来歴
大分県立水産高等学校卒業後、地元の大手水産会社に就職し、
トロール船の乗組員として働いた。しかし、水産会社からの給料が
労働組合の保証する最低賃金を下回っていたことに立腹し、水産会社を辞めた。
その後、
大阪に移り、工員として働いた。このころから、司忍は
賭場に出入りするようになった。
昭和38年(
1963年)、司忍は、弟分と一緒に賭場に出かけた。司忍は、賭場で、三代目
山口組(組長は
田岡一雄)鈴木組(組長は鈴木光義。
中森光義とも名乗った)
若頭・弘田武志と知り合った。
同年、司忍は、弘田武志から盃をもらい、
弘田組(組長は弘田武志)組員となった。
昭和39年(1964年)1月 、「暴力取締対策要綱」が設置された。
同年2月、
警視庁が「組織暴力犯罪取締本部」を設置し、暴力団全国一斉取締り(
第一次頂上作戦」)を開始した。
昭和40年(
1965年)5月、弘田武志は、司忍を連れて、関西労災病院に入院中の田岡一雄を見舞った。
昭和41年(
1966年)5月5日、鈴木光義が
ヤクザから引退し、鈴木組を解散させた。弘田武志が鈴木組を引き継ぎ、
弘田組を結成した。弘田武志は、山口組直参となった。その後、弘田武志は、司忍を、弘田組若頭に据えた。司忍は、
司興業を設立した。このころ、司忍は、土井幸政(後の司興業若頭)と知り合い、若衆とした。
昭和44年(
1969年)5月29日、弘田組若頭補佐・神谷光雄が賭博容疑で逮捕された。
同日、
大日本平和会(会長は平田勝市)山中組(組長は山中武夫)小牧支部の組員2人が、弘田組神谷組(組長は神谷光雄)事務所に殴り込みをかけた。神谷組組員1人が殺害された。
同日、警察は弘田組神谷組事務所で現場検証中に、神谷組事務所で、日本刀と匕首3本を発見し、押収した。
同日、警察は、神谷組事務所に駆けつけた神谷光雄を、
銃砲刀剣類所持等取締法(通称は
銃刀法)違反容疑で逮捕しようとした。神谷光雄が激しく抵抗したため、警察は神谷光雄を銃刀法違反容疑と
公務執行妨害の現行犯で逮捕した。
すぐに、弘田組
佐々木組(組長は佐々木康裕)組員・?山清司(後の六代目
山口組若頭)は、服役中だった佐々木康裕に面会し、大日本平和会山中組小牧支部への報復を相談した。佐々木康裕は、?山清司に、司忍に相談するように指示した。?山清司は、司忍、司興業(組長は司忍)若頭・土井幸政に相談し、大日本平和会山中組小牧支部への報復計画を練った。
その後、神谷組に殴り込んだ大日本平和会山中組小牧支部の組員2人は、
大阪府警に自首した。山中組は、小牧支部事務所を閉鎖した。司忍は、神谷組殴り込みに対する報復の標的を、大日本平和会豊山一家(組長は豊山王植。大日本平和会春日井支部長)に変更した。しかし、豊山一家の組長および組員は、すでに姿をくらませていた。
数日後、土井幸政、?山清司、司興業組員、佐々木組組員の4人は、豊山王植の隠れ家を発見し、豊山王植を刺殺した。?山清司は
懲役4年の実刑判決を受けた。豊山王植刺殺の現場指揮を執った土井幸政は、懲役13年の実刑判決を受けた。豊山王植殺害を指示した司忍は、
殺人教唆で、懲役13年の実刑判決を受けた。
昭和50年(
1975年)、?山清司は、佐々木組若頭に就任した。
昭和51年(
1976年)、佐々木組は
菱心会と改名し、?山清司は菱心会理事長に就任した。
同年、?山清司は、?山組を設立した。
昭和53年(
1978年)、?山清司は、弘田組直参になった。
昭和55年(
1980年)、?山清司は、弘田組若頭補佐に就任した。
同年7月23日、
田岡一雄は、急性心不全により死去した。
同年6月5日、山口組若頭補佐筆頭・
山本広は、組長代行に就任した。
昭和59年(
1984年)6月5日午後3時、山口組直系組長会で、竹中正久は、山口組四代目組長就任の挨拶をした。山本広を支持する直系組長は、直系組長会に出席しなかった。
同日、大阪市東区の松美会事務所で、山本広、加茂田重政、佐々木道雄、溝橋正夫、北山悟、松本勝美、小田秀臣ら約20人が、在阪のマスコミ各社を呼んで、記者会見を開き、竹中正久の山口組四代目就任に反対した。
同年6月6日、竹中正久の山口組四代目就任に反対する山口組直系組長は、山口組の山菱の代紋を、組事務所から外した。この段階で、山口組参加者は直系組長42人で総組員数4690人、一和会参加者は直系組長34人で総組員数6021人だった。
同年6月13日、山本広、加茂田重政、佐々木道雄らは、山本広を会長に据えて、「
一和会」を結成した。加茂田は、副会長兼理事長に就任した。加茂田重政は、弟の神竜会・加茂田俊治会長を、一和会理事長補佐に据え、弟の政勇会・加茂田勲武会長を、一和会常任理事に据えた。
山口組福井組・福井英夫組長は、山口組
宅見組・
宅見勝組長に説得されて、一和会参加を取り止めて、
ヤクザから引退した。小田秀臣も一和会には参加せず、ヤクザから引退した。
名古屋市の
弘田組・弘田武組長も、一和会には参加せずにヤクザから引退した。弘田組若頭・司忍が、弘田組を引き継ぎ、
弘道会を設立した。司忍は、?山清司を、弘道会若頭補佐兼渉外委員に据えた。
昭和59年(
1984年)8月5日、
山一抗争が勃発した。
平成元年(
1989年)4月20日、山口組緊急幹部会が開かれ、山口組五代目の人選が議論された。
竹中組・
竹中武組長は、態度を保留した。山口組若頭・
渡辺芳則と山口組組長代行・
中西一男が話し合い、中西一男が五代目山口組組長立候補を取り下げた。渡辺芳則の山口組五代目擁立が決まった。
同年5月10日、山口組緊急執行部会で、
宅見勝の山口組若頭就任が内定した。竹中武は、緊急執行部会を欠席した。
その後、?山清司は、弘道会若頭に就任した。
平成3年(
1991年)、運命共同会の中の鉄心会の一部の組員が、運命共同会に対して、五代目山口組弘道会への移籍を求めた。運命共同会は、移籍を求めた鉄心会組員全員を破門にした。
同年1月26日、
名古屋抗争が勃発した。
その後、運命共同会は瓦解した。また、中京五社会も、瓦解した。
同年3月、瀬戸一家・渡辺啓一郎総裁は、五代目
山口組・
渡辺芳則組長から盃をもらい、山口組直参となった。
同年9月20日、司忍と山口組若頭補佐・
滝澤孝は、山口組本部で行われる山口組最高幹部会に出席するために、
大阪駅前のホテルを出発しようとした。司忍と滝澤孝の一行は、
大阪府警曽根崎署の職務質問を受けた。このとき、司忍と滝澤孝に同行していた組員4人が、拳銃不法所持の
現行犯で逮捕された。防弾チョッキを着ていた組員も、
銃砲刀剣類所持等取締法(通称は
銃刀法)違反容疑(共同所持)の
現行犯で
逮捕されたが、その後処分保留で釈放された。拳銃不法所持の現行犯で逮捕された組員4人は、警察の取り調べに対して、司忍と滝澤孝の関与を否定した。
同年11月28日、大阪府警は、「司忍と滝澤孝が、ボディガードの組員4人に、応戦用の拳銃を所持させていた疑いが強い」として、拳銃不法所持の共犯容疑で、司忍と滝澤孝を指名手配した。
平成10年(
1998年)5月25日、司忍は、大阪府警に出頭し、逮捕された。
同年9月、
大阪地方裁判所(略称は
大阪地裁)で、裁判が始まった。司忍は起訴事実を全面否認して、無罪を主張した。
平成11年(
1999年)9月、司忍は、保釈金10億円を支払って、保釈された。
平成13年(
2001年)3月14日、大阪地裁は、司忍に無罪判決を言い渡した。
同年3月26日、検察側は、大阪地裁の判決を不服として、控訴した。
平成16年(
2004年)2月24日、大阪高裁は、司忍に、銃刀法違反で、懲役6年の有罪判決を言い渡した。司忍は、最高裁判所に上告した。
同年11月28日、山口組緊急直系組長会が開かれた。山口組執行部から、渡辺芳則の休養が発表された。山口組執行部が、合議制で、山口組を運営していくことが決定した。
平成17年(
2005年)3月、司忍は弘道会総裁となり、再度弘田組を復活させた。
同月、?山清司は、二代目弘道会会長(兼?山組総裁)に就任した。
同年4月、?山清司は、山口組直参となった。
同年、弘道会総裁・司忍が、弘田組組長を名乗った。弘田組には実体がなかった。山口組には「1つの直系組織からは1人の直参だけ」という原則があったため、弘道会から司忍と?山清司の2人が同時に直参になれないためだった。
同年5月、司忍は、山口組若頭に就任した。
同年6月、?山清司は、山口組若頭補佐に就任した。
同年7月29日、五代目山口組・渡辺芳則組長が
ヤクザから引退し、司忍は六代目山口組組長に就任した。
同年8月7日、中野太郎がヤクザから引退した。中野太郎の代理人が、大阪府警に、
中野会(会長は中野太郎)解散届けを提出した。
同年8月27日、司忍の六代目山口組の襲名披露が行われた。
同年9月、四代目
國粹会が山口組に加入した。四代目國粹会・
工藤和義会長は、山口組最高顧問に就任した。
同年8月、?山清司は、山口組若頭に就任した。
同年8月、司忍は、二代目健心会・江口健治会長、
茶谷政一家・茶谷政雄総長をそれぞれ山口組直参にした。
同年11月24日、
最高裁判所第1法廷は、二審の大阪高裁の判決を支持した。司忍の懲役6年の実刑判決が確定した。
同年12月、司忍は、四代目
山健組・井上邦雄を、山口組若頭補佐にした。
脚注
参考文献
-
芹沢耕二、鴨林源史『実録王道ヤクザ伝 山口組六代目司忍』竹書房、2007年、ISBN 978-4-8124-6604-9
-
東史郎、二ツ木哲郎『実録王道ヤクザ伝 真説 山口組六代目司忍 飛翔編』竹書房、2008年、ISBN 978-4-8124-6672-8
-
溝口敦『山口組ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年、ISBN 4-380-90223-4
- 『山口組 50の謎を追う』洋泉社、2004年、ISBN 4-89691-796-0