原子爆弾の開発
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詳細はマンハッタン計画、トリニティ実験を参照
これらの原子爆弾は大量の
放射線を放出し、また
放射能を有する塵などを多量に排出したため、被害は爆発の熱や爆風だけに留まらず、
原爆症と呼ばれる放射線障害や
白血病や
癌などの病気を
被爆者に引き起こし、その影響は現在も続いている。
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詳細は#原子爆弾の使用による被害の項を参照
原子爆弾の理論と構造
核分裂に関する理論
エネルギー
原子爆弾は
放射性元素の核分裂反応で放出されるエネルギーを利用する爆弾である。
TNT火薬などの通常兵器に用いられる物質が
化学反応によって原子間の結合エネルギー(原子を構成する電子軌道のエネルギー)を解放するのに対して、原子爆弾では原子核を構成する
核子の質量エネルギーが運動エネルギーとして解放される。
核分裂
原子核を構成する核子は核力によって強く束縛されているため、通常はこの結合を切ってエネルギーを取り出すことは困難だが、
原子番号の大きな原子核では、
中性子をぶつけるなどして比較的小さなエネルギーを与えると原子核が液滴のように二つに分裂することがある。これを
原子核分裂と呼ぶ。この核分裂によって、分裂前後の核子の結合エネルギーの差分が外部に放出される。
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詳細は核分裂反応を参照。
連鎖反応
核分裂の際には通常数個の中性子が外部に放出される。そのため、核分裂を起こす物質が隣接して大量に存在する場合には、核分裂で放出された中性子を別の原子核が吸収してさらに分裂する、という反応が連鎖的に起こることがある。このような反応を核分裂の「連鎖反応」と呼ぶ。
核分裂性物質の量が少ない場合には連鎖反応は短時間で終息するが、ある一定の量を超えると中性子の吸収数と放出数が釣り合って連鎖反応が持続することになる。この状態を「
臨界」といい、臨界となる核分裂性物質の量を
臨界量と呼ぶ。発電等に用いられる
原子炉ではこの臨界状態を保持して一定のエネルギー出力を得ている。核分裂性物質が臨界量を大幅に超えて存在する場合には、分裂反応を繰り返すごとに中性子の数が指数関数的に増加し、反応が暴走的に進む。この状態を「超臨界」または臨界超過と呼ぶ。原子爆弾では核分裂性物質を短時間で超臨界の状態にする必要がある。
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詳細は反応度 (原子力)を参照。
ウランとプルトニウム
ウラン原爆
- ウラン235は広島に投下された原子爆弾で用いられた。天然ウランに含まれるウラン235の割合はわずか0.7%で残りは核分裂を起こさないウラン238である。そのため、原爆に用いる為にはウラン235の濃度を通常90%以上に高めなければならず、辛うじて核爆発を引き起こす程度でも最低70%以上の濃縮ウランが必要となる。放射能が少ない為に取り扱いは容易であるが、ウラン濃縮には大変高度な技術力と大規模な設備、大量のエネルギーが必要とされる。
- ウラン濃縮による原爆製造は初期設備投資は比較的安価だが、電力を大量に消費し運転経費がかかる上、同じ核物質の量でプルトニウムより少ない数の原爆しか作れないため、原爆1個あたりの製造コストはプルトニウム原爆より高価になる。一方で、ウラン濃縮施設はプルトニウム生産黒鉛炉と違って地下に設置しやすく大量の赤外線を放射しないので偵察衛星に位置を察知されにくい。また、ガンバレル方式は必要臨界量が多く製造効率が甚だ悪いものの、核実験なしでも核兵器を持てる。そのため核開発初期段階の国はウラン原爆を選択する場合が多い。イランの核開発もウラン原爆計画が主体である。
- ガンバレル方式のウラン原爆の臨界量は100%ウラン235の金属で22kgとされている。広島型原爆ではウラン235が約60kg使用されたとされる(全ウランに対するウラン235の割合が80%の濃縮ウラン75kg)。起爆には後述のガンバレル方式が用いられた。
プルトニウム原爆
- プルトニウム239は自然界には殆んど存在しない重金属であるが、原子炉(燃料転換率の高い原子炉が望ましい)内でウラン238が中性子を吸収することで副産物として作られるため、ウランのような電力を食う濃縮過程を必要せず、逆に原子炉で電力が得られる。また臨界量が5kgとウラン235に比べてかなり少量で済む利点がある。
- プルトニウムは放射能が強く取り扱いは難しく、生産に黒鉛炉や再処理工場の建設費がかかるが、副産物で電力が得られ、1発あたり生産コストがトータルではウラン原爆より安価に済み、核兵器量産に向く為、現在は5大国と北朝鮮の核兵器生産はプルトニウムが主体である。
- しかし通常の工程で作られたプルトニウムにはプルトニウム240という同位体が含まれており、この同位体が高い確率で自発核分裂を起こす性質を持っている。このため、ウランの場合のようなガンバレル方式ではプルトニウム全体が超臨界に達する前に一部で自発核分裂が起きて爆弾が四散してしまうなど、効率の良い爆発を起こすことが難しい。このために後述のインプロージョン方式と呼ばれる特殊な起爆方式を用いる。長崎に投下された原子爆弾にはこのタイプが用いられた。
- 尚、インプロージョン方式を用いる場合でもプルトニウム240の含有量が7%を超えると過早爆発の原因になり、核兵器製造に向かない。日本の原子力発電で使われている軽水炉の使用済み燃料抽出プルトニウムはプルトニウム240を22-30%前後含有し、プルトニウム240を分離しないと核兵器に使えない。核兵器製造にはプルトニウム240含有量が7%以下の兵器用プルトニウムが得られる黒鉛炉かカナダ型重水炉か高速増殖炉を使うのが普通で、北朝鮮の原爆計画の主力であるプルトニウム計画は黒鉛炉、イラン原爆計画において傍流であるプルトニウム原爆計画では重水炉が使用されている。
ミニ・ニューク
- 技術の進歩で使用目的に適した爆発力を持つよう小型化されるようになったものをミニ・ニュークという。少ない核物質で多くの核弾頭を製造可能な反面、一発あたり威力もやや少なくなる。
- 米国の核物理学者トーマス・コクラン博士はインプロージョン方式の場合、より少量で超臨界が可能であることに着目して臨界量を分析しなおし、今日では従来より少量の核物質で超臨界が可能であり、プルトニウム原爆は最新技術では1.5kg、途上国の技術でも2kgでの超臨界が可能であると発表した。またウラン原爆はインプロージョン方式なら3-5kgでの超臨界が可能と見られている。
- 長崎型原爆が20キロトンを超えていたのに対し、北朝鮮が2006年に行った核実験では中国への事前通知が4キロトン、実験結果が0.8キロトンだったことから、限界までプルトニウムを節約した小型核弾頭実験に挑んで、結果はやや過早爆発気味であったのではないか、という観測もある。
構造
原子爆弾の構造は単純である。本質的には、臨界量以下に分割した核分裂性物質の塊を瞬間的に集合させ、そこに中性子を照射して連鎖反応の超臨界状態を作り出し、莫大なエネルギーを放出させる、というものである。ただし実際には、爆弾に用いる物質の性質に応じて大きく2種類の構造が用いられる。
ガンバレル方式
ガンバレル(gun barrel)方式は
ウランを臨界量に達しない2つの半球に分けて筒の両端に入れておき、投下時に起爆装置を使って片方を移動させてもう一つと合体させ、球形にすることで超臨界に達するものである。広島に投下された
リトルボーイがこの方式を採用した。しかしリトルボーイでは、60キログラムとされるウランのうち実際に核分裂反応を起こしたのは約1キログラムと推定されている。その他のウランは核分裂を起こさずに四散した。
インプロージョン方式
インプロージョン (implosion) とは
explosion「爆発」という語の
ex-(外へ)という接頭辞を
in-(内へ)に置き換えた造語であり、和訳は「爆縮」。インプロージョン方式とはその名の通り、プルトニウムを球形に配置し、その外側に並べた
火薬を同時に爆発させて位相の揃った
衝撃波を与え、プルトニウムを一瞬で均等に圧縮し、高密度にすることで超臨界を達成させる方法である。
長崎市に投下された
ファットマンで採用された。
プルトニウムは自発核分裂の確率が高く、プルトニウム原爆は過早爆発防止の為にこの方式でのみ実用可能となるのに対し、ウラン原爆はインプロージョン、ガンバレルどちらの方式でも可能である。
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詳細は爆縮レンズを参照。
しかしこの方式は衝撃波の調整や爆縮レンズの設計が非常に難しく、数学者
ジョン・フォン・ノイマンの10ヶ月にも及ぶ衝撃計算がなければ実現し得なかったと言われている。ガンバレル方式の原爆は実地テストなしで広島に投下されたが、インプロージョン方式の爆弾はこのような高精度の動作が求められたため、
ニューメキシコ州アラモゴードのトリニティ実験で設計通りに作動することを確認するテストが行なわれた。この方式は前述のガンバレル方式より効率が良い。核分裂反応が始まって核物質を四散させようとする圧力が働いても、爆縮による内向きの圧縮力が押さえこみ、核分裂が継続するためである。そのため、以後製造された原子爆弾は、プルトニウム型もウラン型もインプロージョン方式を用いている。
改良型の原子爆弾
第二次世界大戦後は、東西
冷戦の激化とともに、アメリカ・
ソヴィエト連邦を中心に重要な兵器として原子爆弾の改良が進められた。
威力を100キロトン以上に強大化した大型原爆や、熱核反応をプラスして300キロトン程度に増強した強化原爆が開発された。
この動きとは逆に日本投下時には4〜5トンもあった爆弾重量を軽減させる開発も行われ、280ミリ砲から原爆の砲弾(Mk-9など)を発射する
原子砲や、歩兵一人で使用可能な核
無反動砲(
デイビー・クロケット、
威力は0.02キロトン)も製作された(いずれも現在は退役)。
過早爆発
プルトニウム原爆において、プルトニウム240含有量が7%を超えた粗悪なプルトニウムであった、爆縮が不完全だった、軽量化のため爆縮火薬を削減しすぎた余裕のない設計だった、などの場合では、インプロージョン方式であってもプルトニウム240の
自発核分裂の発生する外向きの爆風が、TNT爆縮火薬の内向きの圧力に打ち勝ってプルトニウム239の塊が充分に核分裂を完了する前に吹き飛ばしてしまう。この現象が過早爆発であり、プルトニウム239の一部しか核分裂しないため、爆発力が計画値を大幅に下回ってしまう。2006年の北朝鮮の核実験は過早爆発気味だったのではないかと見られている。
ただし、核実験の場合は計測器を装着して実験するので、一回目の実験に失敗した場合でも、プルトニウムの240の含有量を減らすとか、爆縮火薬の威力や同期を改善するなどして生産する核兵器の信頼性を高める事は可能であり、むしろ実験データを基に「どれぐらいの品位向上/爆縮威力改善が必要か」といったノウハウが取得できてしまう。したがって核実験が過早爆発気味であったからと言ってその国が必ずしも「技術レベルが低くて正常に機能する核弾頭を作ることができない」という事を意味する訳ではない。
原子爆弾が与えた影響
広島市
の被爆遺構を建て替え時に移設したもの。黒色の構造物(奥)が原爆落下中心碑]]
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。原子爆弾
リトルボーイは、第33代
アメリカ合衆国大統領、
ハリー・S・トルーマンの原子爆弾投下への決意<ref>トルーマンの日記には、
7月25日夜投下決意の記載がある。</ref>により発した大統領命令を受けたB-29(
エノラ・ゲイ)によって投下された。市内ほぼ中央に位置するT字形の
相生橋が目標点とされ、投下された原爆は上空580メートルで炸裂した<ref>実際の爆心地の中心は戦後の調査で相生橋から300m離れた島病院の上空と推定されている。なお島病院の院長は、不在の為無事だったという。</ref>。
爆発に伴って熱線と放射線、周囲の大気が瞬間的に膨張して強烈な
爆風と
衝撃波を巻き起こし、その爆風の風速は音速を超えた。爆発の光線と衝撃波から広島などでは原子爆弾のことを「ピカドン」と呼んでいた。
爆心地付近は鉄やガラスも熔けるほどの高熱に晒され、石材に焼き付けられた人影が今も残る。また、3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は火傷を負った。
爆風と衝撃波による被害も甚大で、爆心地から2kmの範囲で(木造家屋を含む)建物のほとんど全てが倒壊した。
爆発による直接的な放射線被曝のほかに、広島市の北西部に降った「
黒い雨」などの
放射性降下物(フォールアウト)による被曝被害も発生した。また投下後に救援や捜索活動のために市内に入った人も含めて急性障害が多発した(二次被害)。当時の広島市内には約34万2千人がいたが、爆心地から1.2kmの範囲では当日中に50%の人が死亡し、同年12月末までに14万人が死亡したと推定される。その後も火傷の後遺症(
ケロイド)による障害、胎内被曝した出生児の死亡率の上昇、白血病や甲状腺癌の増加など見られた。
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詳細は広島市への原子爆弾投下を参照。
長崎市
投下地点は長崎市北部の松山町171番地テニスコートの上空であった。当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった。
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詳細は長崎市への原子爆弾投下を参照。
本土上陸作戦の中止
原爆の投下後の8月14日に日本は
ポツダム宣言受諾を決定し通告した。このことにより特に欧米では原爆投下が日本に降伏を促したという論が既成事実として受けいられている。ただしこれまで日本は絨毯空爆によりより大きな被害を受けていたこと。さらにソ連の宣戦布告が重なることなどから原爆投下と日本降伏の関連はいまだに議論されている。
日本の降伏により、1945年11月に予定されていた九州南部への上陸作戦、並びに翌年3月に予定されていた関東地方への一大上陸作戦が中止となった。
この作戦が実行されていた場合、100万名以上の米軍が東京に上陸し、双方合わせて広島と長崎の原爆による死傷者をはるかに上回る戦死者を出しただろうと戦後に米軍当局はコメントしている。このコメントが後年、米国における原爆投下正当化の根拠となった。(本土作戦に関する詳細は、米軍:
ダウンフォール作戦、日本軍:
本土決戦・
決号作戦を参照)
<!-- === 原子爆弾投下都市の選定理由 === //状態が改善されるまでコメントアウト措置。意見はノートで。
(この説は未確認情報が多いことを最初に注意喚起する)
広島・長崎に原子爆弾を投下した理由には諸説がある。
攻撃候補地としては、まだ
空襲を受けていなかった都市の中から広島、小倉、
京都、
新潟が候補に挙げられていた。
このうち京都は、「古い歴史を持つ
文化財が多数存在する場所を破壊すれば、戦後アメリカは、日本はもちろん世界中から永久に責められ続け、不利な外交を行なわねばならなくなる」として除外され、代わりに小倉が選定されたとされている。(実際には投下対象から京都は除外されておらず、原爆の投下がさらに続いていれば、投下されていたとする説もある。)- 作られた原爆3つのみであるから直後の投下続行はないしかし京都は軍事的になんら価値はなかったため、被爆を免れたという意見も存在する。その説によれば、ドイツ軍がモンテ=カシノ修道院を拠点としていたという理由で
ベネディクトゥスが設立した
キリスト教としては世界最古のモンテ=カシノ修道院を連合軍爆撃機による攻撃で廃墟にしてしまったということもあるからである。逆に京都選定の理由としては、広い盆地で、かつ人口密集地で古い建物が多いため大量の死傷者が見込めたことなど、「データ採り」のために選定されたという説が有力である。
第二目標として長崎が選定された。8月9日、小倉の天候不良のため長崎に目標が切り替えられた。広島については
呉市の海軍施設の目前に新型爆弾を投下することで日本の降伏を早めようとした、また同時に呉よりも人口の多い大都市に投下したかったというものがある。また、
デルタ上に展開する平面的な市街地である広島と、すり鉢状の地形である長崎にそれぞれ投下する事でその効果を比較しようとしたとも言われる。アメリカ軍は候補地以外(と除外された京都)では絶対に爆弾を落としてはならないと命令した。
-->
<!-- == 原子爆弾を巡る論争 == //状態が改善されるまでコメントアウト措置。意見はノートで。
(この説は推測が多く、必ずしも信頼性が高くないことに注意喚起する)
原子爆弾投下理由の論争
原子爆弾を投下した理由自体についても政治的な争点を含んだ様々な論議があり、今でも論争がかわされる部分である。ここでは概略を述べるに止める。
アメリカの公式理由
アメリカ政府筋は、戦後一貫して
「日本本土決戦(オリンピック作戦)によって予想される日米双方の犠牲者を救うため、原子爆弾によって日本の抵抗意思を砕き、降伏に導いた」と主張してきた。これについてはいくつか説がある。
- 日本政府は水面下でソ連を仲介とした戦争終結のための工作をすでに盛んに行っており、原子爆弾の投下がポツダム宣言受諾への直接的な動機となったのではなくソ連の宣戦布告が直接の鯨飲ダルとの主張
- 原子爆弾の投下にとって200万人を動員した決号作戦が根底から打ち砕かれることになったのは事実である。また、原子爆弾投下以降、急速に日本は全面降伏へ実際に動いた。
対ソ戦略説
これ以外に有力な説は、英米のいくつかの軍人が暴露している戦後の極東アジアにおけるアメリカのイニシアティブを確保するため、日本の降伏へのソ連の参戦の寄与を下げたいという目的である。これはヨーロッパ戦線でのドイツが東西分割占領となってしまったことへの反省からきている。
兵器実験説
ある米国政府高官のメモからは、「巨費を投じた
マンハッタン計画が原子爆弾を使用しないで終わらせると議会への説明に苦慮する」という別の理由も示唆されている。また、実戦での原子爆弾の威力を検証するための「実験」とする説もあり、実際アメリカでは、一般兵を対象に被爆実験を行っている経緯がある。こうした様々な理由がからみあい、日本への核爆弾投下という決定が下された。
人種差別説
米国が、日本には投下し、同じく報復能力の無かったドイツには投下しなかったことは
有色人種に対する
差別心からきたものであるという説もある。しかしながら、戦争勝利のため大戦中アメリカ軍では日本兵の遺骨を故郷への土産にしたり、ペンホルダーをつくるなどとしていたといった事件が発覚した後はすでに規制された後である。反日キャンペーンを張っていた「
ライフ」で、日本兵の遺骨をプレゼントされた少女が、戦地の米兵に感謝の手紙を書いている写真が表紙となった事例もこの時点では過去のものとなっていた。
日本に対する勝利が時間の問題になった時点で米国は占領後のことを考えはじめていたのである。ドイツとの戦争もすでに終結している。一方でドイツはソビエトに大部分を占領された事実も考慮し、やはり原子力爆弾の投下は、日本の交戦意思を即座に打ち砕き、日本を単独で占領しソビエトに備えるため、という説が妥当性を帯びてくる可能性もある。事実、ソビエトと
共産主義の脅威の南下から
朝鮮戦争が勃発する。
原子爆弾投下の歴史認識
日本
日本では広島・長崎への原爆投下を知らない人はほとんどいないと言ってもよい。少なくとも
小学校を卒業する頃にはほとんどの児童が知っている。
社会科・
地歴の教材のほか、
国語の説明文など、長年
学校教育で触れられてきたこと、毎夏テレビのドキュメンタリー番組や平和式典などで報じられていることが理由と思われる。しかしながら投下日を正確に答えられないというデータもある。世界で唯一原子爆弾の直接被害を受けた国ではあるが、この経験は
反米感情や報復意識にはつながらず、なぜ惨事が起きたかの追求も行われず、単に2度と起きてはならない悲劇と受け止める傾向が一般的に見られる。被害の惨状を伝え原爆の死者の霊を弔い被爆者の労苦を思う事が、平和を願う行為であるという受け止め方が多い。
これに呼応する形で日本の
仏教、
神道系の一部の宗教指導者が原爆投下を背教による「
罰」と主張し、被爆者や遺族の強い反発を受けたことがある。近年では、
本島等も
同様の発言を行っており、批判を浴びている。
なお、湾岸戦争以降にアメリカ軍などが使用する
劣化ウラン弾については、(原子爆弾と混同視される面もあるが)原水禁など反戦平和団体が厳重な抗議をおこなっている(詳細は項目参照)。
アメリカ
戦時中のアメリカ人の日本への敵愾心は強く、市民も含めて大量の死傷者を出した原爆使用には大多数が賛成した。しかし戦後、原爆の様相が明らかになるにつれ、過剰な殺戮ではないのかという懐疑論が一部の人々から表明された。
そのような状況下で、1946年スティムソン陸軍長官名での原爆投下に関する論文が発表された。そこでは、上陸作戦で予想される100万人の米兵の犠牲を避け、戦争の早期の終結のためという原爆投下の大義名分が説明されていた。これ以降、アメリカの大衆の間では、この認識が一般的となっていった。なお戦後の公文書公開に伴い、歴史研究者の間ではこの論文は宣伝の為の物であることは明確になったが、現在でも戦争を早く終わらす為の仕方のない作戦であったという認識は一般的である。
原爆開発はこうした認識以外に、成功した国家的巨大プロジェクト、先進的な科学技術開発の例、冷戦の開始といった様に見られている。なお通常爆弾による被害と原爆による被害は区別しない考え方が多勢で、被爆者という言葉は一般的とはいえない。
上記から原爆の被害を訴えることは、日本が起こした戦争の責任を回避しアメリカの加害の責任のみを不公正に問うことと認識される場合も多い。
中国・韓国
日本との交戦国であった
中国や植民地であった
韓国では「原子爆弾によって日本の支配から解放された」という
歴史認識が主流であり、学校教育でもそのように教えているようだが、具体的にどのような記述があるかは不明。原爆投下の犯罪性、悲惨な被害を省みる姿勢はほとんどなく、そうした点に言及するのは日本の戦争を美化する行為とされがちである。
英語版での議論
Wikipedia英語版では原爆投下の賛成派と反対派の論争がある。
- (各論のディベートは参照)
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関連項目
脚注
外部リンク