祖父の学術を引き継いで当代屈指の
有職故実の大家とされ、
和歌や
絵画にも優れていた。22歳で『狩衣至要鈔』を著した他、『禁秘御抄階梯』・『公事根源鈔階梯』・『諒闇装束之事』・『一上要覧』・『摂関要覧』・『彗星出現年々』・『滋草拾露』(個人全集)などの多くの書籍を著した。また、門人も多く、大塚嘉樹(蒼梧)などを育てた。
天明元年9月、
青蓮院宮訪問の際に
松茸として食した
キノコを原因とする
中毒によって急死した。墓所は
京都市北区の天寧寺。同時代の公卿で
歴史家としても知られていた
柳原紀光は、訃報を聞いて
日記に「彼卿無漢才、於抄物日記等事者、博覧之人也」と評している。
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)