寛永文化の中心は
京都であったとされ、
中世以来の伝統を引き継ぐ
町衆勢力と
後水尾天皇を中心とする
朝廷勢力が、
封建制を強化する
江戸幕府に対抗する形で古典文芸・文化の興隆を生み出し、後に
江戸においても
儒学・
武家を中軸とした文化が形成され、東西に2焦点の楕円形の文化構造が互いに交錯しながら各地に広がり、
金沢などの地方都市を巻き込んでいった。
初期には
出雲阿国や
古田重然に代表されるように桃山文化の影響を受けた「かぶき」の文化が一世を風靡したが、
元和偃武後には各階層において様々なサロンが形成されるようになった。
だが、身分分化の進行に加えて、内陸都市であった京都は
水運ネットワークに乗る事が出来ずに経済的に低迷期に入り、代わりに
上方の経済的中心となった
大坂を中心とした元禄文化が花開く事になる。
関連項目
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)