略歴
天保7年(1836年)、幕府御家人荒井清兵衛の長男として
湯島天神下上手代町に生まれ、7歳より漢学、12歳より叔父の薦めで剣術(
直心影流・
心形刀流)・
弓術・
馬術を学び、14歳で
昌平坂学問所に入学、18歳より西洋砲術を学びはじめ、20歳で幕府出仕(100俵10人扶持)、
蘭学を修めた後、築地軍艦操練所教授を命じられた。
明治42年(1909年)、
糖尿病がもとで永眠。
享年74。
人柄
海軍職に深く携わっていた荒井だが、水泳が不得手で、更に
下戸だった。
反面、甘い物が大好物で健啖家、箱館湾海戦時も大量の汁粉を作らせていたほどだったが、性格は身分・学歴をおごらず、温和でひどく謙遜家だったと言われている。
気象台長時代には、部下の報告書を見て決して訂正する事なく「至極結構」と言って許可したので、部下達からは『至極結構』というあだ名で呼ばれていた。
一方、ある晩不意に入った強盗を槍で猛然と立ち向かっていって追い出したという武勇伝も残る。
しかし
宮古湾海戦などについて聞いても「あの時は夢中だった」と答えるのみだったと言う。
戸籍には
士族や
華族などとは書かずに"
平民"とした。
その時質問を受けた荒井は、「敗軍の将、再び兵を語らず。牢獄から出てきた時に剣を捨てて、生まれ変わって再生をしたのであるから、平民となるのである」と答えたそうだ。
関係者
- 荒井は箱館戦争戦死者の墓である碧血碑の写真を土方家に送ったと伝わる。
- 荒井宅に住み込んで、共に幾何学・代数学を学んでいた。
-
松本良順…幕末時の奥医師。荒井妻トミ子の一応の義兄にあたる。
-
田辺太一…元老院議官。妹キミ子の婿。
- 安藤太郎 (官僚)…香港総領事。妹フミ子の婿。
参考文献
- 福永恭助『海将荒井郁之助』(昭和18年5月発行)
- 原田朗『荒井郁之助』(平成6年7月発行)
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)