入学資格審査により認めた者
大学編入資格をもつ者
教育課程
修業年限は4年で、最大8年を在籍できるとする大学が多い。また医学、歯学、獣医学、臨床薬学などの修業年限は6年で、この場合最長12年まで在籍できることが多い。つまり、最長修業年限を最短修業年限の2倍とする場合が多いのである。
修業年限が4年の場合は3年以上、修業年限が4年を超える学部の場合は3年以上で文部科学大臣の定める期間在学し、卒業の要件として定める単位を優秀な成績で修得したと認める場合は早期の卒業が認められている。(
学校教育法第89条)
多くの大学では
単位制を導入しており、進級、卒業するためには規定の単位の取得が必要である。単位は主に規定の点数を下回った場合には認められない。規定の単位には
文系では
卒業論文、
理系では
卒業研究が含まれることが多い。なお、
医学部、
歯学部、
獣医学部、
薬学部、
法学部については、国家試験合格が事実上の資格審査であるとして卒業論文を課さない大学も多い。また、
芸術学部、
建築学科などでは専攻により卒業論文に代えて
卒業制作、音楽学部では卒業演奏や卒業制作(作曲)に置き換えられていることもある。
大学を
卒業すると
学士の
学位が授与される。。また、カリキュラムによっては各省庁の認定を受け、
養成施設になっており、卒業時に免許取得、あるいは試験の一部の免除になるカリキュラムも少なくない。
中退者の理由の内訳は明らかにされていないが、日本の場合は学業の不振というよりは、。特に、
就職氷河期世代の場合、親のリストラにより、途中で退学せざるを得ない事情があった者がきわめて多いと考えられる。
なお、学士取得者を主な対象とする発展的な教育研究の場として、
大学院を設けている大学が多い。また、学部を設置しない大学院のみの
大学院大学もある。
学生生活
日本の大学(学部)の入学者は、18歳で
高等学校を卒業してすぐの者が大多数を占める。高等学校在学中に
大学受験に合格することを
現役合格といい、高等学校卒業後に大学入学を志願する者を
過年度生という。過年度生の多くは高等学校卒業後に大学に進学せず、大学受験に向けて専業的に学ぶ者(俗に
浪人生という)である。浪人生が、高校卒業の翌年に入学することを俗に1浪といい、2年後に入学した場合は2浪と、数が増えていく。いわゆる難関校や医学部・獣医学部・芸術系の学部には、2浪以上の者も珍しくない。過年度生を含む大学(学部)の進学率は、44.2%(平成17年度)となっている。また、過年度生には、浪人生以外にも、就職後に入学した者や(
社会人入学者と呼ぶ)、他の大学を卒業後や中退後や在学中に
再受験し入学し直す者(再受験生と呼ぶ)も含まれる。
逆に高校を2年で終え、3年目を飛び越して大学に入学する
飛び級、飛び入学のケースもあるが、日本では例外的な扱いとなっており、
千葉大学など一部の大学の一部の学部で限定的に実施されているのみで、このケースの入学者は極めて少ない。
学生生活は、
文系と理系で大きく異なる。概して、文系は必修科目(卒業するために必ず取らなくてはならない科目)が少なく単位選択の自由度が高い上、教員から課される課題も多くはないため(
教養学部や
外国語学部のような例外もあるが)、単位取得のための受講と学習・研究に割く時間は理系に比べて少なくなりがちで、自由な時間が多いから勉強しないで遊び惚ける学生が多い。文系は留年になるケースは少なく。他方、理系は専攻の専門分化が厳密であることが多いため、必修科目が多く単位選択の自由度が低い。そしてその性質上、実験や演習が課されて拘束される時間が長く、それに伴って単位取得のための受講と学習・研究に要する時間が多くなりやすく、それ故一概には言えないが、文系に比べると
留年する可能性が高い傾向にある(特に学生生活が長い医歯薬系はその傾向が高い)。
学部の1年次・2年次には、学問に共通の基礎的教養を学ぶ、いわゆる
教養科目が多く配当され、比較的時間に余裕があるため余暇活動にも勤しむ。3年次からは学部専門の領域を学ぶ、いわゆる
専門科目で占められることが多いため、学習と研究に要する時間も多くなる。また、3年次後半以降は、卒業後の進路を決めるための
就職活動に入り、卒業後に志望する企業やその業界の調査・研究・応募(エントリー)が本格化する。4年次に入る頃には企業の採用内定を確保する者も出始め、4年次の半ばにはほぼ就職活動も収束するケースが多い。これと相前後して、4年間の大学における学習と研究の成果を集成した卒業論文・卒業研究の立案・作成が始められる。多くの大学では、卒業論文・卒業研究が卒業の要件とされており、これを提出せず、または、提出しても基準に達していないと判定されると、卒業できず留年となる。。ちなみに、留年には、この他、卒業要件となる単位の不足が原因となることや、あえて卒業を先延ばしする自主留年もある。自主留年の理由としては、
国家資格取得や大学院進学のための学習を続け、あるいは就職活動を続けるのに都合が良いことなどがある。
医学部、
歯学部、
獣医学部、
薬学部といった医学系の学部では教育期間は6年間となる。1・2年次は教養科目、3・4年次は専門科目というのは基本的に他の学部と同じである(近年の医学知識増加に対応して、一部の大学では1年時から専門科目を学び始める)。5・6年次には臨床の場での経験によって、より専門的な知識を身に付けると同時に、6年次には資格を得るのに必要な国家試験の対策にも勤しむこととなる。
さらに
医学部、
歯学部では資格を得た後に
研修医として研修が
医師法・
歯科医師法によって義務付けられている。
大学卒業後は、企業に就職する者、大学院に進学する者、資格取得のための学習を続ける者以外にも、。
また、
1960年代の一時期には、
学生運動が吹き荒れ大学紛争が全国で多発した時期もあったが、現在では非常に落ち着いている。その理由としては、以下のような理由が考えられる。
- 大学当局が構内における学生独自の運動を厳しく規制するようになったこと
- 日本が豊かになり社会の多様化に伴い、価値観の異なる学生が増え集団で活動する土壌ができにくくなったこと
- 学生運動の頃はベトナム戦争や石油危機など学生が政治や司法に関心を持ちやすい土壌があったのに対し、現在においては、それらに関心の薄い学生が増え大きな紛争になりにくいといったこと
- 学生運動の沈静化に伴い、一部の学生が先鋭化してあさま山荘事件や山岳ベース事件などに加わった。これらのテロリズムの残虐性や冷徹な組織管理などが、一般市民だけでなく学生からも支持されないようになったこと
-
1970年代中盤から激化した受験戦争により、「良い学校を出なければ良い就職や良い生活ができない」というような考え方が生まれ、就職活動に於いて学生運動の経験がマイナス材料になるという考え方が広まったこと(実際に、内定後に学生運動に加わっていたことを理由に内定取り消しにあった学生が憲法の定める思想の自由に反するとして訴訟を起こした事件がある)
教員
大学教員としては、
教授、
准教授を必ず置かなければならず、必要に応じて
講師を置くことができる。いずれも自分の専門とする研究をしていることが条件である。
初等教育、
中等教育などのような
教員免許状は存在しない。多くの教員が、
修士や
博士の学位を持っている。また、他の大学を掛け持ちして教鞭を執る教員や、授業単位で学期ごとに大学と契約する非常勤講師(大学によって兼任講師、嘱託講師などの名称を用いる場合もある)といわれるシステムを採用している大学もある。
教員組織は
学校教育法(昭和22年法律第26号)の第93条の規定に基づいて、どの大学にも重要な教育事項等を審議するために
教授会が置かれる。教授会は学部や研究科毎に置かれることが多い。また、学問毎に更に細かい組織が主に学部の学科や大学院の研究科の専攻に置かれている。伝統的に
講座制と学科目制がある。講座制は教員が階級関係であり、学科目制は緩やかな連合関係である。
資産運用能力
日本の大学の資産運用能力は低い。
私立大学では、2007年の投資の平均利回りは1.6%。収入に占める投資収益の割合は、2.7%となっている。要因としては、リスクが取れないことと、
金融工学等の投資技術の未熟さが指摘されている。公立大学については、運用が制限されているためさらに厳しい。
情報公開
私学助成がない
専修学校に比べて情報公開に熱心でなく、中退者数や財務状況、学部ごとの受験者数などを公表しない大学が多い(公表しないのは入試で不利になるから)。
世界の大学教育
現在の世界各国の高等機関進学率
文部科学省の「平成19年度 教育指標の国際比較」によると、高等機関在学率(大学学部、短大の在学者数を18〜21歳人口で割ったもの)は以下のようになっている。韓国のデータは
兵役のための休学者を除外した数である。日本はフルタイムの正規の学生がほとんどであり、パートタイムの科目履修生などが少なく、女子の割合が男子よりも低いのが特徴となっている。
- アメリカ
- フルタイム - 男子が47.6%、女子が62.6%
- パートタイム - 男子が73.2%、女子が103.5%
- 日本
- フルタイム - 男子が54.0%、女子が43.9%
- 韓国
- フルタイム(休学者除く) - 男子が78.1%、女子が78.3%
- イギリス
- フルタイム - 男子が46.8%、女子が60.3%
- ドイツ
- フルタイム - 男子が36.9%、女子が39.6%
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の大学は私立大学と州立大学に分かれており、日本でいう国立大学(=連邦政府の大学)は、士官学校や軍の大学を除いて存在しない。
また、大学の数は日本に比べて圧倒的に多く、単科・短期大学を含めると実に4000以上存在する。アメリカの大学の学問のレベルは横並びである。たとえ日本人にとって馴染みのない大学であったとしても、毎日相当な勉強量が必要とされる。
大学の入学審査では
GPA(Grade Point Average:内申点)と
SAT(Scholastic Aptitude Test/ Scholastic Assessment Test:大学進学適性試験)と、スポーツや芸術活動・ボランティア活動といった学校外での活動などが併せて評価の対象となる場合が多い。ハイレベルの大学ではGPAとSATでほぼ満点を要求されるが、必ずしも高得点の志願者のみが合格する訳ではなく、スポーツや芸術面などでの目覚ましい実績がある志願者の場合、SATの合格得点の基準が下げられる。志願者の家族に政治的・経済的な有力者がいる場合も同様である。全志願者に対して必ずしも得点重視ではないという点が、日本と大きく異なるところである。
学期はセメスター制をしく学校と、クォーター制をしく学校の2種類存在している。セメスター制は日本と同じ年3学期制でクォーター制は春夏秋冬の4期から構成されているが、クォーター制の夏期は基本的に補講期間と考えられていて、メジャーな授業は開講されない。学費は日本と異なり登録する単位数によって変動する。学校間の提携が非常に発達しており、既得単位の移動が学校間で比較的容易なため、編入が頻繁に行われている。特に費用の安い
コミュニティーカレッジである程度単位を取得してから同一州内の4年制大学へ編入する方法は、成績・経済的な理由から特によく見かけられる。
- 総合大学(私立)
-
アイビー・リーグがその代表で、元々リベラルアーツ・カレッジだった大学が大学院を持ち、組織や設備を増やすことで巨大化した大学。
- 日本人にとって、ハーバード大学やスタンフォード大学、コロンビア大学などが有名。
- 総合大学(州立)
- 州民のために作られた実学志向の大学だったものが原点で、州内で中枢となる教育機関である。
-
UCLAやカリフォルニア大学バークレー校などを含むカリフォルニア大学郡など、アジア人が多い大学は日本人にとっても馴染みがあり、有名。
-
リベラルアーツ・カレッジ
- 私立の学生数500人〜2000人で全寮制の大学。教会から発展したものが多く、知識人や知的エリートの集中的養成の役割を担ってきた。最近では少数精鋭という教育条件と、キャンパスの自然環境の豊かさから、アッパーミドルクラス(日本の中産階級の家庭に似ている階層)の師弟が多い。女子大学も多く、東部に名門校が集中している。通常、学部のみの構成である。
- 日本国内では同様の高等教育機関が非常に少ないためあまり認知されていないが、アメリカでは大学ランキングにリベラルアーツ・カレッジ部門が設けられるほどのポピュラーな形態である。
-
コミュニティーカレッジ
- アメリカで「短大」と言うとこれを指す。
資産運用能力については、1兆円以上の金額を運用し、平均利回り18-28%で運用する学校もある。ただ、私立と公立では、私立の方が圧倒的に資金力があるため、良い教員を抑えられてしまうという問題を指摘する声がある。
ドイツ連邦共和国
ドイツ連邦共和国の国立大学は、以前は授業料が無料であり、入学も順番待ちによって行われていた。学部の段階から学問と技術を学ぶ気風が高く、2年間ほど在学した後に退学する人も多かったといわれていた。21世紀に入る前後で改革が行われ、国立大学の授業料が有償化された。また、私立大学の数は少ない。
大韓民国
現在の世界各国の大学の学費
橘木俊詔・八木匡の研究(『経済セミナー No.636』p.86、日本評論社、2008年4月1日)によると、現在の世界各国の大学授業料(初年度納付金=入学料+授業料)は以下のようになっている。「日本の国立大学の学費は極めて高く、高等教育の機会が経済的側面において公平に確保されているとは言えない」(同書、p.85)。アメリカの州立大学よりも遥かに高くなっており、「国公立大学でも諸外国との比較で重い負担を強いられている」(同書、p.86)。
- 日本 - 国公立が82万円、私立が131万円
- アメリカ - 国公立が50万円、私立が209万円
- ドイツ - 国立が1.8万円
- フランス - 国立が1.9万円
- イギリス - 国立が23万円
- 韓国 - 国立が33.5万円、私立が40.1万円
関連項目
大学の制度
大学を取り巻く論点など
その他
外部リンク
脚注
*