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相模鉄道

相模鉄道株式会社(さがみてつどう、英称Sagami Railway Co.,Ltd.、略称・相鉄〈そうてつ、SOTETSU〉)は神奈川県に路線網を持つ鉄道会社である。相鉄グループの中核企業であり、大手民鉄に含まれる。本社所在地は横浜市西区北幸二丁目9番14号。
パスネットの符丁はSTである。

概要

相模鉄道は以前準大手であったが、1990年5月31日から大手民鉄に分類されるようになった。日本民営鉄道協会に加盟している大手民鉄16社の中では営業距離が最短であるとともに、社員数が最も少ない会社でもある。
関東地方の大手民鉄で唯一東京都内に乗り入れておらず、また他社との相互直通運転も行っていないが、神奈川東部方面線として西谷横浜市保土ケ谷区) - JR東海道貨物線横浜羽沢(同市神奈川区)間に連絡線を設置し、横須賀線湘南新宿ライン)や東急東横線目黒線とその乗り入れ先会社線へ直通させる構想が持ち上がっている(後述)。
融資的には横浜銀行と、資本的には三井グループと近しい関係にある。
相鉄ジョイナスなど横浜駅西口の不動産の多くを保有する大地主でもあり、横浜高島屋(現在の高島屋横浜店)は相鉄が誘致している。現在横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズが建つ場所はかつての本社ビル(グループ外企業も入居する「相鉄ビル」というオフィスビル)跡である。
路線バス事業は、相鉄線沿線を中心に、横浜市内は「相模鉄道バス」の名前で相鉄本体が、大和海老名綾瀬座間の各市と横浜市瀬谷区などの県央エリアはグループ企業の相鉄バスが行っている。
グループ企業には、スーパーマーケットを運営する相鉄ローゼンビルメンテナンス業を中心とする相鉄企業、二俣川羽田空港線の空港連絡バスと河口湖線の高速バス観光バスタクシーハイヤー事業の相鉄自動車相鉄建設相鉄不動産、相鉄アーバンクリエイツ、相鉄ビルマネジメント、相鉄ホテル(横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)、横浜ケーブルビジョン等がある<ref>なお、相鉄観光は2004年12月24日に株式の90%が相模鉄道から近畿日本ツーリストに譲渡され、相鉄グループを離脱している。また、横浜駅ビル(シァル)の運営会社である横浜ステーシヨンビルの株式も28%保有していたが、こちらも同月27日に株式の半数強を東日本旅客鉄道(JR東日本)に譲渡したため、相鉄グループを離脱している。また、2006年6月以降相鉄ムービル(5スクリーン)の運営を東急レクリエーションに委託している。また、相鉄企業と横浜地下街は2005年9月27日をもって株式上場を廃止し、同年10月1日より相模鉄道の完全子会社になっている。変わったところではザ・ダイヤモンドにあるきしめんの店「大関」も相鉄グループであったが、現在は経営から手を引いている。</ref>。 <!-- ATMの件は後ろの「鉄道・バス以外の事業・サービス」の節に移動 -->
2005年4月1日に相鉄グループの商法上の持株会社となり、運輸事業およびグループ経営事業以外の各事業を分社した。運輸事業については「社内カンパニー制」を導入したため、鉄道事業部門は「鉄道カンパニー」、自動車(路線バス)事業部門は「自動車カンパニー」となっている。
この年度の決算では久方ぶりの増益となった。このことは景気の回復傾向と通勤通学での定期利用者の増加と密接な関係があり、2004年11月より前年同月比増加に転じ、その後も増加基調が続いている。
2006年6月2日にはホテル運営会社の相鉄インを設立し、ビジネスホテル業に参入した。「相鉄フレッサイン」の名で神奈川県内10店舗を目指すとしている。1号店は大船駅前、2号店は湘南台駅前に開業した。3号店は戸塚駅前に開業予定。
2006年7月1日から、「S」の文字をモチーフにした青とオレンジのグループマークとグループブランドメッセージ『ときめきと やすらぎをつなぐ』を制定し、同日より使用している。また、同年11月からは在籍車両に順次側面および前面にグループマークを貼付して運行している。さらに2007年4月22日より在籍鉄道車両の塗色を前述のコーポレートカラーである青とオレンジを含む新塗色に順次変更している。 同社線の車両は、各系列ごとに塗装デザインが異なるのが特徴で、池田満寿夫柳原良平のデザインの車両を運行していた時期もあり、一見他社線の車両が乗り入れているかのような状態となっていたが、他鉄道事業者との相互直通運転計画を目前にそれが解消される見込みである。また、同年度から駅名標や案内板などを新グループマークに沿ったデザインの物への交換を進めている。
関東地方の主な私鉄・地下鉄・路線バスが導入を目指したPASMOについては、他の導入鉄道事業者と同様に2007年3月18日から鉄道全駅と旭営業所所管の一般路線バスに導入され、JR東日本などが導入しているSuicaとの相互利用が可能になった。これに先立ってPASMOへのオートチャージが可能となるクレジットカード「相鉄カード」が同年2月3日に発行された。
2007年は創立90周年にあたり、2008年現在も各鉄道車両には「Frontier Spirits SOTETSU 90th 横浜とともに未来を拓く」のステッカーが貼られている。

鉄道事業(鉄道カンパニー)

歴史

現在のJR相模線が、かつての相模鉄道である。
1917年 12月に当時の高座郡茅ヶ崎町で設立され、1921年9月茅ヶ崎神奈川県茅ヶ崎市) - 寒川(同県高座郡寒川町)間を開業し、1931年4月橋本駅(同県相模原市)まで全通した。同年11月からは八王子駅東京都八王子市)まで直通列車を走らせ、1940年12月には相模原駅 - 上溝駅 - 水郷田名間の乗合自動車事業も開始するなど意欲的であったが、業績が不振であったため、翌1941年6月に東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入り、経営再建を図ることとなった。 一方、現在の本線に相当する路線を開業させたのは神中鉄道(じんちゅうてつどう)という会社で、鎌倉郡瀬谷村(現在の横浜市瀬谷区)の素封家、小島政五郎らが中心となって起業し、同社は奇しくも相模鉄道と同じ1917年12月に神中軌道、1919年6月に神中鉄道として設立された。こちらは厚木駅から建設を始め、1926年5月12日二俣川 - 厚木間を開業させた。その2か月後の7月には寒川方面から厚木駅に乗り入れた相模鉄道と接続し、旅客輸送や相模川砂利輸送の営業を行った。
神中鉄道の開業当時は、厚木・相模国分相模大塚大和瀬谷二ツ橋(三ツ境3号踏切付近)・三ツ境・二俣川の各駅で営業を開始した。相鉄社内報(1977年10月)に掲載されている座談会によれば、開業当時の話として「二俣川駅には駅長と駅手4名の合計5名。厚木駅には、運輸課長代理兼務の駅長と助役2名、駅夫4名、出札掛1名、車掌2名がいた。中間駅は、駅長と出札・改札を兼ねた駅手1名の2名のみ。全線でも26名しか駅にはいなかった。」とある。また、「機関庫には、機関士と機関助手、検査掛、炭水夫がいた。」とも話している。
二俣川駅から先は細切れに延長されたが、業績は不況下で低迷した。同年12月1日には星川駅(現・上星川駅)まで、1927年には北程ヶ谷駅(現・星川駅)まで、1929年には西横浜駅までと細切れに開業した。1931年10月25日に西横浜 - 平沼橋間の省線の側線を借り入れて営業を開始し、1933年12月27日になってやっと横浜駅に乗り入れた。全通により乗客は増加したが、業績は低迷したままで開業以来の赤字は拡大する一方であったため、1939年9月に同駅で接続する東京横浜電鉄の傘下に入り、再建を図ることとなった。
1941年1月20日には相模国分駅から海老名駅への新線建設(0.5km)に着手し、同年11月25日に完成した。同時に小田急小田原線相模厚木駅(現・本厚木駅)へディーゼル自動客車での乗り入れを開始し(1964年11月5日中止)、神中鉄道発足時からの悲願であった厚木町(現・厚木市)乗り入れを他社線直通運転ながら達成した。しかし、小田急1943年3月31日まで同社の海老名国分駅を移転せず、海老名駅(現在より新宿方に200m程の位置)の共同使用まで客扱いをせずにいた。また、神中鉄道の海老名延長に伴い厚木線は貨物輸送のみとなった。
こうして、前述の厚木で隣接していた両社は同じ東急の傘下に入る。同年4月には経営合理化のため相模鉄道が神中鉄道を吸収合併、それぞれ「相模鉄道相模線」、「相模鉄道神中線」となる。しかし、1944年6月に戦時体制下における東海道本線中央本線間のバイパス路線として相模線が国有化されて鉄道省に編入されたために、神中線部分のみが相模鉄道(以下相鉄)として存続するという憂き目にあう。こうして経営基盤とも言える相模線を失う一方で、厚木飛行場の開設などにより神中線の乗客や貨物輸送は急増した。しかしながら、脆弱な神中線の輸送力はもはや限界であり、これを克服するにはもはや相鉄の手には負えない事態となってしまった。このため、1945年6月から1947年5月までの間に親会社である東急へ鉄道事業一切を委託し、戦時下終戦直後の混乱期を乗り切ることとなった。この当時、現在の本線にあたる名称は「東急厚木線」または「東急神中線」と呼ばれていた。
1947年6月に東急から派遣されていた川又貞次郎ら役職員は、経営民主化を理由に東急が保有する相鉄株式を取得して、ここに東急から独立し、厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。
しかし、1960年前後に小田急電鉄を通じて東急グループが再買収の動きを起こした。この時に川又社長以下経営陣は既存株主に対して売却しないように働き掛け、また三井銀行社長の佐藤喜一郎(横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資して買収を防いだ。この結果、相鉄のメインバンクは現在も三井住友銀行となっており、後にこの一件が引き金となって東急の渋谷多摩田園都市開発に対抗する相鉄の横浜西口・いずみ野沿線開発が行われている。また、現在も筆頭株主が小田急電鉄となっているのはこの時の名残りである。
戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進み、1942年6月から現在の東急東横線からの配電で横浜 - 西谷間が600V電化されたのを皮切りに、1943年8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1500V電化され、1944年9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの本線の全線電化が完成している。なお、1946年12月に現在の京急本線からの配電に変更して全線が1500V化され、厚木貨物線の電化も1949年11月に行われた。
また、全線の複線化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、1951年11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌1952年12月までに数度に分けて希望ヶ丘駅までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして1957年1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、1964年11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は1961年1月に墜落した米軍機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年と1962年にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。1966年4月には大塚本町駅(当時、現在のかしわ台駅東口)まで複線化し、1967年4月にはかしわ台工機所(車両基地)の完成とともにここまで複線化され、1973年9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌1974年3月となった。
その後も運輸政策審議会の答申により平塚方面への新線となるいずみ野線を建設することになり、まず1976年4月に二俣川 - いずみ野間を開通し、その後しばらくの間宅地開発に専念して沿線の住民を増加させた後、1990年4月にいずみ中央駅まで延伸されたが、この開通により日本民営鉄道協会における大手としての要件を満たしたため、同年5月31日には正式に大手民鉄としての認定を受けた。大手民鉄の認定は1949年12月1日認定の京阪電気鉄道以来41年振り15社目である。その後も1999年3月に湘南台駅まで延伸させ、小田急江ノ島線(後に横浜市営地下鉄1号線も)と接続させたところで現時点では一段落つけた形になっている。
なお、日本国有鉄道(国鉄)末期に民営化議論がまだ強く推進される前に、電化されて長編成の冷房通勤電車が走る相鉄本線に対して、非電化ローカル線として取り残されていた国鉄相模線を国有化前の経営母体である相鉄に返還譲渡するという検討がされたが、現職の職員を含めての引き取り条件が妥結せず、実現しなかった。その後の對馬好次郎社長就任時には相模線買取を検討したものの果たせなかった。当時の相模線が、営業係数400を越える赤字路線であったことが実現しなかった理由として挙げられる。なお、同線はそのまま1987年4月1日にJR東日本へ継承され、1991年3月16日に電化されている。

路線

このほかにも1948年9月に西横浜駅から国鉄保土ヶ谷駅(貨物駅)までの貨物線を開通させていたが、東海道線・横須賀線の分離による東海道貨物線の移転とともに1979年10月をもって廃止された。

車両

特徴

電車に関しては、終戦からの中古車主体の頃の台車は主に国鉄型(DT-10系やDT-13など)や住友KS-30Lなどのいわゆるイコライザー・タイプのものが使用されていたが、昭和30年代から比較的近年まで技術的個性が強くなり、直角カルダン駆動と車輪外側に露出したディスクブレーキ旧6000系から新7000系までの新造車(改造車の2100系5000系を除く)は希少な「日立式電磁直通ブレーキ」(正式名称は「電磁直通弁式電磁直通空気ブレーキ」)が採用されるなど、走行装置関係がきわめて特徴的であった。
相鉄では長らく、大手私鉄の鉄道車両としては珍しく日立製作所製の車両が占める割合が高く(東急車輛製造製の2100系・5000系・9000系10000系を除く)、さらにはグループ企業を含めてエレベーターエスカレータを始め、蛍光灯などの小物まで至るところで日立製が使われてきたが、これは同社が試作した旧5000系を導入したためといわれる。近年では三井銀行(現・三井住友銀行)出身の對馬前会長の影響で三井グループの東芝製(一部の自動改札機・定期券発売機・情報システム機器など)が多く採用されている。
パンタグラフについてもやはり特徴的で、1975年までの新車は旧型国電車両でも使用されていた骨組みがパイプではなく鉄板製のPS-13形を搭載していた。また、相鉄ではパンタグラフは部品扱いで形式ごとに固定されたものではなかったため、最新鋭車両にPS-13形が搭載されたり、1編成の中に3種類のパンタグラフが混在していることもあった。中古車主体の時代(昭和20 - 30年代)を見てみると、PT-42系(小田急と乗り入れていたためか1965年 - 1966年頃になくなった模様)やTDK C-5Aのほか、相鉄入線前から元々搭載されていてそのまま使ったとおぼしきものもあったようである。変わったところでは日立K-100CというPS-13とPS-16を合成したような形態のものもあった。5000系と6000系の一部で使われていた。基本的にバネ上昇、圧縮空気下降方式である。
このように、何かと特徴的ではあったが、シングルアーム式パンタグラフの導入も比較的早く、1994年には実車試験も始められていた。現在、10000系で使われているPS-33B形とそれ以外の系列で使われている東洋電機PT-71系の2種類がある。 一部の車両では試験的にヒートポンプ式冷暖房兼用空調装置を搭載していた。この装置の通勤型車両での採用例自体が珍しく、特に(旧)6000系の6021号車では温風を座席下にダクトで送り込む方式も試験運用されていたが、結局本格的な採用にはならなかった。また、相鉄の空調装置は基本的に集中式であるが、9000系だけは例外的に集約分散式となっている。
なお、相鉄は冷房化の開始時期や進捗が早く、1987年(昭和62年)には関東地方の私鉄で初めて(ただし戦後の新規開業路線を除く)冷房化率100%を達成した。
車体も、2100系から9000系までアルミ合金車を採用した。このうち7000系までは骨組み部分が外側から明確に判るよく似た無骨な外観を持っている。接客設備にも特徴が多く、1972年に日本で初めてパワーウインドウ(油圧式。一般営業用では世界初であったとも言われている)を導入したほか、新7000系の最終増備車と8000系・9000系の編成内の2両に4扉セミクロスシートを設置している。パワーウインドーは相鉄と阪急京阪、小田急などごく一部でしか採用されていない(装置も相鉄は油圧式なのに対し阪急・京阪・小田急は空気式)。4扉セミクロスシートはJR東日本がE217系などの近郊形車両の4扉化に当たり参考にしたと言われている。
しかし、このような特徴は製造コストが高いためか、コストダウンを主な目的に登場した10000系はJR東日本のE231系の基本設計に基づいた車両で、相鉄で初のステンレス車両となっただけでなく、上記に挙げた技術的特徴はすべて解消されてしまった。これにより10000系からの車両はJRと共同開発した東急車輛製造製が中心となり、中にはJR東日本の新津車両製作所新潟県新津市、現:新潟市秋葉区)によって製造された車両も含まれている。
過去には地方私鉄で使いやすい車両が揃っていて、比較的コンスタントに譲渡車があった。旧相模鉄道・神中鉄道時代の車両も含めると、電車から気動車、客車、果てはSLや貨車に至るまで100両ほどあるといい、譲渡先からの再転出分も含めるとほぼ日本全国で足跡を残しているようである。しかし、自社で車両を新造するようになってからは上記の技術的特徴のほか、大手私鉄で最も大きくなった車両限界や冷房付きで大型の20m両開き4ドア車であることもあってか、地方の私鉄への車両払い下げ自体が敬遠されており、1970年代伊豆箱根鉄道に旧型車2000系を譲渡(150形、事業用として1両が残存→伊豆箱根鉄道コデ165形電車参照)して以降は譲渡例がない。

車両番号の付け方

他の鉄道事業者でも同様だが、相鉄でも旧6000系以後の車両では車両番号には役割に応じたものが使われている。詳しくは各系列の記事に譲るものの、以下も主な例を示す。
  • 0番台…横浜側に組成される制御電動車(例:7006号車)
  • 100・200番台…中間電動車(電動車ユニットを組むものが多いが一部形式では例外もあり)(例:8119号車と8219号車のユニット、7103号車と7104号車のユニット、5153号車〈独立電動車であり、例外の一例〉)
  • 300番台…中間電動車(独立している電動車を指す。ただし一部古い形式では例外がある)(例:7351号車、10301号車)
  • 500番台…海老名・湘南台側に組成される制御車(例:9502号車)
  • 600番台…中間付随車(例:5656号車)
  • 700番台…横浜側に組成される制御車(例:7703号車)
また、更新工事や増備途中などで制御装置をVVVFインバータ制御に変更した場合、下2桁を51から付け始めるのも特徴である。ただし、その時でも正式名称(相鉄公式)は変えていない、新7000系VVVFインバータ車を例にとると、該当編成は7050系ではなく新7000系として扱われている(その他の例:2代目5000系、3000系)。

現役車両

2007年10月現在、386両を営業運転に使用している(緊急予備車・休止車両・保留車を除く)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。
近年は利用者の減少などで10両編成車の製造は2002年の10000系20両以来中断され、2003年度以降に製造された同系列は8707Fが事故で廃車されたことによる補充分にあたる10708F以外は8両編成で製造されている。既存の7000系も2007年10月現在編成の組み換えで8両編成のみとなっており、最も横浜寄りの2両である制御電動車と中間電動車は厚木駅やかしわ台車両センターの両留置線に留置され、半ば休車状態となっているほか、2006年5月には一部の新7000系にも8両編成で運用される列車が登場していた(後に10両編成に復帰)。なお、2008年度以降には老朽化した5000系・旧7000系車両の代替として、JR東日本のE233系1000番台をベースに、モーター・制御装置などの二重化、乗降口とホームとの段差を低くしバリアフリー化の促進、車内に液晶ディスプレイ(LCD)を導入した新型車両の11000系10両編成2本(20両)が導入されるので、再び10両編成車の製造が行われる予定である。
2007年4月より、これまで各系列別に施していた車体の塗装を、新7000系〜10000系の各系列において相鉄の新コーポレートカラーの相鉄ブルーと相鉄オレンジの新塗装に塗り替えることが発表された。デザインは10000系に準じている。最初の編成は9000系9707Fで、同年3月に塗装を完了し、4月22日いずみ野駅でお披露目式が行われた。その後も順次変更し、2010年度末までに全車両の変更が終了する予定である。なお、2008年度以降新造予定の11000系については登場当初から新塗装となっている。
相鉄瓦版170号で、今後予定されている神奈川東部方面線の開通に合わせ、既存車両の保安装置の改修を行うことを公表した。
一般型車両
事業用車両
  • 2000系(全車廃車済み。2005号車のみ保存)
  • ED10形(全車廃車済み。ED11のみ保存)
  • モヤ700形 - 旧7000系から改造された計測用電車
導入予定車両
  • 11000系(2008年度以降導入予定)

廃車・転出

電車
貨車

今後の予定・計画

立体交差事業

和田町駅東方から天王町駅保土ケ谷区東部地域)まで約1.8kmの連続立体交差事業が着工されており、2012年度に竣工する予定である。完成後は星川駅が2面4線(現在と同じ)、天王町駅が島式ホーム1面2線の高架駅にそれぞれ改築される。これに関連して星川駅構内にあった留置線と車掌区は西横浜駅へ移転した。なお、天王町駅は着工以前から2面2線の高架式ホームとなっている。

東京都心・埼玉県への乗り入れ計画

かつて運輸政策審議会の答申による「神奈川東部方面線」として、相鉄側がいずみ野線を二俣川駅から延伸して新横浜駅までを建設し、東京急行電鉄東横線大倉山駅から新横浜駅まで新線を建設し、これら2路線を接続させて相互直通運転を行う計画が持ち上がったが、計画は長らく進まなかった上、バブル崩壊のあおりも受け、この計画は事実上頓挫していた。
その後、相鉄はJR東日本に対して相互直通運転の計画を持ちかけ、2004年9月にJRとの相互直通運転計画を相鉄側が発表した。さらに2005年度末頃からは東急もこの計画に加わることになり、JRとの相互直通運転を「相鉄・JR直通線」、東急との相互直通運転を「相鉄・東急直通線」とし、当初の神奈川東部方面線とは多少経路が変更されているものの、これら2路線を合わせて「神奈川東部方面線」(いずれも仮称)とすることとした。なお、東急との接続路線は目黒線に計画が変更されている。
詳しくは、神奈川東部方面線を参照されたい。

海老名駅の改築

近年のバリアフリー化に伴い、順次駅舎へのエスカレータとエレベーターの設置を進めている。中でも、海老名駅については小田急と相鉄の駅舎がともに老朽化し、かつ手狭にもなっていることから、新しい駅舎を建設することになった(小田急は新築、相鉄は一部改良)。その際に当時の厚木市長の呼び掛けで両者関係者出席の下で相鉄の駅から小田急小田原線本厚木駅への乗り入れに関するシンポジウムが開催されたが、海老名駅の新築計画が白紙になることや、相鉄の筆頭株主である小田急側が難色を示していることもあり、今後の動向が注目されている。これは、相鉄側の主張によると、小田急線のみならず、他社線との相互直通については利便性向上や沿線価値の向上、新たな輸送需要喚起になるため、今後の研究課題としている。しかしながら、
  1. 車両や運転保安設備などに互換性がない。
  2. 小田急とのダイヤ調整が必要である。
  3. 海老名駅の構造など大規模な設備投資が必要。
などの課題があり、実現性が乏しいとしている。
そのような中で、横浜駅に次ぐターミナル駅でもある海老名駅のホームを改修し、幅をおよそ4割拡張する。2007年秋から仮設乗り場の建設を行っており、2008年9月までに完成させることが発表された。しかし9月24日現在、工事中である。

その他の予定・計画

  • 神奈川東部方面線に関連して、いずみ野線湘南台 - JR東海道本線平塚間の延伸計画もあるが、こちらは上記の都心直通計画が実現した後に取り掛かるとされている。
  • 本線の二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設して複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まり構想が流れているため、神奈川東部方面線の建設に移行している。
  • 駅の案内サインを2007年12月中旬に変更したさがみ野駅を皮切りに、バリアフリーを取り入れ、LED照明を利用した省エネタイプのものに順次交換予定である(平沼橋駅の横浜寄り1か所の駅名標もこの仕様)。このサイン計画はかつての営団地下鉄みなとみらい線等、多くの公共空間のサイン計画を主導した黎デザイン社が手がけている。新サイン計画では、一部サインに中国語韓国語の表記も用いられている上、改札付近には近隣鉄道のネットワーク図も新たに設けられている。将来に備えてかさがみ野駅の横浜方面の案内板には「横浜 新宿 渋谷方面」と表記された案内が交換時に見られたが、その後「大和 二俣川 横浜方面」とされた。
  • 各駅に冷暖房完備の待合室を設置する予定である。

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。
いずみ野線に跨って乗車する場合は、同線内の乗車区間・キロ数に応じた加算運賃が必要となる。
各区間を跨って乗車する場合はそれぞれの額の合計が加算額となる(例:いずみ野 - 湘南台間の場合はいずみ野 - いずみ中央間が2.2kmなので「二俣川 - いずみ中央6kmまでの加算額20円」 + 「いずみ中央 - 湘南台の加算額30円」 = 50円)。

1日乗車券

2005年から毎年、夏から11月にかけて相鉄全線(バスを除く)が乗り降り自由な「相鉄・鉄道全線1日乗車券」を大人600円・小児300円で発売している。発売期間は2005年と2006年が8月1日 - 11月30日であったが、2007年以降は期間が7月下旬からに拡大され、2007年は7月21日 - 11月30日、2008年は7月19日 - 11月30日となっている。
さらに、2007年7月1日からは横浜都心部の横浜市営地下鉄ブルーライン横浜市営バスが乗り降り自由な「相鉄発 みなとぶらりチケット」を横浜駅と湘南台駅を除く各駅で発売している。

フリーパス

相鉄は、上記の経緯により小田急電鉄との関係が深く、小田急線で発売している各種フリーパスも発売している。特典には相鉄線乗車駅から小田急線乗り換え駅(大和駅または海老名駅)までの往復割引乗車券が追加されている(湘南台駅乗り換えは発売していないため、いずみ中央駅などいずみ野線内で江の島・鎌倉フリーパスを購入しても大和駅経由になる)。そのため、パンフレットも小田急と同じものが使われている。

その他

  • 大手私鉄、特に料金不要の列車しか運行していない会社では珍しい存在になりつつある「旅客専務車掌」(JRでいう乗客専務車掌、車内での乗客サービスのみを行う)による車内巡回が行われており(主に本線)、乗り越し精算他社線連絡乗車券の発売などを行っている。以前は6000系の柄のものなど車掌区オリジナルのパスネットも発売していた。しかし、人員削減や合理化により車掌の車内巡回そのものを取りやめる会社が増える中、乗客サービス専門の車掌が車内を巡回する姿は貴重となっている。
  • 他に珍しいものとして、過去には1960年代にお買い物電車「オカイモノ急行」を運行していた。
  • 1983年フジテレビ制作、山田太一脚本のドラマ早春スケッチブック」の舞台として、本線の希望ヶ丘駅周辺一帯や近接するいずみ野線の南万騎が原駅付近をはじめ、本線沿線(瀬谷駅前広場や横浜駅周辺)や電車内でロケが行われた。ちなみに相鉄はこのドラマの制作に協力しており、オープニングでは旧6000系(クハ6517編成)が希望ヶ丘駅ホームに入線して来るシーンや、本編中に当時まだ宅地開発途上であった本線の沿線風景、登場人物が電車に乗車しているシーンがよく登場している。
  • 本線の希望ヶ丘駅といずみ野線のゆめが丘駅では縁起物の硬券の片道乗車券を発売している(愛称は「ゆめきぼきっぷ」)。以前は往復乗車券の様式で発売していたが、現在は「希望ヶ丘駅→ゆめが丘駅」と「ゆめが丘駅→希望ヶ丘駅」の2種類で発売されており、受験生に好評である。受験シーズンになると、購入者に特製の絵馬がプレゼントされる。これに合わせて両駅には絵馬掛けが設置されるが、掛けられた絵馬はシーズンオフになると寒川神社に奉納した上で「お焚き上げ」される。
  • 特に告知していないが、相鉄線各駅では硬券入場券を販売している。おまけとして昔の駅舎写真を印刷したポストカードがもらえることがある。なお、創立90周年を記念して入場券セットを発売したことがある。
  • 相鉄グループの新CIロゴ制定と同時に、鉄道カンパニー独自に「速く、遠くに、快適に」のスローガンを掲げている。
  • 最近では、10000系編成において日立のコーポレート・ステートメント「Inspire the Next」やグループ企業の横浜ケーブルビジョン、そして2009年の横浜港開港150周年を記念したラッピング電車が2007年から数種運行されている。またラッシュ時には4号車を女性専用車として運行している。
  • 近年では、電車が来ることを知らせるチャイムを導入し、バリアフリー化を推進している。

バス事業(自動車カンパニー)

バス事業は、創立時の相模鉄道が相模原地区で手掛けていた路線を戦時中に東海道乗合自動車(現在の神奈川中央交通)に譲渡していたため、戦後は合併後の相鉄が1949年12月27日に免許の再交付を受け、翌1950年6月20日から横浜市内を中心にゼロからスタートした。なお、創立時の経緯については神奈川中央交通の項に詳しい。
かつては厚木市寒川町に乗り入れ、二俣川駅 - 県庁前、二俣川駅 - 本厚木駅海老名駅 - 寒川神社などの路線も存在していたが、1999年までに廃止された。また、横浜市営バスと神奈川中央交通との共同運行である62系統(急行、横浜駅西口 - 千丸台団地→千丸台集会所)も存在していたが2007年4月に撤退、旭3系統(横浜駅西口・保土ヶ谷駅東口 - 児童遊園地)も2003年11月に撤退した後、横浜市交通局へ移譲した。さらに旭30系統(三ツ境駅 - 細谷戸第5)と旭31系統(瀬谷駅 - 細谷戸第5)も2008年8月に撤退し、神奈川中央交通へ移譲している。
なお、PASMOについては、2008年12月現在、相鉄バス綾瀬営業所を含む、全営業所で利用出来るようになった。

営業所の運行地域

路線一覧は各営業所の記事を参照のこと。
(綾瀬営業所は相鉄バスに譲渡移管)

高速バス

2008年8月31日をもって完全撤退。以下は過去に運行していた路線である。
田沢湖線
LAKE&PORT(羽後交通と共同運行。最後まで残った路線である)
徳山線
POSEIDON防長交通と共同運行)
新潟線
SUNSET(新潟交通と共同運行)
大阪線
BLUE LIGHT(近鉄バスと共同運行)
  • 相鉄高速バスセンター・横浜駅西口 - 大阪駅前(東梅田駅)・なんば(OCAT)・あべの橋バスステーション
  • 概要
  • 使用車両
    • 車内が独立3列シートの三菱ふそうエアロクィーンI。運行開始当初は「BULE LIGHT」と車体に記載された専用車両が使用されていたが後に高速バス共通塗色車両(ブルーライト号で使われたデザインをモノトーン化したデザイン、レイク&ポート号で先行採用)が他系統と共通運用で使用された。
  • 沿革
    • 1989年3月23日 - 運行開始。
    • 1990年 - 横浜相鉄バスセンターへの乗り入れ開始。
    • 1996年 - なんばOCATビル乗り入れ開始。
    • 1998年2月20日 - 茨木経由に変更。
    • 1998年12月 - 運行開始10周年を記念して近鉄バスに特別塗装車を導入。2003年まで運行。
    • 2001年3月30日 - 下り便をUSJまで延長。
    • 2003年10月31日 - USJ乗り入れを中止。
    • 2004年12月22日 - 東梅田に新規停車。
    • 2007年3月31日 - 相模鉄道が撤退。
    • 2007年4月19日 - 廃止。「フライングライナー」を横浜経由に変更しカバー。
高松線
TRITON(琴平参宮電鉄と共同運行)
金沢線
LAPUTA(北陸鉄道と共同運行)
  • 横浜駅西口相鉄バスセンター・横浜駅西口 - 金沢駅
  • 概要
    • 相模鉄道にとっては3路線目の高速バス路線であり、共同運行会社の北陸鉄道の関東方面への高速バス路線としては2路線目の高速バス路線であった。運行開始当初は昼行便も設定されていた。また、当初は4列シート車であったが、1992年夏から独立3列シートに変更された。その後、乗車率の低い昼行便を廃止。
  • 使用車両
    • 運行開始当初から1992年夏までは4列シート32人乗り便所付スーパーハイデッカーであった。
  • 沿革
    • 1989年7月29日 - 運行開始。当初は昼行・夜行1往復ずつの運行。
    • 1992年7月 - 4列シートから独立3列シートに変更。
    • 2000年3月 - 昼行便を廃止。
    • 2007年9月30日限りで相鉄が撤退。翌10月1日からは江ノ電バスが当路線を引き継ぎ、横浜 - 藤沢 - 鎌倉間を延長運行。

撤退予定路線

バス事業では毎年10億円前後という巨額の赤字が続いており、2007年12月17日に以下の路線の撤退を発表した。相鉄労働組合ホームページによると、神奈川中央交通への委譲を前提としており、収益の点から黒字路線も一部委譲される予定である。相鉄労働組合は反発しており、今後の動向が大きく注目される。
  • 神奈川中央交通へ移譲:旭30・旭31(2008年8月16日移譲)
  • 江ノ電バス藤沢へ移譲予定:高速バスLAKE&PORT(2008年9月1日移譲)
  • 撤退予定路線:浜1・浜4・浜5・浜10

車両概説

いすゞ三菱ふそう日産ディーゼルの3社のバスが中心で、日野車はコミュニティバスの一部で導入されていたに過ぎなかった。しかし、2005年には大型車で日野ブルーリボンII(PJ-KV234L1)が導入されている。ただし、外見上はいすゞ・エルガと全く同じで、いすゞ車との区別は付かない。横浜市内の営業所にはいすゞと三菱ふそう、綾瀬営業所(現・相鉄バス)にはいすゞと日産ディーゼルが多く配置されている。
運賃支払い方法は、横浜市内が先払い、綾瀬地区が後払いと異なっているが、車体の仕様は統一されている。このため、前乗り前降り後払い方式の綾瀬地区でも中扉は4枚折戸となっている。
2001年 12月1日から綾瀬営業所が相鉄バスに分社化されているが、その後も同所を含めて転属が行われている。
2008年 10月17日から、相鉄バスを皮切りに、相鉄の企業カラーである、オレンジとブルーを基調とした、新デザインのバスが運行を開始した。なお、横浜営業所旭営業所は、旧車両との代替時に順次変えていく予定。
車両番号は4桁の数字により表記する。千の位はメーカー記号で、百の位が購入年の西暦下1桁、下2桁が通し番号となっている。メーカー記号の区分は以下の通り。
  • 1…三菱ふそう大型路線車
  • 2…いすゞ大型路線車
  • 3…三菱ふそう中型路線車
  • 4…日野車(過去にはいすゞ高速車に使用された)
  • 5…いすゞ中型路線車
  • 6…三菱ふそう高速車
  • 7…いすゞ貸切車
  • 8…日産ディーゼル車(下2桁通し番号でさらに区分:00番台が大型・30番台が貸切・60番台が中型)
  • 9…三菱ふそう貸切車

過去の車両

画像:K-ECM430N-Sagami-Railway-Bus.jpg|相模鉄道の中型路線バス。この車両は本厚木駅 - 二俣川駅線の専用車であった。現在の一般車両塗装。 画像:U-MJ117F-kai-Sotetsu-3101.jpg|1994年に導入された小型路線バス。この車両は相模大塚駅 - 鶴間駅線の専用車であった。 画像:P-LV314L-Sotetsu-2901-GreenBox.jpg|相模鉄道の大型路線バス「GreenBox」。横浜博覧会PR塗装車をそのまま統一広告車両として使用していた。 画像:P-MS729SA-Sotetsu-6902-BlueLight.jpg|相模鉄道の高速バス運行開始当初の車両。当初は路線ごとに車両が固定されており、愛称も表記されていた。

その他

1999年 10月までは海老名駅 - 寒川神社間を定期路線として運行していた。現在も毎年正月三が日(大晦日の終夜運転を含む)に寒川神社への初詣客向け臨時バスを海老名駅より運行している(一部便は寒川神社からさらに大和駅まで運行)。また、通年で終電後に横浜駅 - 海老名駅間の深夜急行バスを運行している。

鉄道・バス以外の事業・サービス

相模鉄道はグループ34社を統括する事業持株会社であり、鉄道路線が比較的小規模なこともあり、連結売上高は流通業や不動産業が牽引している。グループ内では相鉄ローゼン東証一部に上場している(2009年4月2日に上場廃止予定http://www.sotetsu.co.jp/news_release/archives/PDF/081127_01.pdf)。また、相鉄企業と横浜地下街(現:相鉄アーバンクリエイツ)はかつてJASDAQに上場していた。
横浜高島屋は、開店当時高島屋と相模鉄道が対等出資していた。横浜駅西口に高島屋ストアを誘致する前に相鉄経営陣には自前で相鉄百貨店を開設する動きがあったが、現在では横浜高島屋は日本国内の高島屋店舗の中で売り上げ上位を占め、相模鉄道は高島屋の大株主に納まっている。なお、高島屋のスーパーマーケット事業の一部は現在相鉄ローゼンが引き継いでいる。
また、ゆうちょ銀行のATMが横浜駅2階、大和駅相鉄観光内、かしわ台駅などに設置されている。
社外広報誌として文庫本タイプの「相鉄瓦版」が毎月1日に発行されている。創刊は1976年3月だが、当初は不定期発刊だった。
相鉄沿線の通年観光施設は「よこはま動物園ズーラシア」ぐらいであるが、沿線での催物は、横浜駅西口を中心として開催されるヨコハマカーニバル・ハマこい踊り、同じ横浜市旭区ジャズまつり、大和市阿波踊り米軍厚木基地での航空ショー、さらにかしわ台電車基地の親子見学会(鉄道ファン向けの見学・鉄道グッズ販売会)などがある。また、近年では瀬谷地区で相鉄側とタイアップして「相鉄瀬谷八福神めぐり」の割引乗車券によるアピールを年末年始の時期に行っている。

提携など

これにより相鉄の列車は東京都および一部は埼玉県まで運行される予定である。

関連項目

脚注

参考文献

  • 『相鉄七十年史』相模鉄道
  • 長谷川弘和 『横浜の鉄道物語 陸蒸気からみなとみらい線まで』 JTBパブリッシング 2004年 ISBN 4-533-05622-9

外部リンク

社 *

出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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