概要
江戸時代初期は
岩国領の居城となり、山城である横山城は本丸を中心として南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、ほかに水の手などの曲輪が配置され、麓には、「御土居」が築かれた。本丸には4重6階の天守などを上げていたが、廃城後は土居が
陣屋として存続した。城下と城を隔てる
錦川には
錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出している。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。
現在、御土居跡は、吉香公園として整備され、横山山頂には再建天守がある。
歴史・沿革
江戸時代
慶長5年10月には家臣団が、慶長6年(
1601年)には広家がこの地に赴任した。広家赴任と同時に岩国城の築城が開始された。麓に平時の居館となる「土居」と、戦時の城「横山城」が横山山上に築かれた。築城には8年の歳月が費やされ、まず翌慶長7年(
1602年)に土居が完成した。土居完成とほぼ同時期に横山城の築城が開始され、慶長13年(
1608年)に竣工した。本丸には4重6階の唐造りの天守が建造された。
岩国領は本藩である
長州藩より長期にわたって独立した
支藩として認められず、
陪臣として扱われた。これは、関ヶ原の合戦時に吉川家のとった行動が、毛利家中で評価されなかったことと深く関わりがある。当藩は明治維新の年、
慶応4年(
1868年)に漸く独立の
藩として認められ諸侯に列したが、
明治4年(
1871年)には
廃藩置県によって廃藩とされたため、正式に独立した藩の藩庁として機能した時期はわずかだった。
近現代
明治18年(
1885年)居館「土居」跡が
吉香公園(きっこうこうえん)となり、堀端に絵馬堂である錦雲閣(きんうんかく)が旧藩時代の櫓を模して建造され、現存している。また、藩政時代の建造物として
寛政年間(
1789年 -
1800年)に建てられた昌明館(7代当主
経倫の隠居所)の長屋が現存している。
昭和37年(
1962年)、本丸南側に「天守構造図」という絵図を元に鉄筋コンクリート構造によって復興天守が建てられた。設計は、藤岡通夫(東京工業大学教授)による。本来の天守台は約30m離れた本丸北側にあったが、麓からの見栄えを重視して建設された。現在見られる、本来の天守台は
平成7年(
1995年)に発掘復元されたものである。山上には、他に石垣や堀の遺構がある。
関連項目
参考文献
いわくにしよう
いわくにしよう
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)