生涯
出自
明暦の大火の翌日の
明暦3年(
1657年)2月10日、焼け出された避難先で生まれる。幼少の頃より学芸に非凡な才能を示し、わずか3歳にして父の読む
儒学の書物をそっくり書き写していたという
伝説を持つ。気性が激しいうえ、大火の翌日に生まれ、しかも怒ると眉間に「火」という字に似た皺ができるほどであるため、久留里藩主
土屋利直から「
火の子」という
愛称をうけた。後年、幕府の反対派からは「
鬼」と呼ばれ恐れられた。
この間、豪商角倉了仁から「知人の商人の娘を娶って跡を継がないか」と誘われたり、あるいは河村通顕(
河村瑞賢の次男)から「亡くなった当家の未亡人と結婚してくれれば3000両と宅地を提供する」という誘いを受けたりしたが、白石は身に余る好意に謝しつつも、「幼蛇の時の傷はたとえ数寸であっても、大蛇になるとそれは何尺にもなる」という喩えを引いて断ったというエピソードがある。
師匠との出会い、甲府候への推挙
また朱子学者
木下順庵に入門した。弟子入りとなると通常は束脩を差し出して入門するものだが、白石はそれが免ぜられ、順庵も弟子というより客分として遇するほど目に留めていた節がある。順庵の門下生には、白石の外、
雨森芳洲、
室鳩巣、
祇園南海等の高名な学者になる人が多く集まっていたため、順庵に入門できたことは白石にとって大変意義があった。
師匠の順庵は白石の才能を見込んで、
加賀藩への仕官を見つけてきてくれた。白石も後年、「加州は天下の書府」と賞賛しているように、加賀藩は
前田綱紀のもとで学問が盛んであった。ところが同門の岡島忠四郎から「加賀には年老いた母がいる。どうか、貴殿の代わりに私を推薦してくれるよう先生(順庵)に取り次いでいただけないでしょうか」と頼まれ、岡島にこのポストを譲った。
その後、順庵は
元禄6年(
1693年)、
甲府藩への仕官を推挙した。白石が37歳の時である。甲府藩主
徳川綱豊は当初林家に弟子の推薦を依頼したが、当時綱豊は将軍
徳川綱吉から疎んじられており、林家からは綱豊に将来性なしと見限られ断られてしまった。そこで順庵の方に推挙を依頼してきたのである。
甲府藩の提示内容によると、当初三十人扶持の俸禄という条件だったが、順庵が「白石よりも学問が劣る弟子でさえ三十人扶持などという薄禄はいない。これでは推挙できかねる」と掛け合った結果、甲府藩からは四十人扶持を改めて提示された。これでもなお順庵は推挙を渋ったが、白石は「かの藩邸のこと、他藩に準ずべからず(徳川家の親藩であるから甲府藩は通常の大名家とは違う)」と、むしろ綱豊の将来性を見込んで、順庵に正式に推薦を依頼したのある(その後、
幕臣に編入されてからは
1709年に500石を賜り、
1711年になって1000石に加増されている)。
正徳の治
徳川綱吉は多額の支出をして寺社を建立して祈祷し、
生類憐れみの令を出したが、結局子宝に恵まれず、徳川綱豊を将軍継嗣として西丸に入れた。
綱豊は名を家宣と改め、白石、
側用人・
間部詮房を中心とした
正徳の治と呼ばれる政治改革を行った。白石は身分的には本丸寄合すなわち無役であるから御用部屋に入るわけにはいかないので、家宣からの諮問を側用人間部が白石に回送しそれに答えるという形をとっている。
家宣死後、7代将軍
徳川家継の代にも引き続き政権を担当したが、
譜代大名らの抵抗が徐々に激化し、家継が没して8代将軍に
徳川吉宗が就くと失脚し、公的な政治活動から退いた。
引退後
致仕後、白石が幼少の家継の将軍権威を向上すべく改訂した
朝鮮通信使応接・
武家諸法度が朝廷への配慮等から吉宗によって覆されるなどした。また、白石が家宣の諮問に応じて提出した膨大な政策資料が廃棄処分にされたり、幕府に献上した著書なども破棄されたりしたという。ただし、吉宗は白石本人を評価していないが、白石の政策に対しては少なからず理解を示していた。
政策
- 経済政策
- 第5代将軍綱吉の時代に大量に鋳造された元禄金銀および宝永金銀を回収し、家康の「貨幣は尊敬すべき材料により吹きたてるよう」の言葉に忠実に慶長金銀の品位に復帰する、良質の正徳金銀を鋳造して、インフレの沈静につとめた。元禄時代の通貨政策を担当した荻原重秀は「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以てこれに代えるといえども、まさに行うべし」と今日の管理通貨制度につながる先見的な思想を持っていたが、白石はあまりに時代を先取りしたこの視点を理解できず、深刻なデフレーションを引き起こすことになった。
- 開幕以来の長崎貿易で大量の金銀が海外に流出したため、長崎貿易縮小政策(海舶互市新例)をとった。
- 外交政策
- 朝鮮通信使の待遇の簡素化
- : 通信使接待は幕府の財政を圧迫するとし、朝鮮通信使の待遇を簡略化させた(この一件は順庵の同門だった対馬藩儒・雨森芳洲と対立を招いた)。
- シドッチ密航事件
- : ローマ教皇からの命で、日本でキリスト教の布教復活のため密航し、捕らえられ長崎を経て江戸茗荷谷キリシタン屋敷に拘禁されていたシドッチを取り調べ、本国送還が上策と建言した。また、白石はこの事件により得た知識をもとに「西洋紀聞」「采覧異言」を記している。
脚注
著書
- 『折りたく柴の記』岩波文庫。ISBN 4003021215/中央公論新社[中公クラシックス]。ISBN 4121600673
- 英訳『Told Round a Brushwood Fire――「折りたく柴の記」英訳』東京大学出版会。ISBN 4130270141
- 『西洋紀聞』岩波文庫。ISBN 4003021231/平凡社[東洋文庫]。ISBN 4582801137
- 『采覧異言』
- 『藩翰譜』
- 『読史余論』岩波書店[岩波文庫]。ISBN 4003021223
- 『先哲像伝』
- 『古史通』
- 『古史通惑問』
- 『蝦夷志』
- 『南島志』
登場作品
- 小説
- 映画
- テレビドラマ
関連項目
あらい はくせき