系譜
- 生母不明(配流先の佐渡で生んだとされる皇子女)
- 慶子女王(1225-1286)
- 忠子女王(1232-1249)
- 皇子(千歳宮)(1237-1254)
系図
略歴
1200年に立太子、後鳥羽天皇の強い意向で、
土御門天皇の譲位により
1210年即位。穏和な土御門天皇とは反対に激しい気性の持ち主だと言われていて、後鳥羽上皇に気に入られていたからである。譲位した土御門上皇には権力は無く、後鳥羽上皇による
院政が継続されていた。
1221年
仲恭天皇に譲位したが、これは以前の土御門上皇の譲位とは違い、上皇の倒幕活動に参加し、これに専念するためであった。後鳥羽上皇以上に
鎌倉幕府打倒に積極的で、
承久の乱を引き起こした。乱の後は
佐渡へ
配流となり、
1242年、その地で崩御。
(これ以上の存命は不要と、断食を行った後、最後は自らの頭に焼石を乗せて亡くなったと伝えられている)
歌集『順徳院歌集』を出すなど歌の才能に長けていたと言われており、
百人一首にも採録されている。
- ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり (順徳院)
また歌学書『八雲御抄』を著したほか、
有職故実に通じていて解説書『
禁秘抄』を著している。
在位中の元号
陵墓・霊廟
しゆんとく
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しゆんとくてんのう
しゆんとくてんのう
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)