2004年に
大映が角川書店グループに吸収され、角川映画株式会社が設立されてからは、この法人が製作する映画も角川映画と呼ばれる。
概要
映画の製作を目的に設立された角川春樹事務所、あるいは角川書店が製作した映画が「角川映画」である。ここでの角川春樹事務所は
1996年に設立された同名会社とは別会社で、
1988年に角川書店本体に吸収されている。一般的に「角川映画」という呼称は、角川書店による映画を元にした
メディアミックス展開の一例として捉えられる場合が多い。「
角川商法」としてメディアミックスの成功例の代表として取り上げられている。
角川春樹時代
1976年、当時角川書店社長だった
角川春樹は自社が発行する書籍(主に
角川文庫が中心となった)の売上げ向上のため、映画を利用することにした。当時、
推理作家の横溝正史ブームを仕掛けていたため、横溝作品の映画化に関わっていた。最初は
1975年に
ATGの『
本陣殺人事件』に宣伝協力費の形で50万円を出資。ところが次に組んだ
松竹の『
八つ墓村』が松竹側の都合で製作が延期され、書店で予定していた横溝正史フェアに影響したことから、角川は自ら映画製作を行うことを決意した。
それが角川映画の1976年公開の第1作『
犬神家の一族』である。それまで映画会社はテレビをライバル視していたことと、あまりに広告料が高いため、テレビCMはあまりやらなかった。しかし角川は前代未聞の広告費をつぎ込みテレビCMなど大規模な宣伝をうち、書籍と映画を同時に売り込む事によって相乗効果を狙ったもので、結果大成功を収める。映画製作を目的とした角川春樹事務所も1976年に設立された。翌年には第2作『
人間の証明』(
1977年)の宣伝のキャッチコピーとなった「読んでから見るか、見てから読むか」「母さん、ぼくのあの帽子、どこへ行ったんでしょうね」は大量のテレビCMが流され、流行語となった。他の制作会社とは桁違いの資金をつぎ込み、脇役に
三船敏郎、
鶴田浩二ら超大物スターを使い大ヒットした。また監督へも高額の演出料を払い、それまでの日本映画の相場を変えてしまった。この成功から角川書店の方針は完全に
メディアミックス中心へと進んで行くこととなる。以後、
横溝正史に続いて
森村誠一、
大藪春彦作品などを次々と映画化。
1978年の『
野性の証明』、
1979年の『
蘇える金狼』『
戦国自衛隊』、
1980年の『
復活の日』と大作路線も敷く。
こうして、
1970年代末から
1980年代半ばの角川映画は、洋画とテレビに押される一方だった日本映画界の停滞を打ち破るヒットを連発。角川映画の指揮をとり、キャッチコピーも考えていた角川春樹は
山本又一朗らの独立プロデューサーとともに映画界の寵児になり、ある種のカリスマ性すら発揮。角川映画は角川春樹の代名詞とも言える存在であった。当初は話題先行と見られて
映画評論家からは低かった評価も、
1982年の『
蒲田行進曲』、
1984年の『
Wの悲劇』と『
麻雀放浪記』が映画賞を受賞したりベスト10にランクインするなど、内容的な充実も認められるようになった。また「狼は生きろ、豚は死ね。」「カイカン。」等劇中の台詞も大流行し今なお盛んにパロディー化されている。
日本映画界に定着する一方で、1980年代後半以降は、角川映画からはかつてのイベント性やブーム性が失われ、薬師丸ひろ子ら看板スターの人気がかげりが出るなどして、角川映画からは当初の勢いは失われていった。これには、
フジテレビが映画界に本格参入して、角川映画のお株を奪う大量スポットやテレビ局を挙げてのメディアミックス戦略をしかけるなどした影響もあった。
1985年には薬師丸ひろ子が角川春樹事務所を退社。
1990年には久しぶりの大作『
天と地と』を手がけ、
1992年にハリウッド進出第1弾と称した『ルビー・カイロ』を製作するが、『ルビー・カイロ』は失敗。この映画事業の失敗が、角川春樹と弟の
角川歴彦の対立を呼び、1992年に角川書店のお家騒動が勃発。続けて、
1993年に角川映画を牽引した角川春樹が薬物所持により逮捕され、角川書店を離れる事態に至った。
この時代の「角川映画」の著作権を巡って、角川春樹と角川書店の間で係争も起こった。著作権は自分にあるとする角川春樹の提訴に対して、東京地方裁判所は角川映画の著作権を角川書店側に認める判断を下している。
角川春樹がかつて製作した映画にはかつては「Haruki Kadokawa Presents」というタイトルクレジットがあったが、これは改定されている。
角川歴彦時代
角川書店製作時代
角川春樹社長辞職以後も、社長に就任した弟の角川歴彦によってメディアミックス路線は継承された。ただし春樹時代のようなプロデューサーの強烈な個性が発揮されず、
製作委員会方式が多くなっている。
1995年にはヘラルド・エースと提携して、エース・ピクチャーズとし、角川書店の関連会社とした(エース・ピクチャーズは
1998年にアスミック・エースになる)。また映画以外にも、歴彦が角川メディア・オフィスとザテレビジョン社長も勤めていた時代に進めていた
漫画や
ライトノベルを原作にした
アニメや
ゲームなど様々な分野におけるメディアミックス展開を継続した。代表的な例として『
新世紀エヴァンゲリオン』『
スレイヤーズ』『
サクラ大戦 活動写真』などがあげられる。
角川映画株式会社設立後
2002年に映画会社の大映を角川書店グループの傘下に収め、角川本体から分けられたエンタテイメント部門との統合、商号を角川映画株式会社とした。以後、角川書店はこの会社を中心に映画製作を行なっている。
さらに2005年に洋画配給会社の
日本ヘラルド映画を買収し、角川映画株式会社と合併させた。ヘラルドは
シネマ・コンプレックス事業を行なう子会社を抱えており、この買収によって角川映画は、製作・配給・興行まで一貫して手がけられるメジャーの一角に食い込むようになった。ただし、興行網は既存の大手の映画会社と比べて大きいとは言えず、大作や話題作の東宝などの大手の配給で公開されている。こうした状態を脱しようと、2006年末には東京都内に直営館をオープンし、旧ヘラルドの配給網の有効活用を模索している。
積極的に映画製作を行うほか、海外作品では積極的に配給・
ノベライズを行っている。その展開は一層強まっており、こうした映画・映像関連の部門は角川映画株式会社を中核とした事業体制になったことで完全に固まった物となっている。
主な映画作品
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
えいか
えいか