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清水エスパルス

清水エスパルス(しみずエスパルス、Shimizu S-Pulse)は、日本静岡県静岡市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

クラブの概要

1991年Jリーグ加盟。ホームタウン静岡県静岡市(合併前は清水市)。ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場(日本平スタジアム、静岡市清水区村松。発足当初は静岡県草薙総合運動場陸上競技場(静岡市駿河区聖一色)を準ホームスタジアムとしており、球団事務所も静岡市駿河区栗原にあった。練習は三保グラウンド、静岡市清水総合運動場等を使用している。チーム名の「エス(S)」は、静岡・清水・サッカーの頭文字、「パルス(PULSE)」は英語で心臓の鼓動を意味する。

Jリーグ年度別成績

獲得タイトル

国内

※1鹿島が2000年度のJ1天皇杯を優勝した為繰上げ出場
※2反則ポイントで初の0ポイントを達成した。

国際

※3天皇杯1998年度大会で優勝した横浜F横浜Mと合併したための代替枠出場

個人別タイトル

Jリーグ
ベストイレブン
新人王
フェアプレイ個人賞
ナビスコ杯

クラブの歴史

概略

1992年7月4日、大阪・長居陸上競技場にてガンバ大阪と初マッチ。公式サイトではこの日を「エスパルスの誕生日」としている。
Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつ。母体チームを持たず(厳密に言えば、Jリーグに加盟する前の結成当時は、清水FCとして静岡社会人リーグに加盟していたが、このJリーグ加盟を機に清水エスパルスへと名義変更しただけである。)、静岡県出身者を中心にスカウトしてチームを編成した。当初は市民やテレビ静岡(静岡市)、中日新聞東海本社(浜松市)等が出資する会社(株)エスラップ・コミュニケーションズにより運営されていたが、1997年に経営破綻。流通業の鈴与をはじめとした地元企業の出資により現在の運営会社(株)エスパルスが設立され、チームを継承した(詳細は後述)。
1991年 5月設立の運営会社は資本金の1割が市民持ち株というほどサッカーどころである。そんなサッカー王国・静岡の最大の財産は、才能豊かな選手達。当初は地元出身の優れた選手達を補強し、特にDF堀池巧(前読売クラブ)、MF大榎克己(前ヤマハ)、FW長谷川健太(前日産自動車)の「清水東三羽烏」の地元への移籍は当時の清水サポーターを賑わせた。また初代主将となる三浦泰年(前読売クラブ)や新人選手としてMF澤登正朗東海大学卒)などを補強し、その結果第1回Jリーグヤマザキナビスコカップ準優勝(1992年)を果たす。その後もナビスコカップ優勝(1996年)、J1 2ndステージ優勝(1999年)、天皇杯優勝(2001年)など、数々のタイトルを獲得した。
チームは伝統的に延長戦に入ってからの勝ちが多い。そのため、トーナメントでは好成績を収めながらも、リーグでは延長勝ちの勝ち点が2点に減点されたことや、またさらに延長戦が廃止されてしまうと成績が下降。
2003年シーズンは11位、2004年シーズンは14位、2005年シーズンは終盤まで降格争いをし、最終的には15位で残留を決めるなど低迷期が続いた。これらの成績の主な原因として若手選手の育成に課題があった。それまでチームはユースから大量の選手を昇格させるという方針をとってきたが、これらの選手の多くが満足に結果を残してきたとは言い難かった。その為、スカウトの充実や、ユース選手だけでなく外部からの選手の補強を図ることで、チームの復活を目指した。その結果、2005年度にデビューした枝村匠馬兵働昭弘青山直晃ら若手選手が主力として定着し、同年の天皇杯で準優勝の成績を収める。
トリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)の達成を目指して迎えた2006年シーズンもルーキー藤本淳吾が主力として定着し、青山直晃が日本代表に選出されるなど前年以上に若手選手が台頭。またかつての代表である森岡隆三市川大祐伊東輝悦斉藤俊秀らも復調を果たし開幕から上位につけ最終的に4位でシーズンを終え、目標であったトリプル5も達成(4位・勝ち点60・得点60)。長年の低迷期からの脱却に成功、強豪復活の気配を見せている。また、12年ぶりに年間順位でジュビロ磐田を上回った。シーズン終了後には藤本淳吾が新人王を獲得する一方で森岡隆三が出場機会を求めて移籍するなど、世代交代を象徴するシーズンであった。 なお、リーグ通算の対戦成績で鹿島アントラーズに勝ち越しているのは清水エスパルス(19勝16敗2分)と川崎フロンターレの2チームのみである。
(※)フジテレビが資本参加していたことからJリーグ創設当初の数年間国立霞ヶ丘陸上競技場でも主催試合を一部行っていた。2006年の鹿島アントラーズとの対戦でも使われた。

ヤマハ発動機サッカー部との統合案

Jリーグ創設期の1991年、静岡県では本田技研工業サッカー部(本拠地・浜松市/当時JSL1部)が、Jリーグへの参加を早々と見送ったことにより、ヤマハ発動機サッカー部(本拠地・磐田市/当時JSL1部/現・ジュビロ磐田)と、清水F.C(本拠地・旧清水市/現・エスパルス)の2チームが、Jリーグの初年度参加資格を争うことになった。
ヤマハ発動機サッカー部は、大手国際企業を母体とし、当時国内最高峰であったJSL1部に於いて無敗優勝を成し遂げる等、豊富な資金力や高い実績・ノウハウを持っていた。これ対し、清水F.Cは発足したばかりであった為、資金も実績も乏しく、当時は非常に不利な状況に置かれていた。しかし、ヤマハ発動機サッカー部が本拠地とする磐田市には、Jリーグの基準を満たす高規格のスタジアムが存在しなかった。故に同サッカー部は、非公式で隣接する大都市の浜松市を本拠地化する方向で動いた。だが、浜松市内にはヤマハ発動機のライバル企業であるスズキ等の本社があり、地元行政は中立公平の立場から「特定の企業のために公共施設を改修・建設はできない」とする頑な姿勢を示し、ヤマハ発動機側は浜松本拠地化構想を断念した。
その頃、清水F.C側は内外に向け、清水市がサッカーの町であることを積極的にアピールし、当時Jリーグ理事長であった川淵三郎の理解を得た。しかし川淵は、実業団でクラブ運営の経験がない清水F.Cに対して、現実的な不安を拭いきれず、「静岡県に2つのプロクラブが並存することは時期尚早」という論理付けの下、ヤマハ発動機サッカー部と清水F.Cを統合し、清水市を本拠地とすることを両クラブ関係者に提案した。しかし、この提案はヤマハ発動機サッカー部には到底受け入れることができないものであった。その理由は、ヤマハ発動機サッカー部が本拠地とする磐田市は、清水F.Cが本拠地とする旧清水市と同一県内でありながら、帰属する文化圏・地域経済圏が異なっていたからである。故に、ヤマハ発動機側にとって川淵の提案は、資金やノウハウを清水F.C側に無償提供するだけで、地元には大きなメリットは見込めないものに映った。
このような経緯から、企業の論理を嫌う川淵は、「市民クラブ」の理念の下で発足した清水F.Cに初年度参加資格を与えた。一方、落選したヤマハ発動機サッカー部は、主力選手が次々と他チームに引き抜かれる最悪の状況に追い込まれ、一時期は社内会議で解散まで議論した。しかし、この際に現場関係者や支援者がチームの存続を強く訴え、社有地の東山グラウンド(磐田市)を改修して自社スタジアムを建設し、一年遅れでJリーグに参戦し、以後毎年エスパルスと熱い戦いを繰り広げている。

経営危機とクラブ再生

他チームのように経営母体を持たない市民クラブとして誕生した清水エスパルスだったが、1997年、運営会社エスラップ・コミュニケーションズが経営破綻、クラブ消滅の危機に陥る。しかしサッカー処清水のプロクラブを失くしてはならないとの願いから多くの市民、サポーターがクラブ存続の署名活動や募金活動を実施。また、その声に応えるように地元企業が資金援助を行った結果存続危機を乗り切り、翌1998年「株式会社エスパルス」として新生するに至る。なおクラブ消滅の危機に陥った際、アルディレス監督が率先垂範して契約更新を行い主力選手の他クラブへの流出を防いだことも知られている。

歴代監督・所属選手など

  • 歴代監督

キャッチフレーズ

新生エスパルスとなった1998年より毎年チームのテーマを掲げたキャッチフレーズが用いられるようになった。
  • 1998年 「Break Through
  • :選手一人ひとりが、そしてチームが立ちふさがる壁を「突破」し、栄光に向かって「突き進んでいく」。
  • 1999年 「dream stadium 1999
  • :観る者を魅了し、夢と感動をみんなで共有できるような空間・スタジアムを創造。
  • 2000年 「big mission 2000
  • :前年、2ndステージ優勝という結果を出したエスパルス。チームがさらなる成長を遂げることで、サポーターに大きな夢と感動を提供できる、それが2000年のエスパルスに与えられた使命(mission)である。
  • 2001 「Dynamic Soccer 2001
  • :Dynamic Soccerで相手を圧倒する。攻守の切り替えが速い、攻撃的なサッカーを目指す。次なる目標であるリーグ優勝を目指してチーム、サポーターとが一丸となって闘う。
  • 2002 「Orange Fantasia 2002
  • :オレンジの選手・サポーターたちが、ともにフェアで華麗なプレーを繰り広げ、夢舞台(Fantasia)を創りあげる。
  • 2003 「EXCITING FIELD 2003
  • :2003年新静岡市誕生という記念すべきシーズンをチームと市民とで興奮と感動を分かち合う為、最後まで激しく戦い続けることを誓う。HOME TOWNが歓喜の声に包まれる新たな歴史のスタートとする。
  • 2004 「HARD & ATTACK 2004
  • :ハードなトレーニングで極限まで身体能力を高め、精神を研ぎ澄まし妥協なき攻撃的サッカーを展開。「HARD & ATTACK」を標榜し、サポーターを魅了する「戦闘集団」へと生まれ変わる。
  • 2005 「2005 かける想い
  • :クラブ、チームのアイデンティティーを見つめ直し、「エスパルス」に“懸ける”想いとプライドを強く再確認、そして今シーズンに“賭ける”気持ちを、ピッチの中を勇敢に“翔ける”ことで表現し、チームの再生を目指す。サポーターへ熱いメッセージを伝えるべく、クラブとサポーター・ホームタウンとをつなぐ確かな橋を“架ける”ことを使命として取り組んでいく。
  • 2006 「かける想い S-PULSE 2006
  • :「エスパルス」に懸ける想いとプライドを強く再確認し、ピッチを勇敢に翔けることで勝負に賭ける熱い気持ちをサポーターに伝えるとともに、クラブとサポーター・ホームタウンとをつなぐ確かな橋を架けることを使命として取り組んでいく。昨季、長谷川健太監督就任の際にクラブ一丸となって掲げた「かける想い」を2年に渡って継承し、さらなる飛躍を遂げる。
  • 2007 「かける想い S-PULSE 2007
  • :「かける想い」を掲げ着実な成長を遂げてきた2シーズンを経て、3年目となる2007シーズンではさらなる高み(NEXT STAGE)への飛躍を遂げる。
  • 2008 「WE BELIEVE 2008
  • :共に戦ってきたサポーター、チームメイト、積み上げた努力、幾度となく流した涙、そして自分自身。その全てを信じ、いよいよ歓喜のときを迎えるべく、すべての人と、地域とエスパルスが一体とならなければならない。一人ひとりの信じる力が大きな後押し。どんなに困難な状況でも最後まで諦めることなく、己を信じて戦い抜く。

エスパルス栄誉賞

1999年に制定された。

チームカラーおよびユニフォーム

チームカラー

  • チームカラーは「エスパルスオレンジ」と名づけられた鮮やかなオレンジ色 。チームのホームタウンである静岡県が日本でも有数のミカンの生産地であり、また喜び・希望・若さ・前進・元気などをイメージさせる色であることがチームを象徴するにふさわしいとして定められた。
  • 当初は清水市(現静岡市清水区)が港を中心として発展してきた街であることや、市内のサッカー強豪高校が青系統のユニフォームを使用していることなどから市民には青が馴染みのある色であったため青系のチームカラーが検討されていた。しかしJリーグ創設時の10チームの中に青系統をチームカラーにしたクラブが既に多数あったことから差別化を図ることや各クラブ間の色のバランスをとるために「オレンジ」を選ぶことになった。

ユニフォームスポンサー

過去のスポンサー

※元・豊年製油。その後味の素の食用部部門と経営統合した「豊年味の素製油」を経て、更に吉原製油とも経営統合し現在の「J-オイルミルズ」となる。
(※日本航空の胸ロゴは日本でのユニフォーム広告の先駆けであった。かつてはどこのクラブも胸にはクラブ名が入ったユニフォームを着用していたが、当時日本航空社員の伊沢氏が欧州サッカークラブの胸スポンサーを見て、市民球団で特定の企業イメージが無かった清水に、ユニフォーム胸部分にJALのロゴを入れるよう働きかけたのがはじまりであった。スポンサーロゴによる広告収入が魅力的であることから、その後他クラブも導入するようになった。 JALの広告の下に描かれていた世界地図(中世の世界地図がモチーフ)が清水のユニフォームのトレードマークでもあったが2007年にユニフォームサプライヤーのプーマの世界戦略モデルユニフォーム導入にともない無くなった。
  • 2007シーズンはGKがフィールドプレーヤー2ndユニフォームを着て、試合に出場する事がある。

ユニフォームサプライの遍歴

  • 1992〜96年 リーグ戦はミズノ、カップ戦はプーマ
  • 1997年〜現在 リーグ戦・カップ戦ともプーマに統一

歴代ユニフォームスポンサー年表

サポーターの特徴

応援スタイル

サポーターによる応援では多くの楽器を用いてサンバを踊るなど、応援に関してはJリーグクラブの中でもかなり特徴的な応援である。特に本拠地の日本平スタジアムで大人数のサポーターが踊るサンバは非常に見ごたえがある。

公式応援歌

「王者の旗」
  • 作詞:一般公募作品
  • 作曲:林哲司
  • 2000年8月30日制定
ホームゲームでエスパルスが勝利した試合の後、場内に流され、サポーターが合唱する。CDでは高井治が歌っている。

関連項目

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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