垂水区(たるみく)は、
神戸市の南西部に位置する
区である。
明石海峡大橋の起点がある。
江戸時代まで、垂水区と西区、それに北区の淡河地区は旧
播磨国に属していた。その名残か、旧
摂津国であった須磨区との境を流れる小川を「境川」という。
概要
区内には高丸団地や明舞団地、多聞団地などの団地群が形成されている。
1995年の
阪神・淡路大震災後は壊滅状態となった神戸市街地からの人々の避難地(垂水区は神戸のなかでも比較的被害が少なかった為)としてその後も人口は増え続けており、神戸市全人口の約15%以上を占めている。
また、神戸独特の海と山がせまった美しい地形と神戸三宮や大阪都心にも比較的近い立地から芸術家、作家、音楽家など、多くの文化人が住んでいる。
また塩屋町6丁目には「神戸ジェームス山外国人特別居住区」がある。
地理
歴史
地名の由来
垂水という地名は、かつて塩屋-東垂水の間に複数の
滝(
垂水)があったことに由来する。この滝の歴史は古く、
万葉集でも「石ばしる
垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(
志貴皇子)と詠まれている。現在は残ってはいないが
山陽電気鉄道本線の
滝の茶屋駅の駅名にもその名残を見ることができる。
沿革
江戸時代は、
明石郡の塩屋(現在の塩屋町など)・下畑(下畑町など)・東垂水(平磯など)・西垂水(宮本町など)・東名・西名・滑・中山・奥畑・山田(西舞子など)・多聞(本多聞など)の各村であった。後に、東名・西名・滑・中山・奥畑の5村が合併して
名谷村(名谷町など)となる。
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1871年(明治4年)7月 - 廃藩置県により明石県の一部
- 1871年(明治4年)11月 - 明石県は姫路県に編入。飾磨県に改名
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1876年(明治9年) - 飾磨県は兵庫県に合併
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1809年(明治22年) - 市制町村制が実施。垂水村となる
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1928年(昭和3年) - 町制を施行し、垂水町となる
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1941年(昭和16年) - 神戸市に合併、須磨区の一部となる
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1946年(昭和21年) - 須磨区から独立して垂水区となる
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1947年(昭和22年) - 明石郡伊川谷・櫨谷・押部谷・玉津・平野・神出・岩岡の各村を編入
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1977年(昭和52年) - 東北部の名谷団地の区域を須磨区に割譲
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1982年(昭和57年)8月 - 昭和22年に編入した地域を西区として分離
経済
産業
漁業
地域
教育
高等学校
中学校
小学校
特別支援学校
各種学校
隣接している自治体
交通
高速バス
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舞子バスストップ(舞子駅・舞子公園駅上部)
- 舞子駅・舞子公園駅 垂水駅・山陽垂水駅
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
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有栖川宮熾仁親王が病気になった際、明治天皇が1888年に建てたもの。現在は神戸市の外郭団体による管理。庭園は当時のままだが、明石大橋を望む宿泊施設、結婚式場として運営。
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1893年築。明石海峡の難所、平磯暗礁に建てられた、日本でも古い鉄筋コンクリート製の灯台。国産セメント第一号(小野田セメント)で建造。
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大歳山遺跡
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五色塚古墳(国指定史跡)
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小壷古墳(国指定史跡)
- 舞子浜
- 舞子延命地蔵(タタキ地蔵)
- :1825年に明石海峡を通る船の安全などを願うため作られたもの。松の木の枝の榴で台座を軽く叩くと願いが叶うとされる(台座以外は叩かないでと立て札がある)
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マリンピア神戸
- 垂水温泉太平のゆ
出身有名人
ゆかりの人物
関連項目
- 垂水区役所 - JR垂水駅前のレバンテ垂水2番館の2階にある。
- 困ったときの友 - 文豪ウィリアム・サマセット・モームの短編小説「コスモポリタン」に収録。福田川、平磯灯台を舞台にした殺人事件…。
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いかなごの釘煮
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)