相模鉄道株式会社(さがみてつどう、
英称:
Sagami Railway Co.,Ltd.、略称・
相鉄〈そうてつ、SOTETSU〉)は
神奈川県に路線網を持つ
鉄道会社である。
相鉄グループの中核企業であり、
大手民鉄に含まれる。本社所在地は
横浜市西区北幸二丁目9番14号。
概要
相鉄ジョイナスなど
横浜駅西口の
不動産の多くを保有する大地主でもあり、横浜
高島屋(現在の高島屋横浜店)は相鉄が誘致している。現在横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズが建つ場所はかつての本社ビル(グループ外企業も入居する「相鉄ビル」というオフィスビル)跡である。
2005年
4月1日に相鉄グループの
商法上の
持株会社となり、運輸事業およびグループ経営事業以外の各事業を分社した。運輸事業については「
社内カンパニー制」を導入したため、鉄道事業部門は「鉄道カンパニー」、自動車(路線バス)事業部門は「自動車カンパニー」となっている。
この年度の決算では久方ぶりの増益となった。このことは景気の回復傾向と
通勤・
通学での
定期利用者の増加と密接な関係があり、2004年
11月より前年同月比増加に転じ、その後も増加基調が続いている。
2006年
6月2日にはホテル運営会社の
相鉄インを設立し、ビジネスホテル業に参入した。「相鉄フレッサイン」の名で神奈川県内10店舗を目指すとしている。1号店は
大船駅前、2号店は
湘南台駅前に開業した。3号店は
戸塚駅前に開業予定。
2006年
7月1日から、「S」の文字をモチーフにした青とオレンジのグループマークとグループブランドメッセージ『ときめきと やすらぎをつなぐ』を制定し、同日より使用している。また、同年11月からは在籍車両に順次側面および前面にグループマークを貼付して運行している。さらに
2007年4月22日より在籍鉄道車両の塗色を前述のコーポレートカラーである青とオレンジを含む新塗色に順次変更している。 同社線の車両は、各系列ごとに塗装デザインが異なるのが特徴で、
池田満寿夫や
柳原良平のデザインの車両を運行していた時期もあり、一見他社線の車両が乗り入れているかのような状態となっていたが、他鉄道事業者との相互直通運転計画を目前にそれが解消される見込みである。また、同年度から駅名標や案内板などを新グループマークに沿ったデザインの物への交換を進めている。
関東地方の主な私鉄・地下鉄・路線バスが導入を目指した
PASMOについては、他の導入鉄道事業者と同様に2007年
3月18日から鉄道全駅と旭営業所所管の一般路線バスに導入され、JR東日本などが導入している
Suicaとの相互利用が可能になった。これに先立ってPASMOへのオートチャージが可能となる
クレジットカード「相鉄カード」が同年
2月3日に発行された。
2007年は創立90周年にあたり、2008年現在も各鉄道車両には「Frontier Spirits SOTETSU 90th 横浜とともに未来を拓く」のステッカーが貼られている。
鉄道事業(鉄道カンパニー)
歴史
神中鉄道の開業当時は、厚木・
相模国分・
相模大塚・
大和・
瀬谷・
二ツ橋(三ツ境3号踏切付近)・
三ツ境・二俣川の各駅で営業を開始した。相鉄社内報(1977年10月)に掲載されている座談会によれば、開業当時の話として「二俣川駅には駅長と駅手4名の合計5名。厚木駅には、運輸課長代理兼務の駅長と助役2名、駅夫4名、出札掛1名、車掌2名がいた。中間駅は、駅長と出札・改札を兼ねた駅手1名の2名のみ。全線でも26名しか駅にはいなかった。」とある。また、「機関庫には、機関士と機関助手、検査掛、炭水夫がいた。」とも話している。
こうして、前述の厚木で隣接していた両社は同じ東急の傘下に入る。同年4月には経営合理化のため相模鉄道が神中鉄道を吸収合併、それぞれ「相模鉄道相模線」、「相模鉄道神中線」となる。しかし、
1944年6月に戦時体制下における
東海道本線と
中央本線間のバイパス路線として相模線が
国有化されて
鉄道省に編入されたために、神中線部分のみが相模鉄道(以下
相鉄)として存続するという憂き目にあう。こうして経営基盤とも言える相模線を失う一方で、
厚木飛行場の開設などにより神中線の乗客や貨物輸送は急増した。しかしながら、脆弱な神中線の輸送力はもはや限界であり、これを克服するにはもはや相鉄の手には負えない事態となってしまった。このため、
1945年6月から
1947年5月までの間に親会社である東急へ鉄道事業一切を委託し、戦時下終戦直後の混乱期を乗り切ることとなった。この当時、現在の本線にあたる名称は「東急厚木線」または「東急神中線」と呼ばれていた。
1947年6月に東急から派遣されていた川又貞次郎ら役職員は、経営民主化を理由に東急が保有する相鉄株式を取得して、ここに東急から独立し、厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。
しかし、
1960年前後に小田急電鉄を通じて
東急グループが再買収の動きを起こした。この時に川又社長以下経営陣は既存株主に対して売却しないように働き掛け、また
三井銀行社長の佐藤喜一郎(横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資して買収を防いだ。この結果、相鉄のメインバンクは現在も
三井住友銀行となっており、後にこの一件が引き金となって東急の
渋谷・
多摩田園都市開発に対抗する相鉄の横浜西口・いずみ野沿線開発が行われている。また、現在も
筆頭株主が小田急電鉄となっているのはこの時の名残りである。
戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進み、
1942年6月から現在の
東急東横線からの配電で横浜 - 西谷間が600V電化されたのを皮切りに、1943年
8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1500V電化され、1944年9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの本線の全線電化が完成している。なお、
1946年12月に現在の
京急本線からの配電に変更して全線が1500V化され、厚木貨物線の電化も
1949年11月に行われた。
また、全線の複線化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、
1951年11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌
1952年12月までに数度に分けて
希望ヶ丘駅までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして
1957年1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、
1964年11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は
1961年1月に墜落した
米軍機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年と1962年にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。
1966年4月には大塚本町駅(当時、現在の
かしわ台駅東口)まで複線化し、
1967年4月には
かしわ台工機所(車両基地)の完成とともにここまで複線化され、
1973年9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌
1974年3月となった。
なお、
日本国有鉄道(国鉄)末期に民営化議論がまだ強く推進される前に、電化されて長編成の冷房通勤電車が走る相鉄本線に対して、
非電化ローカル線として取り残されていた国鉄相模線を国有化前の経営母体である相鉄に返還譲渡するという検討がされたが、現職の職員を含めての引き取り条件が妥結せず、実現しなかった。その後の對馬好次郎社長就任時には相模線買取を検討したものの果たせなかった。当時の相模線が、
営業係数400を越える赤字路線であったことが実現しなかった理由として挙げられる。なお、同線はそのまま
1987年4月1日にJR東日本へ継承され、
1991年3月16日に電化されている。
路線
車両
特徴
電車に関しては、終戦からの中古車主体の頃の台車は主に
国鉄型(DT-10系やDT-13など)や
住友KS-30Lなどのいわゆるイコライザー・タイプのものが使用されていたが、昭和30年代から比較的近年まで技術的個性が強くなり、
直角カルダン駆動と車輪外側に露出した
ディスクブレーキ、
旧6000系から
新7000系までの新造車(改造車の
2100系と
5000系を除く)は希少な「日立式電磁直通ブレーキ」(正式名称は「電磁直通弁式電磁直通空気ブレーキ」)が採用されるなど、走行装置関係がきわめて特徴的であった。
パンタグラフについてもやはり特徴的で、
1975年までの新車は
旧型国電車両でも使用されていた骨組みがパイプではなく鉄板製のPS-13形を搭載していた。また、相鉄ではパンタグラフは部品扱いで形式ごとに固定されたものではなかったため、最新鋭車両にPS-13形が搭載されたり、1編成の中に3種類のパンタグラフが混在していることもあった。中古車主体の時代(昭和20 - 30年代)を見てみると、PT-42系(小田急と乗り入れていたためか1965年 - 1966年頃になくなった模様)やTDK C-5Aのほか、相鉄入線前から元々搭載されていてそのまま使ったとおぼしきものもあったようである。変わったところでは日立K-100CというPS-13とPS-16を合成したような形態のものもあった。5000系と6000系の一部で使われていた。基本的にバネ上昇、圧縮空気下降方式である。
このように、何かと特徴的ではあったが、シングルアーム式パンタグラフの導入も比較的早く、
1994年には実車試験も始められていた。現在、10000系で使われているPS-33B形とそれ以外の系列で使われている
東洋電機PT-71系の2種類がある。
一部の車両では試験的に
ヒートポンプ式冷暖房兼用
空調装置を搭載していた。この装置の通勤型車両での採用例自体が珍しく、特に(旧)6000系の6021号車では温風を座席下にダクトで送り込む方式も試験運用されていたが、結局本格的な採用にはならなかった。また、相鉄の空調装置は基本的に
集中式であるが、9000系だけは例外的に
集約分散式となっている。
なお、相鉄は冷房化の開始時期や進捗が早く、
1987年(昭和62年)には関東地方の私鉄で初めて(ただし戦後の新規開業路線を除く)冷房化率100%を達成した。
車体も、2100系から9000系まで
アルミ合金車を採用した。このうち7000系までは骨組み部分が外側から明確に判るよく似た無骨な外観を持っている。接客設備にも特徴が多く、
1972年に日本で初めて
パワーウインドウ(油圧式。一般営業用では世界初であったとも言われている)を導入したほか、新7000系の最終増備車と
8000系・9000系の編成内の2両に
4扉セミクロスシートを設置している。パワーウインドーは相鉄と
阪急、
京阪、小田急などごく一部でしか採用されていない(装置も相鉄は油圧式なのに対し阪急・京阪・小田急は空気式)。4扉セミクロスシートはJR東日本が
E217系などの近郊形車両の4扉化に当たり参考にしたと言われている。
しかし、このような特徴は製造コストが高いためか、コストダウンを主な目的に登場した10000系はJR東日本の
E231系の基本設計に基づいた車両で、相鉄で初の
ステンレス車両となっただけでなく、上記に挙げた技術的特徴はすべて解消されてしまった。これにより10000系からの車両はJRと共同開発した東急車輛製造製が中心となり、中にはJR東日本の
新津車両製作所(
新潟県新津市、現:
新潟市秋葉区)によって製造された車両も含まれている。
過去には地方私鉄で使いやすい車両が揃っていて、比較的コンスタントに譲渡車があった。旧相模鉄道・神中鉄道時代の車両も含めると、電車から気動車、客車、果てはSLや貨車に至るまで100両ほどあるといい、譲渡先からの再転出分も含めるとほぼ日本全国で足跡を残しているようである。しかし、自社で車両を新造するようになってからは上記の技術的特徴のほか、大手私鉄で最も大きくなった
車両限界や冷房付きで大型の20m両開き4ドア車であることもあってか、地方の私鉄への車両払い下げ自体が敬遠されており、
1970年代に
伊豆箱根鉄道に旧型車2000系を譲渡(150形、事業用として1両が残存→
伊豆箱根鉄道コデ165形電車参照)して以降は譲渡例がない。
車両番号の付け方
他の鉄道事業者でも同様だが、相鉄でも旧6000系以後の車両では
車両番号には役割に応じたものが使われている。詳しくは各系列の記事に譲るものの、以下も主な例を示す。
- 0番台…横浜側に組成される制御電動車(例:7006号車)
- 100・200番台…中間電動車(電動車ユニットを組むものが多いが一部形式では例外もあり)(例:8119号車と8219号車のユニット、7103号車と7104号車のユニット、5153号車〈独立電動車であり、例外の一例〉)
- 300番台…中間電動車(独立している電動車を指す。ただし一部古い形式では例外がある)(例:7351号車、10301号車)
- 500番台…海老名・湘南台側に組成される制御車(例:9502号車)
- 600番台…中間付随車(例:5656号車)
- 700番台…横浜側に組成される制御車(例:7703号車)
また、更新工事や増備途中などで制御装置を
VVVFインバータ制御に変更した場合、下2桁を51から付け始めるのも特徴である。ただし、その時でも正式名称(相鉄公式)は変えていない、新7000系VVVFインバータ車を例にとると、該当編成は7050系ではなく新7000系として扱われている(その他の例:2代目5000系、3000系)。
現役車両
2007年10月現在、386両を営業運転に使用している(緊急予備車・休止車両・保留車を除く)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。
近年は利用者の減少などで10両編成車の製造は
2002年の10000系20両以来中断され、
2003年度以降に製造された同系列は8707Fが事故で廃車されたことによる補充分にあたる10708F以外は8両編成で製造されている。既存の7000系も2007年10月現在編成の組み換えで8両編成のみとなっており、最も横浜寄りの2両である制御電動車と中間電動車は厚木駅やかしわ台車両センターの両留置線に留置され、半ば休車状態となっているほか、
2006年5月には一部の新7000系にも8両編成で運用される列車が登場していた(後に10両編成に復帰)。なお、
2008年度以降には老朽化した5000系・旧7000系車両の代替として、JR東日本の
E233系1000番台をベースに、
モーター・制御装置などの二重化、乗降口とホームとの段差を低くし
バリアフリー化の促進、車内に液晶ディスプレイ(LCD)を導入した新型車両の
11000系10両編成2本(20両)が導入されるので、再び10両編成車の製造が行われる予定である。
2007年4月より、これまで各系列別に施していた車体の塗装を、新7000系〜10000系の各系列において相鉄の新コーポレートカラーの相鉄ブルーと相鉄オレンジの新塗装に塗り替えることが発表された。デザインは10000系に準じている。最初の編成は9000系9707Fで、同年3月に塗装を完了し、
4月22日に
いずみ野駅でお披露目式が行われた。その後も順次変更し、
2010年度末までに全車両の変更が終了する予定である。なお、2008年度以降新造予定の11000系については登場当初から新塗装となっている。
相鉄瓦版170号で、今後予定されている
神奈川東部方面線の開通に合わせ、既存車両の保安装置の改修を行うことを公表した。
一般型車両
事業用車両
導入予定車両
廃車・転出
電車
貨車
今後の予定・計画
立体交差事業
和田町駅東方から
天王町駅(
保土ケ谷区東部地域)まで約1.8kmの
連続立体交差事業が着工されており、
2012年度に竣工する予定である。完成後は
星川駅が2面4線(現在と同じ)、天王町駅が島式ホーム1面2線の高架駅にそれぞれ改築される。これに関連して星川駅構内にあった留置線と車掌区は
西横浜駅へ移転した。なお、天王町駅は着工以前から2面2線の高架式ホームとなっている。
東京都心・埼玉県への乗り入れ計画
その後、相鉄はJR東日本に対して相互直通運転の計画を持ちかけ、
2004年9月にJRとの相互直通運転計画を相鉄側が発表した。さらに
2005年度末頃からは東急もこの計画に加わることになり、JRとの相互直通運転を「
相鉄・JR直通線」、東急との相互直通運転を「
相鉄・東急直通線」とし、当初の神奈川東部方面線とは多少経路が変更されているものの、これら2路線を合わせて「
神奈川東部方面線」(いずれも仮称)とすることとした。なお、東急との接続路線は
目黒線に計画が変更されている。
海老名駅の改築
近年のバリアフリー化に伴い、順次駅舎へのエスカレータとエレベーターの設置を進めている。中でも、海老名駅については小田急と相鉄の駅舎がともに老朽化し、かつ手狭にもなっていることから、新しい駅舎を建設することになった(小田急は新築、相鉄は一部改良)。その際に当時の
厚木市長の呼び掛けで両者関係者出席の下で相鉄の駅から
小田急小田原線本厚木駅への乗り入れに関する
シンポジウムが開催されたが、海老名駅の新築計画が白紙になることや、相鉄の筆頭株主である小田急側が難色を示していることもあり、今後の動向が注目されている。これは、相鉄側の主張によると、小田急線のみならず、他社線との相互直通については利便性向上や沿線価値の向上、新たな輸送需要喚起になるため、今後の研究課題としている。しかしながら、
- 車両や運転保安設備などに互換性がない。
- 小田急とのダイヤ調整が必要である。
- 海老名駅の構造など大規模な設備投資が必要。
などの課題があり、実現性が乏しいとしている。
そのような中で、横浜駅に次ぐターミナル駅でもある海老名駅のホームを改修し、幅をおよそ4割拡張する。2007年秋から仮設乗り場の建設を行っており、2008年9月までに完成させることが発表された。しかし9月24日現在、工事中である。
その他の予定・計画
- 神奈川東部方面線に関連して、いずみ野線湘南台 - JR東海道本線平塚間の延伸計画もあるが、こちらは上記の都心直通計画が実現した後に取り掛かるとされている。
- 本線の二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設して複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まり構想が流れているため、神奈川東部方面線の建設に移行している。
- 駅の案内サインを2007年12月中旬に変更したさがみ野駅を皮切りに、バリアフリーを取り入れ、LED照明を利用した省エネタイプのものに順次交換予定である(平沼橋駅の横浜寄り1か所の駅名標もこの仕様)。このサイン計画はかつての営団地下鉄やみなとみらい線等、多くの公共空間のサイン計画を主導した黎デザイン社が手がけている。新サイン計画では、一部サインに中国語や韓国語の表記も用いられている上、改札付近には近隣鉄道のネットワーク図も新たに設けられている。将来に備えてかさがみ野駅の横浜方面の案内板には「横浜 新宿 渋谷方面」と表記された案内が交換時に見られたが、その後「大和 二俣川 横浜方面」とされた。
- 各駅に冷暖房完備の待合室を設置する予定である。
運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。
いずみ野線に跨って乗車する場合は、同線内の乗車区間・キロ数に応じた加算運賃が必要となる。
各区間を跨って乗車する場合はそれぞれの額の合計が加算額となる(例:いずみ野 - 湘南台間の場合はいずみ野 - いずみ中央間が2.2kmなので「二俣川 - いずみ中央6kmまでの加算額20円」 + 「いずみ中央 - 湘南台の加算額30円」 = 50円)。
1日乗車券
2005年から毎年、夏から11月にかけて相鉄全線(バスを除く)が乗り降り自由な「相鉄・鉄道全線1日乗車券」を大人600円・小児300円で発売している。発売期間は2005年と2006年が8月1日 - 11月30日であったが、2007年以降は期間が7月下旬からに拡大され、2007年は7月21日 - 11月30日、2008年は7月19日 - 11月30日となっている。
フリーパス
相鉄は、上記の経緯により小田急電鉄との関係が深く、小田急線で発売している各種フリーパスも発売している。特典には相鉄線乗車駅から小田急線乗り換え駅(大和駅または海老名駅)までの往復割引乗車券が追加されている(湘南台駅乗り換えは発売していないため、
いずみ中央駅などいずみ野線内で江の島・鎌倉フリーパスを購入しても大和駅経由になる)。そのため、パンフレットも小田急と同じものが使われている。
その他
- 大手私鉄、特に料金不要の列車しか運行していない会社では珍しい存在になりつつある「旅客専務車掌」(JRでいう乗客専務車掌、車内での乗客サービスのみを行う)による車内巡回が行われており(主に本線)、乗り越し精算、他社線連絡乗車券の発売などを行っている。以前は6000系の柄のものなど車掌区オリジナルのパスネットも発売していた。しかし、人員削減や合理化により車掌の車内巡回そのものを取りやめる会社が増える中、乗客サービス専門の車掌が車内を巡回する姿は貴重となっている。
- 他に珍しいものとして、過去には1960年代にお買い物電車「オカイモノ急行」を運行していた。
-
1983年にフジテレビ制作、山田太一脚本のドラマ「早春スケッチブック」の舞台として、本線の希望ヶ丘駅周辺一帯や近接するいずみ野線の南万騎が原駅付近をはじめ、本線沿線(瀬谷駅前広場や横浜駅周辺)や電車内でロケが行われた。ちなみに相鉄はこのドラマの制作に協力しており、オープニングでは旧6000系(クハ6517編成)が希望ヶ丘駅ホームに入線して来るシーンや、本編中に当時まだ宅地開発途上であった本線の沿線風景、登場人物が電車に乗車しているシーンがよく登場している。
- 本線の希望ヶ丘駅といずみ野線のゆめが丘駅では縁起物の硬券の片道乗車券を発売している(愛称は「ゆめきぼきっぷ」)。以前は往復乗車券の様式で発売していたが、現在は「希望ヶ丘駅→ゆめが丘駅」と「ゆめが丘駅→希望ヶ丘駅」の2種類で発売されており、受験生に好評である。受験シーズンになると、購入者に特製の絵馬がプレゼントされる。これに合わせて両駅には絵馬掛けが設置されるが、掛けられた絵馬はシーズンオフになると寒川神社に奉納した上で「お焚き上げ」される。
- 特に告知していないが、相鉄線各駅では硬券入場券を販売している。おまけとして昔の駅舎写真を印刷したポストカードがもらえることがある。なお、創立90周年を記念して入場券セットを発売したことがある。
- 相鉄グループの新CIロゴ制定と同時に、鉄道カンパニー独自に「速く、遠くに、快適に」のスローガンを掲げている。
- 最近では、10000系編成において日立のコーポレート・ステートメント「Inspire the Next」やグループ企業の横浜ケーブルビジョン、そして2009年の横浜港開港150周年を記念したラッピング電車が2007年から数種運行されている。またラッシュ時には4号車を女性専用車として運行している。
- 近年では、電車が来ることを知らせるチャイムを導入し、バリアフリー化を推進している。
バス事業(自動車カンパニー)
バス事業は、創立時の相模鉄道が相模原地区で手掛けていた路線を戦時中に東海道乗合自動車(現在の
神奈川中央交通)に譲渡していたため、戦後は合併後の相鉄が
1949年12月27日に免許の再交付を受け、翌
1950年6月20日から
横浜市内を中心にゼロからスタートした。なお、創立時の経緯については神奈川中央交通の項に詳しい。
営業所の運行地域
路線一覧は各営業所の記事を参照のこと。
高速バス
2008年
8月31日をもって完全撤退。以下は過去に運行していた路線である。
田沢湖線
LAKE&PORT(
羽後交通と共同運行。最後まで残った路線である)
徳山線
新潟線
大阪線
- 相鉄高速バスセンター・横浜駅西口 - 大阪駅前(東梅田駅)・なんば(OCAT)・あべの橋バスステーション
- 概要
- 使用車両
- 車内が独立3列シートの三菱ふそうエアロクィーンI。運行開始当初は「BULE LIGHT」と車体に記載された専用車両が使用されていたが後に高速バス共通塗色車両(ブルーライト号で使われたデザインをモノトーン化したデザイン、レイク&ポート号で先行採用)が他系統と共通運用で使用された。
- 沿革
高松線
- 相鉄高速バスセンター・横浜駅西口 - 高松駅・坂出駅・丸亀駅・丸亀バスセンター
- 概要
- 沿革
金沢線
- 横浜駅西口相鉄バスセンター・横浜駅西口 - 金沢駅前
- 概要
- 相模鉄道にとっては3路線目の高速バス路線であり、共同運行会社の北陸鉄道の関東方面への高速バス路線としては2路線目の高速バス路線であった。運行開始当初は昼行便も設定されていた。また、当初は4列シート車であったが、1992年夏から独立3列シートに変更された。その後、乗車率の低い昼行便を廃止。
- 使用車両
- 運行開始当初から1992年夏までは4列シート32人乗り便所付スーパーハイデッカーであった。
- 沿革
- 1989年7月29日 - 運行開始。当初は昼行・夜行1往復ずつの運行。
- 1992年7月 - 4列シートから独立3列シートに変更。
- 2000年3月 - 昼行便を廃止。
- 2007年9月30日限りで相鉄が撤退。翌10月1日からは江ノ電バスが当路線を引き継ぎ、横浜 - 藤沢 - 鎌倉間を延長運行。
撤退予定路線
バス事業では毎年10億円前後という巨額の赤字が続いており、2007年
12月17日に以下の路線の撤退を発表した。相鉄労働組合ホームページによると、
神奈川中央交通への委譲を前提としており、収益の点から黒字路線も一部委譲される予定である。相鉄労働組合は反発しており、今後の動向が大きく注目される。
- 神奈川中央交通へ移譲:旭30・旭31(2008年8月16日移譲)
- 江ノ電バス藤沢へ移譲予定:高速バスLAKE&PORT(2008年9月1日移譲)
- 撤退予定路線:浜1・浜4・浜5・浜10
車両概説
いすゞ・
三菱ふそう・
日産ディーゼルの3社のバスが中心で、
日野車はコミュニティバスの一部で導入されていたに過ぎなかった。しかし、2005年には大型車で
日野ブルーリボンII(PJ-KV234L1)が導入されている。ただし、外見上は
いすゞ・エルガと全く同じで、いすゞ車との区別は付かない。横浜市内の営業所にはいすゞと三菱ふそう、綾瀬営業所(現・相鉄バス)にはいすゞと日産ディーゼルが多く配置されている。
運賃支払い方法は、横浜市内が先払い、綾瀬地区が後払いと異なっているが、車体の仕様は統一されている。このため、前乗り前降り後払い方式の綾瀬地区でも中扉は4枚折戸となっている。
車両番号は4桁の数字により表記する。千の位はメーカー記号で、百の位が購入年の西暦下1桁、下2桁が通し番号となっている。メーカー記号の区分は以下の通り。
- 1…三菱ふそう大型路線車
- 2…いすゞ大型路線車
- 3…三菱ふそう中型路線車
- 4…日野車(過去にはいすゞ高速車に使用された)
- 5…いすゞ中型路線車
- 6…三菱ふそう高速車
- 7…いすゞ貸切車
- 8…日産ディーゼル車(下2桁通し番号でさらに区分:00番台が大型・30番台が貸切・60番台が中型)
- 9…三菱ふそう貸切車
過去の車両
画像:K-ECM430N-Sagami-Railway-Bus.jpg|相模鉄道の中型路線バス。この車両は本厚木駅 - 二俣川駅線の専用車であった。現在の一般車両塗装。
画像:U-MJ117F-kai-Sotetsu-3101.jpg|1994年に導入された小型路線バス。この車両は相模大塚駅 - 鶴間駅線の専用車であった。
画像:P-LV314L-Sotetsu-2901-GreenBox.jpg|相模鉄道の大型路線バス「GreenBox」。横浜博覧会PR塗装車をそのまま統一広告車両として使用していた。
画像:P-MS729SA-Sotetsu-6902-BlueLight.jpg|相模鉄道の高速バス運行開始当初の車両。当初は路線ごとに車両が固定されており、愛称も表記されていた。
その他
1999年
10月までは海老名駅 - 寒川神社間を定期路線として運行していた。現在も毎年正月三が日(大晦日の終夜運転を含む)に寒川神社への初詣客向け臨時バスを海老名駅より運行している(一部便は寒川神社からさらに大和駅まで運行)。また、通年で終電後に横浜駅 - 海老名駅間の
深夜急行バスを運行している。
鉄道・バス以外の事業・サービス
横浜高島屋は、開店当時
高島屋と相模鉄道が対等出資していた。横浜駅西口に高島屋ストアを誘致する前に相鉄経営陣には自前で相鉄百貨店を開設する動きがあったが、現在では横浜高島屋は日本国内の高島屋店舗の中で売り上げ上位を占め、相模鉄道は高島屋の大株主に納まっている。なお、高島屋のスーパーマーケット事業の一部は現在相鉄ローゼンが引き継いでいる。
また、
ゆうちょ銀行のATMが横浜駅2階、大和駅相鉄観光内、かしわ台駅などに設置されている。
社外広報誌として文庫本タイプの「相鉄瓦版」が毎月1日に発行されている。創刊は
1976年3月だが、当初は不定期発刊だった。
提携など
これにより相鉄の列車は東京都および一部は埼玉県まで運行される予定である。
関連項目
脚注
参考文献
- 『相鉄七十年史』相模鉄道
- 長谷川弘和 『横浜の鉄道物語 陸蒸気からみなとみらい線まで』 JTBパブリッシング 2004年 ISBN 4-533-05622-9
外部リンク
社
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