旧制大学については、
第二次世界大戦後の1947年に施行された学校教育法によって新規に設立された大学(
新制大学)と対比する意味で用いられる事が多い。なお、新制大学のうち
国立大学については、国立学校設置法(
1949年施行、
2004年廃止)によって設置された。
定義
旧制大学とは、
学制、
帝国大学令もしくは
大学令によって成立した大学である。第二次世界大戦終結前に成立した大学である、という文献も存在しているが、これは正しくない。
旧制大学一覧
ここでは大学設立時の名称を用いる。現在の名称と異なるものは併記する。また、適応する法律、設立順に並べてある。
学制
1872年、学制に基づいて東校(旧大学東校)を第一大学区医学校と改称、大阪医学校を第四大学区医学校に(1872年9月29日廃止)、長崎医学校を第六大学区医学校に改称。1873年学制が改正される(第三大学区と第四大学区が統合、以下番号繰り上がり)。さらに1874年に第一大学区医学校を東京医学校に改称。
1877年、東京医学校が東京開成学校(大学南校→南校→第一大学区中学校→開成学校)と合併し、
東京大学(後に帝国大学へと改変)に。またこの年、工学寮と工部美術学校を併せて工部大学校が成る。
帝国大学令
大学令による設置
第一次世界大戦終結から第二次世界大戦開始前
1919年
-
1915年に専門学校令準拠のまま名称だけは府立大阪医科大学と改称されている。
1920年
1921年
1922年
1923年
1924年
1925年
1926年
1928年
1929年
1931年
1932年
第二次世界大戦開始後
1939年
1940年
太平洋(大東亜)戦争中
1942年
1943年
第二次世界大戦終結後
第二次世界大戦後、教育制度の改革を実施すること自体は決定していたが、制度の構築に時間が掛かっていた。その間にも大学の設置申請は続いており、やむなく、大学令の基準を満たした申請から順次設置を認可することとなった。しかし、第90回帝国議会において学校教育法が可決成立する見込みとなったことから、大学令に基づく大学認可は1946年5月の東海大学をもって終了することとなる。
一方、医学教育に関してはその制度設計や
旧制医学専門学校の扱いに関して異論が相次いでおり、さら国立大学の設置に関する法整備の遅れもあって、新制度での教育施策がなかなかまとまらない情勢であった。そこで、新制度が確立するまでの暫定処置として、大学令によって大学の設置認可をすることとなり、1950年の福島県立医科大学まで、GHQの認可を得られたものから順次、旧制医学専門学校を旧制大学として昇格させる処置が採られることとなった。
1946年
====== 5月 ======
東海大学(事実上、最後の旧制大学)
1947年
1948年
1950年
補足
- 京城帝国大学、台北帝国大学、旅順工科大学、東亜同文書院大学は外地の大学である。
- 東洋協会大学は後に拓殖大学へと名称を戻した。
- 東洋協会大学、東京文理科大学以外の大学は戦後の学制改革のときに現在の名称になった。
- 京城帝国大学、台北帝国大学、大阪帝国大学、名古屋帝国大学は大学令公布に基づき改正された大学令による帝国大学令(改正帝国大学令)である。
- 高野山大学は複数昇格したが、ここでは1つとして扱っている。
- 日本女子大学校(現日本女子大学)、東京女子大学は大学令による旧制大学ではなく専門学校令による旧制女子専門学校である。
-
学習院の旧制高等学科及び高等科を旧制の大学として扱うような文献が存在しているが誤りである。中等科(中等学科)ならびに高等科(高等学科)の通算8年をして旧制高等学校に類似したシステムを採用しており、更に学齢からして大学ではなく旧制の高等学校である。学習院は大学令や高等学校令ではなく学習院学制によって設立された宮内省管轄の皇族及び華族の教育機関であり戦前であっても大学令に基づく或いはそれに準拠するような旧制大学であった時期は一切存在しない。また、旧制学習院高等科からは旧制の高等学校と全く同等に帝国大学へ進学することが可能であり中等科まで含めて考えると旧制7年制高等学校に類似する8年制の教育機関の様に見えるという状況である。
関連項目
関連書籍
外部リンク
*
たいかく
きゆうせいたいかく
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)