生涯
生まれてすぐ養子に出され、生後4ヵ月で両親(西郷姓)に連れられて
台湾に渡ったが、まもなく捨てられ、転々と他人の手で養育された末、5歳のとき菊田家の養子になった。台湾城北小学校に入学したが、学業半ばで薬種問屋に売られ、
年季奉公をつとめた。その後
大阪・
神戸で小僧をして
夜学(
実業学校)に学ぶ。
1955年(昭和30年)、東宝の取締役に就任。東宝演劇部の総帥としての仕事のかたわら、映画や帝劇・宝塚などの舞台の原作・脚本・演出をはじめ、小説の執筆にも精力的な活躍を続け、数々の名作を世に送り出した。また、「がめつい奴」「
がしんたれ」「暖簾」「丼池」「道頓堀」など、大阪を舞台にした作品により「大阪ものは菊田一夫」と賞賛された。
1973年(昭和48年)4月、数年患っていた
糖尿病に
脳卒中を併発し、死去。享年66。ライバルでもあった劇作家の
北条秀司は、「菊田ほど仕事の好きな男を私は知らない。その仕事好きが彼を大成させ、そして彼を殺した」と記している。その功績を彰して
1975年(昭和50年)から毎年、
菊田一夫演劇賞が贈られる。
主な作品
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2007年、宝塚歌劇月組でアレンジされ上演
『放浪記』にて菊田役を演じた俳優
伝記
- 小幡欣治『評伝 菊田一夫』(岩波書店、2008年) ISBN 978-4-00-001942-2
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)