人物
- 読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。
- 日本に於けるそれぞれの導入を推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。
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駒澤大学が上祖師谷グラウンド(野球部合宿所、駒澤大学球場)を購入する際に尽力したことを顕彰して、駒澤大学の開校80周年(1962年)の式典において、最初の名誉博士号が授与された。
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週刊新潮
2006年2月16日号で、戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後は正力がCIAの意向に従って行動していたことを早稲田大学教授の有馬哲夫が米国国立公文書館によって公開された外交機密文書を基に明らかにし、反響を呼んだ。
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志帥会(自由民主党伊吹派)の結成時からのメンバーの1人である萩山教嚴衆議院議員は1957年から1969年まで正力の議員秘書であった。
年譜
警察官僚時代
警視庁官房主事として大正12年(
1923年)6月の
日本共産党第1次弾圧や、同年9月の
関東大震災に乗じた
社会主義者弾圧を指揮した。直後、警務部長となるが、摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)の責任を問われ、懲戒免官となる。恩赦により懲戒処分を取り消されたものの、官界への復帰は志さなかった。
新聞経営
大正13年(
1924年)、番町会グループである
郷誠之助、
藤原銀次郎ら財界人の斡旋と、
帝都復興院総裁だった
後藤新平の資金援助により、経営不振であった
読売新聞社の経営権を買収し、社長に就任した。正力は、自社主催のイベントや、ラジオ面、地域版の創設や、日曜日の夕刊発行などにより部数を伸ばした。
大リーグ招聘
正力は最初期と戦後の一時期を除いて巨人軍のオーナーを務め、また、巣鴨プリズンから釈放後の一時期、職業野球連盟の総裁(今で言う
コミッショナー)に就任した。このような正力の業績を称え、日本プロ野球界に貢献した関係者を対象に、毎年
正力松太郎賞が贈られている。
襲撃事件
昭和10年(
1935年)、本社玄関前で暴漢に左頸部を斬りつけられ重傷を負った。直接の実行犯の長崎勝助は右翼団体武神会の構成員(元、警視庁巡査)。取調べに対して、犯行に及んだ理由として、読売新聞が
天皇機関説を支持したこと、正力が大リーグを招聘し、
神宮球場を使用し「神域を穢した」ことなどを挙げた。だが、捜査・公判の進行により、競合他社
東京日日新聞の幹部による指示があったとされた。
遺訓
正力は巨人軍に対して、巨人軍憲章とも呼ばれる遺訓を残している。遺訓は以下の3つ。
- 巨人軍は常に紳士たれ
- 巨人軍は常に強くあれ
- 巨人軍はアメリカ野球に追いつき、そして追い越せ
家族 親族
- 息子:正力亨(現:讀賣新聞社主、第2代東京讀賣巨人軍オーナー)
- 娘:梅子(富山県 官僚小林與三次=のち読売新聞社社長=に嫁する)、利子
系譜
- 正力氏
- 正力という姓は嘉永年間に庄助が発案した鉄の金輪・正力輪から始まっている。この金輪は河川の氾濫で流れた古橋の抗を抜くための道具として効力を発した。庄助の一族は代々一介の庶民に過ぎなかったが、発明の功労により加賀藩奉行から苗字帯刀を許され「正力氏」を名乗るようになり、地元の名門として名をなした。
関連項目
外部リンク
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)