沖縄wikipedia検索はごーやーどっとネット検索

wikipedia検索
ホーム > wikipedia検索 > 関東二十日会
wikipedia検索[関東二十日会]

関東二十日会

関東二十日会(かんとうはつかかい)は関東に本部を置く博徒暴力団の親睦団体。前身は関東会

略歴

関東会

昭和38年(1963年)12月21日、松葉会(会長は藤田卯一郎)、錦政会(会長は稲川裕芳、後の稲川聖城)、住吉会(会長は磧上義光)、日本国粋会(会長は森田政治)、義人党(党首は高橋義人)、東声会(会長は町井久之、本名は鄭建永)、北星会(会長は岡村吾一)は、右翼活動家・児玉誉士夫の提唱する関東会に参加した。
同日、関東会の結成披露が、熱海の「つるやホテル」で行われた。松葉会・藤田卯一郎会長が、関東会初代理事長に就任した。児玉誉士夫、児玉誉士夫らが昭和36年(1961年)に結成した青年思想研究会(略称は青思会)常任諮問委員・平井義一衆議院議員、青思会諮問委員・白井為雄、青思会常任実行委員・中村武彦、青思会常任実行委員・奥戸足百、松葉会顧問・関根賢、三代目波木一家・波木量次郎総長が関東会結成披露に出席した。
同年12月下旬、関東会は、関東会加盟7団体の名で、「自民党は即時派閥抗争を中止せよ」と題する警告文を、自民党衆参両議院200名に出した。自民党衆議院議員池田正之輔は、この警告文を、激しく非難した。警告文は、自民党の治安対策特別委員会で、議題に取り上げられた。これは、暴力団が連帯して政治に介入してきた、初めての事件だった。河野一郎派を除く衆議院議員と参議院議員は「関東会からの警告文は、児玉誉士夫と親しい河野一郎を擁護するものだ」と判断し、検察と警察当局に関東会壊滅を指示した。
昭和39年(1964年)1月、「暴力取締対策要綱」が作られた。
同年2月初旬、警視庁は「組織暴力犯罪取締本部」を設置し、暴力団全国一斉取締り(第一次頂上作戦)を開始した。
同年3月26日、警察庁は改めて広域10大暴力団を指定した。10大暴力団は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦政会、東京・松葉会、東京・住吉会、東京・日本国粋会、東京・東声会、川崎・日本義人党、東京・北星会だった。
同年6月20日、港区芝公園で、関東会定例総会が行われた。初代理事長藤田卯一郎に代わって、住吉会・磧上義光会長が二代目理事長に就任した。
昭和40年(1965年)1月24日、芝浦の料亭「芝浦園」で、日本国粋会・森田政治らの動議により、関東会は解散宣言を行った。

関東二十日会

昭和47年(1972年)3月、松葉会大幹部・永作捨己と稲川会(前身は錦政会)・石井隆匡理事長が話し合い、松葉会幹部と稲川会幹部との食事会が行われることになった。その後、東京向島の料亭「桜茶屋」で、松葉会幹部と稲川会幹部との食事会が開催された。
その後、國粹会(前身は日本国粋会)から稲川会に、國粹会幹部と稲川会幹部との食事会の提案がなされ、國粹会幹部と稲川会幹部との食事会が開催された。
その後、住吉連合会(前身は住吉会。後の住吉会)・堀政夫総裁から稲川会に、住吉連合会幹部と稲川会幹部との食事会の提案がなされ、住吉連合会幹部と稲川会幹部の食事会が開催された。
同年10月20日、向島の料亭「桜茶屋」で、稲川会、國粹会、東亜会(前身は東声会)、交和会(前身は北星会)、義人党、住吉会、松葉会、二率会双愛会が参加して、博徒暴力団の親睦団体・関東二十日会が結成された。結成日が20日だったことから、会の名前は関東二十日会とされた。
関東二十日会は、毎月の当番の暴力団を決め、毎月20日午後6時から、当番月の暴力団が決めた場所で、会合を持つようになった。暴力団抗争事件が起ると、当番月の暴力団が、抗争の仲裁に当たることになった。
昭和59年(1984年)、稲川会・稲川聖城会長は、稲川会事務局長・田中敬に、関東二十日会と的屋組織との親睦会を開催するように、指示した。田中敬は、住吉連合会局長・佐藤吉郎を通じて、堀政夫に協力を要請した。堀政夫は、極東三浦連合会・松山眞一総長、極東三浦連合会最高顧問・大山光一、極東三浦連合会・池田亨一会長と話し合い、昭和59年(1984年)2月14日に関東二十日会と的屋組織との会合を行うことが決った。
同年2月14日午後1時30分、東京都新宿区の「京王プラザホテル」42階の「藤の間」で、関東二十日会30人と神農会(飯島連合会姉ヶ崎連合会極東関口会、極東三浦連合会など関東の100数十団体の的屋の親睦会)33人との「合同食事会」が行われた。稲川会からは、稲川聖城、稲川会本部長・長谷川春治、稲川会副理事長・森田祥生、稲川会常任理事長・森泉人、田中敬の5人が出席した。会食に先立ち、堀政夫が挨拶を行った。乾杯の音頭は、田中敬がとった。
以後、毎年2月に、関東二十日会と関東神農同志会との「合同食事会」が開かれるようになった。
平成4年(1992年)2月、義人党が解散した。
平成6年(1994年)、交和会が、稲川会入りし、稲川会興和一家となった。

歴代理事長

  • 関東会初代(1963年12月21日〜1964年6月20日) - 藤田卯一郎(松葉会初代会長)
  • 関東会二代目(1964年6月20日〜1965年1月) - 磧上義光(住吉会初代会長、住吉一家五代目総長)

脚注

参考文献

  • 山平重樹『ヤクザ大全 その知られざる実態』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、1999年、ISBN 4-87728-826-0
  • 山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9
  • 山平重樹『一徹ヤクザ伝 高橋岩太郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2004年、ISBN 4-344-40596-X

出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.


Copyright© 2012 Goyah.net Inc. All Rights Reserved.