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川崎宗則

川? 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手内野手)。

プレースタイル・特筆

2008年現在までに盗塁王、最多安打、ゴールデングラブ賞を獲得している走攻守に秀でたリードオフマン。後述の神の手など、ここ一番での活躍も光る反面、大事な場面の守備でエラーしてしまう悪癖も持つ。
元気溌剌なプレーでムードメーカーとしても貢献度は高い。投手が打ち込まれた際などに自らタイムを取って声をかけに行く光景などがよく見られ、首脳陣からも次期チームリーダーとしても期待されている。

略歴・人物

アマチュア時代

兄の影響で野球を始める、中学生までは投手、高校生の時に遊撃手に転向。鹿児島工業高校時代は中央球界では無名だったが、50 m 走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さからイチローをもじって「サツロー(薩摩のイチロー)」とも呼ばれた。
1999年ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに入団。

プロ入り後

新人時代から二軍で遊撃手のレギュラーに定着し、2000年ウェスタン・リーグ5位(チームトップ)の打率.300をマーク。2001年森谷昭仁に1個差に迫るウ・リーグ2位の29盗塁を記録し、シーズン終盤の10月3日にプロ初出場。2002年には規定打席不足ながら打率.367を残し、認定でウ・リーグの首位打者になり、9月には井口資仁の離脱で一軍の二塁手として起用された。インターコンチネンタル杯日本代表に選出されている。
2003年鳥越裕介の故障により2番遊撃手で初の開幕スタメン出場。鳥越のレギュラー復帰後は小久保裕紀の長期離脱で空いた三塁手にまわり、1番村松有人・3番井口とともに盗塁を量産。足でダイハード打線に貢献した。惜しくも3割は逃したが、初の規定打席到達で打率.294、2本塁打、51打点、30盗塁の好成績を残し、リーグ制覇、日本一に貢献した。
2004年には遊撃手のレギュラーに定着し、全試合出場と打率3割を記録。松中信彦と並び最多安打(174本)、盗塁王(42個)・ベストナインゴールデングラブ賞を獲得。オフの契約更改では背番号8を提示されたが、52から変更しない意志を表した。
WBC日本代表に選出され、9番遊撃手のレギュラーとして優勝に貢献。決勝のキューバ戦では初めて1番打者に抜擢され、1点差に迫られた9回表にイチローのライト前ヒットで二塁からホームへ一気に生還しようとした際、捕手のブロックのわずかなすき間から右手をねじ込んで生還した。これが「神の右手」として話題になったが、このとき右肘を負傷。シーズン復帰は4月中旬までずれ込んだ。
レギュラーシーズンでは2年ぶりの打率3割を記録。2度目となるベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得し、日米野球の選手選考のために行われたファン投票の遊撃手部門で1位に選ばれた(秋季キャンプ中に右手薬指を打撲して辞退)。
2007年は二度の長期離脱があり、レギュラー定着後はじめて規定打席に到達できなかった。しかし打率.329の高打率を残し、一時は規定打席不足による特例での首位打者も狙える位置にいた。
2008年交流戦で全体のトップとなる37安打、チームトップの打率.366(全体では4位)を記録。ソフトバンクの交流戦初優勝に貢献し、野手としては初の交流戦MVPに選出された。
北京オリンピック野球日本代表に選出されたが、シーズン中から痛めていた左足のケガを押して出場していたことが災いし骨膜炎を発症。帰国後の8月25日、実は左足第二中足骨の疲労骨折であったと診断された。
シーズン中の復帰は不可能と思われていたが、10月7日、今期限りで退任を表明した王貞治監督の最終試合となる楽天戦に途中出場。しかし2打数無安打1四球と結果を残せず、チームも最終回に守護神馬原孝浩が打たれサヨナラ負けを喫した。

年度別打撃成績

  • 表中の太字はリーグ最高記録

年度別守備成績

タイトル・表彰・記録

個人記録

人物・エピソード

  • ニックネームは名前よりムネリン。チームメイトからは「ムネ」「ムネさん」と呼ばれている。また、入団時は公称179cm・62kgと華奢で、太れ(筋肉をつけろ)と監督命令されたことから岡本克道から「ヒヨコ」とあだ名されていた。
  • 実家は川?電気工事という父が開業した電気工務店で、自身も高校時代に第2種電気工事士の資格を取得している。『東京フレンドパーク2』出演時、電気事業者を答えるクイズで「川?電気」と回答し、関口に「ノイズが入らなかったか?」と突っ込まれ、渡辺正行が「CMが入りました」とフォローした。同番組ではウォールクラッシュで「ジャニーズ系がよく跳ぶ」と関口宏らに言われ、「じゃあ、うちのジャニーズ系を」と指名されたが結果は散々だった。
  • 背番号 52にはこだわりを持っており、入団以来何度も変更を打診されているが断り続け、WBCでも52番をつけた。これは彼がイチローをして「イチローマニアですね」と言わせるほどの大ファンである為で、イチロー(背番号51)のひとつ後の番号という思い入れから。
    • アリゾナにあるイチローの別宅に招待された際、「どちらがイチローさんの車の助手席に乗るか」を巡るジャンケンで今江敏晃(ロッテ)に敗北した(『ジャンクSPORTS』内での今江の発言)。2007年はヤフードームの登場曲もイチローと同じ楽曲(矢沢永吉の『止まらないHa〜Ha』)を使用した。
  • 青木宣親ヤクルト)とは同学年で出身が近い(鹿児島と宮崎)こともあって旧知の間柄。高校時代に練習試合で対戦している。他、馬原孝浩ら同学年の選手や、WBCで二遊間を組んだ西岡剛ロッテ)と交友が深い。芸能関係では他にラッパーのMCUKICK THE CAN CREW)と交流があり、2007年のオープン戦で打席に入る際のテーマソングに、MCUの提供した『サヨナラ』を使用した。
  • 2006年、母校の鹿児島工業高校夏の甲子園に初出場した際、紫の刺繍で校名を縫い取ったスポーツバックを贈った(同校はベスト4に進出)。同年春、川?は自主トレーニングでこの母校の野球部の後輩たちと一緒に練習をしていた(公式HPの日記より)。
  • 中村基樹とのラジオ対談で、「僕は観客のために野球をしている。」「監督のために野球をしているのではなく、監督と一緒に野球をしている。」と語った。
  • 車の運転技術がひどかったことが、一時期、半ば自虐的に話のネタになっていた。
    • 2003年のインタビューで「自動車免許は取ったの?」と聞かれ「取ろうとしたけど全然ダメで、最後は実地訓練で教習車をぶつけてお終い。もう取らない」と答えた。
    • 2004年オフにオートマチック限定免許を取得。AT限定ということで、『月刊ホークス』の2007年7月号で吉本亮に「仮免って本当ですか?」と質問された。そして、赤いチェロキーを新車で購入。馬原孝浩は「突然、食事に誘われて車に乗ったら駐車場で『運転代われ。車庫入れができないんだ』と言われた」「他にも何人か食事を報酬に車庫入れをやらされている」と語った。
  • 愛読書は『ゴルゴ13』。完璧なのが好き、とのこと。

FMラジオ

2004年1月より福岡市のCROSS FMナビゲーターを務め、『川?宗則の今日もヨロシコ』を毎年1月から3月の期間限定で放送している。近況報告や裏話、ファンからの質問が中心で人気企画となっている。

入場テーマ(出囃子)

コマーシャル

関連項目

外部リンク


出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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