概要
武甕槌神を祭神とする。武甕槌神が、
香取神宮に祀られている
経津主神とともに
武芸の神とされていることから、
武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多い。
また、
地震の守り神としても有名である。境内の
要石(かなめいし)は、
地震を起こす
大鯰の頭を抑える杭と言われ、見た目は小さいが地中部分は大きく、決して抜くことはできないと言い伝えられている。
歴史
祭事・年中行事
年間祭事
- 1月
- 2月
- 3月
- 祭頭祭(3月9日10時)
- 春季祭(3月9日18時)
- 春分祭(春分の日10時)
- 祖霊社春分祭(春分祭に引き続いて行われる)
- 4月
- 5月
- 6月
- 9月
- 午年には式年大祭御船祭が行われる
- 例祭(9月1日10時)
- 提灯祭(9月1日18時)
- 神幸祭(9月1日20時)
- 行宮祭(9月2日22時)
- 還幸祭(9月2日15時)
- 祖霊社合祀祭(秋分の日前日18時)
- 秋分祭(秋分の日8時)
- 祖霊社大祭(秋分の日10時)
- 10月
- 11月
- 12月
月次祭
式年大祭御船祭(おふなまつり)
12年に1度の午年に行われ、鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神と
香取神宮の御祭神である
経津主大神が水上で出会う鹿島神宮最大の祭典であり、水上の御船祭としては日本最大の規模を誇る。
現代の御船祭りでは、まず9月1日午前、天皇から遣わされる勅使の参向を仰いで例大祭が執り行われる。2日早朝に鹿島神宮を進発した神輿は陸路を
北浦湖岸の大船津に到着。大船津で神輿は龍頭の飾りなどを施された御座船(ござぶね)に載せられ、船団を組む数十隻(2002年においては約90隻)の供奉船と共に水上渡御し
香取市加藤洲に至る。そこで香取神宮の御迎祭を受けて雅やかな祭礼のハイライトを迎える。その後、水路を御還行して行宮に戻り、3日午後、行宮から本殿へと還幸する。
文化財
国宝
- 直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)、附:刀唐櫃
- 「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」「平国剣(ことむけのつるぎ)」とも呼ばれる。柄(つか)・鞘を含めた全長2.71m、刃長2.24mの直刀。奈良時代末期から平安時代初期の制作。現存する伝世品(出土品でない)の日本刀の中では、古例の一つであり、また刃長の点では最大の作品とされる。これほどの長大な刀身を作るために、途中4か所で刀身をつなぎ合わせるという極めて珍しい手法を使っていることが判明しており、技術的にも貴重な存在である。外装(柄・鞘)は、黒漆塗りの上に平文(ひょうもん、金銀などの薄板を貼って文様を表わす技法)や金銅透かし彫りの金具で装飾を施した古様な技法によるもので、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」の流れをくむ。
重要文化財
- 梅竹蒔絵鞍
- 『吾妻鏡』には1192年(建久2年)、源頼朝が国の平安を祈って馬を奉納した記事があり、この馬に添えられていた鞍といわれる。
- 楼門
- 1642年(寛永19年)に初代水戸藩主徳川頼房の手により造営された。総朱漆塗りの2階建ての楼門である。
- 本殿、石の間、拝殿
- この3棟は1618年(元和4年)に江戸幕府の二代将軍徳川秀忠により造営された。拝殿は白木作りの簡素な意匠であるが、本殿は朱塗りに極彩色の鮮やかな意匠である。
- 奧宮本殿
- 1605年(慶長10年)に徳川家康により造営された。当初は本殿として使われたが、1619年の造替に伴い場所を移し奥宮となった。総白木作りの簡素な意匠である。
- 仮殿
史跡指定
鹿島神宮の鹿
鹿島神宮には鹿園があり、
神の使いとして親しまれている30数頭の
日本鹿が飼われている。
鹿園の説明書き等によると、鹿の神である
天迦久神(あめのかくのかみ)が
天照大御神の命令を
武甕槌大神の所へ伝えにきたことに由来し、鹿島神宮では鹿が使いとされている。また、
藤原氏による
春日大社の創建に際して、
767年(
神護景雲元年)に、白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて
奈良まで行ったとされている。
鹿島の神鹿は長い歴史の間に何度か新たに導入されており、現在飼われているのは奈良の神鹿の系統を受けている。昼間は鹿園そばの売店で鹿の餌を売っており、園内の鹿に与えることができる。
英語で鹿の枝角をアントラー(antler)と言い、
鹿島アントラーズのチーム名の由来ともなっている。
交通
関連項目
外部リンク
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)