経歴
- 高校時代は友達が一人もいなかったが、「陰口を言われるのが嫌」という理由で学校を休まず皆勤賞を取った。またその反動で、大学時代は初対面の学生にもハイテンションに振る舞い、友達を作ろうと必死であった。こうした少年期・青年期のエピソードは、番組やエッセイの中でしばしば語られる。
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1988年
3月、日本大学芸術学部演劇学科で知り合った田中と爆笑問題を結成。
- デビュー間もない1990年、ビートたけしの代打で『ビートたけしのオールナイトニッポン』に出演した際、ギャグで「たけしは風邪をこじらせて死にました」と発言し、以後しばらくの間、ニッポン放送を出入り禁止になったという。
- 1990年9月26日、当時同じ事務所(太田プロ)だった元タレント(現:タイタン社長)太田光代と結婚。
- 2008年12月3日、脱腸の手術の為、『笑っていいとも!』を欠席した。 手術後、12月7日放送の『サンデージャポン』で現場復帰 。
人物
- 生放送にもかかわらずタブーを口にする事があり、賛否両論の声が挙がっている。
- 身長170cmと男性としては平均的だが、田中の身長が154cmと低い為、「爆笑問題の高い方」とも言われている。猫背である。
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サザンオールスターズの大ファン。他に好きな歌手はジャニス・ジョプリン、スティーヴィー・ワンダー、谷村新司等。学生時代はニューミュージック、洋楽を好んで聴いていた。最近はSuperflyやいきものがかりを注目して聞いているようである。
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テレビ番組やライブでの登場時、岡本太郎の「芸術は、爆発だ!」やオレたちひょうきん族「タケちゃんマン」にて明石家さんま扮するパーデンネンの「パァ〜」を髣髴させるような、両手を広げたおどけたポーズ(歌舞伎の形態模写)をとる。
- 好き嫌いの多い田中とは反対に嫌いな食べ物がないらしく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「食わず嫌い王決定戦」では、必ず好きなものを食べる(逆に田中は嫌いなものを食べさせられる)。しかも相手が食べている時も食べ続けている。
- 女子アナが嫌いで、攻撃することが多い。理由は「『私、知的なアイドルです。』みたいな顔をして、ふざけている」とのこと。特にフジテレビのアナウンサーは被害にあっている。(主に高島彩や千野志麻)また、かつて共演していた小島慶子アナウンサーに対しても、番組中に「こんな女でも結婚してますからね〜」と、辛口のツッコミを入れている。
- 極度の偏頭痛持ちで、左眼のかすみと嘔吐を伴う偏頭痛を中学生時代から頻繁に経験しており、頭痛薬を服用している。病院に行って精密検査をしたが、偏頭痛に見られるような脳波の乱れは一切なく、原因は不明であるとラジオやエッセイで語っている。
- 好きなスポーツはアメリカンフットボール
- 好きな漫画はあしたのジョー
- 恋愛に関する話題は非常に苦手で、恋愛のトークになると口数が少なくなる傾向がある。「踊る!さんま御殿」で明石家さんまからも「お前は、恋の駆け引きとか失恋とか今までにしたことがないねん!」とツッコミを入れられ、「あ、ありますよー」と反論しつつも動揺を隠し切れなかった。
文学・映画などへのこだわり
政治姿勢
自らの番組、エッセイ等で政治的信条を語る事がある。過激で理想論的なリベラル左派と見受けられるが、発言が二転三転しているため、明確な政治信条はないと言われている。
家族・交友関係など
- 田中と意見が合うことは少ない。と言うよりも、意識的に田中と意見を合わせないようにしているらしい。田中が「椎茸嫌い」だったというだけの理由で、自らの「椎茸嫌い」を克服するなど、徹底している。中でも「サザン・佐野元春論争」はファンの間ではあまりにも有名。
- 恐妻家。妻の太田光代は元タレント(モノマネ芸人)で、現在は所属事務所の「株式会社タイタン」社長。光代はかなり豪快な人物で、彼女との奇妙な結婚生活はエピソードに事欠かない。一方、「将来は夫婦漫才をやりたい。タイタンは元々夫婦漫才をやるために設立した」とも発言している。光代からは「ピーちゃん」と呼ばれている。
- 父親は太宰治に自作の小説を渡した、母方の祖父は島崎藤村の書生、母は永井一郎と昔つきあっていたとか、妻は松永久秀の子孫であるなど、家族についてもかなり語っている。父親は建築士であり、叙々苑の店舗設計を請け負っていた。
- 田中のツッコミを「間が悪い」「お笑いをわかっていない」と酷評する一方、上田晋也(くりぃむしちゅー)と名倉潤(ネプチューン)の2人(両者ともボキャブラ天国の同輩)を「関東のお笑い界の2大ツッコミ」と評価している。しかし太田の無軌道なボケにもきちんと対応する田中は、太田にとって貴重な存在でもある。実際に太田は尊敬する落語家・立川談志から「(相方の)田中だけは切るなよ」「別れなさんな(コンビを解消するな)」と忠告され、これを守っている。
- 談志は他にも「自分の言いたい事が唯一わかるのは太田だ」等、一貫して太田を評価しており、「太田は俺が他の女と作った息子だ」という冗談を言ったこともある。
- 北野武と共演することが多い。
エピソード
- しばし番組中に場の空気を読まない発言をして共演者をあわてさせる事がある。これに対しては「そこが太田の魅力である」という意見や「単に不快なだけ」という意見など、賛否が分かれている。
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MOTHERの大ファンであり、糸井重里の『ほぼ日刊イトイ新聞』でも糸井との対談が掲載された。
- 初めて感動したアニメは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(脚本・監督押井守)。
- 計算が大の苦手。二桁の足し算の暗算すらまともにできないという。かつてアルバイトでレジ係をしていたことがあったが、釣り銭を適当に渡していたのがばれ、すぐにクビになった。
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猫を数匹とオウムを飼っている。オウムは太田が帰宅すると「バイバーイ」と言うらしい。因みにオウムは寿命が長い(80年くらい生きる)ため、「自分よりも長生きするのではないか?」と内心冷や冷やしているとか。
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1999年4月より教育番組「ポンキッキーズ」にネズミの着ぐるみキャラクター「爆チュー問題」の「おおたぴかり」としてレギュラー出演。
- オリジナルの一発ギャグはもたなかったが、2005年には(中指と人差し指を額につけ、相手に向けて)「ピップ」というギャグを推し、「爆笑問題カーボーイ」でもコーナーをつくって、リスナーに流行させようとした。太田はこのギャグで流行語大賞を狙っていたが、入賞はおろかノミネートすらされなかった。
- 風呂の入り方にこだわりがあり、まず45度の熱いお湯にゆっくりと浸かり、その後体などを洗い、再び45度のお湯に浸かる。その際に頭の回転を良くするために「100から7をどんどん引いていく計算」を行う。しかし、暗算が大の苦手なのでその作業でかなりの時間を使うらしい。風呂から上がった後は筋トレ、ストレッチを行いジュースを飲む。数年前、漫才をしている際に息が続かなくなり、体力の衰えを感じたため、毎日続けている。
- 妻の光代と同棲中、些細な喧嘩から腹部を蹴られて吹っ飛んだ事がある。内臓打撲で負傷。
- “「爆笑問題カーボーイ」で反日発言”と2ちゃんねるでデマを流され、真に受けた右翼の若島和美らに事務所へ押しかけられた。(→2ちゃんねるの歴史)
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千の風になってを度々熱唱している。(笑っていいとも、タモリのジャポニカロゴスなど。)
- 脚本家、映画監督の三谷幸喜は、日藝演劇科の3年先輩。太田の入学当時に「東京サンシャインボーイズ」を既に結成していた。当時は太田も演劇志望だったため、「三谷さんは学生の頃から、スゴイ人気者だった。日藝のヒーローだった。一方、自分は教授とケンカしたりして、演劇を諦めた。だから今でも、三谷さんにはコンプレックスがある。」と、2006年に自らの番組「スタメン」に三谷がゲストで出演した際に、カラミぎみに語っていた。
- 一番大好きな時間は「テレビ番組の収録等で、みんなでワーワー話しをしている時」、二番目に好きなのは「家で本を読んでたりする時間」だという。2008年6月に「コンビ結成20周年記念」として放送された『検索ちゃん』の2時間特番では、司会の太田が喋りすぎて収録に9時間を費やし、出演者からクレームが殺到。番組の最後では、出演者たちが選んだ「爆笑問題の弱点」として「太田が喋りすぎること」があげられていた。
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2007年10月27日、フジテレビ系列で生放送された『たけしの日本教育白書』において、太田が共演者の小倉智昭に対して暗に小倉がカツラを使用している事をほのめかすような発言をして、相方の田中やビートたけしが慌てて太田をフォローし、太田自身も番組中に謝罪するというハプニングが起こった。その後、この太田の発言に対してネットなどでは賛否両論の騒ぎとなった{{Cite web
|date=2007-10-29
|url=http://www.j-cast.com/2007/10/29012672.html
|title=小倉智昭に「髪の毛」発言 爆笑・太田のKY感覚
|publisher=
J-CAST
|accessdate=2008-08-10
}}。
著書
単著
爆笑問題名義の書籍の多くは太田1人によって書かれている(原稿料は田中にも配分されている)。
- 『カラス』(1999年10月、34歳までの人生をインタビュー形式で振り返る虚実入り乱れた自伝、小学館)
- 『爆笑問題太田光自伝』(2001年7月、『カラス』を改題・文庫化、小学館文庫)
- 『ザ・ロングインタビュー(4) 人は、なぜ笑うのか?』(2001年12月、BSフジの番組「ザ・ロングインタビュー」を再構成、扶桑社)
- 『パラレルな世紀への跳躍』(2003年12月、ダイヤモンド社)
- 『天下御免の向こう見ず』(2004年6月、爆笑問題名義の単行本から太田のエッセイのみを選抜き文庫化、幻冬舎)
- 『ヒレハレ草』(2004年8月、同上、幻冬舎)
- 『三三七拍子』(2004年10月、同上、幻冬舎)
- 『私のこだわり人物伝』(2005年5月、日本放送出版協会)
- 『トリックスターから、空へ』(2006年12月、楓書店)
共著
編集
- 小沢友紀子『チビカミ』(2004年10月、『爆笑問題のススメ』の企画から誕生、フィールドワイ)
ドラマ
映画
出演
監督
音楽
脚注
外部リンク
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)