楠木氏ゆかりの地でもある。
大阪都心まで約30分、
関西国際空港へは約1時間という交通至便の地にありながら、市を囲む山並みは壮観で、市内に居ながらにして大自然を満喫できることなどから、市制施行以降、多くの人々が河内長野市内の住宅などを購入した。
また、河内長野市は、
爪楊枝(つまようじ)の産地としても知られており、全国の爪楊枝の生産の大半がここ河内長野で行われている。
隣の
千早赤阪村が財政難で編入合併の計画があり2007年5月に合併協議会を設置し、早ければ2009年4月頃に新河内長野市が誕生する。
地理
南に
和泉山脈がある。和泉山脈の向こう側は
奈良県と
和歌山県で、奈良県側は
五條市、和歌山県側は
橋本市と
伊都郡かつらぎ町にそれぞれ接している。河内長野市は、北を頂点とした三角形の市域を形づくっている。
大阪府内で3番目に広い
面積を持っている。(面積:109.61km?(東西16.3km 南北15.8km)
その面積の7割は
森林で、石川や石見川など河川沿いに平野が開け、北に向かって河内平野に続いている。市域の大部分は砂岩地帯、肥沃な土壌と内陸性の湿潤温暖な気候があいまって、稲や野菜、果樹の栽培に適していると言われている。
- 河内長野市の位置と海抜
- 位置:東経135度34分 北緯34度27分
- 海抜:最高924.2m 最低76m
- 山:岩湧山
- 河川:石川、石見川
隣接している自治体
歴史
-
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、錦部郡長野村、市新野村、天野村、三日市村、加賀田村、川上村、高向村、天見村が発足。
-
1896年(明治29年)4月1日 - 郡統合により南河内郡が成立。
-
1910年(明治43年)9月1日 - 長野村が町制を施行。南河内郡長野町となる。
-
1916年(大正5年)4月1日 - 市新野村が千代田村に改称。
-
1940年(昭和15年)6月1日 - 千代田村、天野村を長野町に編入。
-
1954年(昭和29年)4月1日 - 三日市村、加賀田村、川上村、高向村、天見村と長野町が合併。大阪府下で17番目に市制を施行し、河内長野市となる。
- 市名は長野県長野市との重複を避けるため、旧国名の河内を冠して、河内長野市となった。
- 市制施行当時の人口は31,052人。一時は122,000人を超えたが、近年、この数字を若干割り込んだ。
行政
河内長野市長について
市章・シンボルキャラクターについて
市章
大阪府を外郭に表し、中央には河内長野市の「長」の文字を配している。全体としては、
桜の形をしている。
1954年(
昭和29年)
7月に公募し、同年
8月1日に市章として採用された。
シンボルキャラクター
河内長野市には、「モックル」という
シンボルキャラクターがある。
1997年(
平成9年〜
1998年(
平成10年)に市民から募集したデザイン349点・愛称535点の中から決定された。デザインについては、市の木「
くすのき」と、市の資源である「
緑」をモチーフに
擬人化したもので、また、愛称については、市の豊かな自然を表す「木(モク)」と、人・まち・緑でつくる夢の「輪・仲間(サークル)」との造語である。「モックル」という名称は、モクモクと広がる市の
未来をイメージさせる弾んだ語感だという。河内長野市は、市域の大部分が
森林なので、モックルは、河内長野市の特徴をよく表している。
経済
河内長野市の産業
河内長野市では、豊かな森林資源を活かした産業が盛んである。中でも、
爪楊枝(つまようじ)に関しては、
明治時代から河内長野市の
地場産業として発展し、今や、
国内生産量の大半を占めるまでに至っている。全国で使用される国産の
爪楊枝の約95%は、河内長野で産まれているという。
産業人口
姉妹都市・提携都市
カーメル市は人口50,000人程度の小さな都市であり、州都
インディアナポリス市のベッドタウンである。
地域
人口
教育
芸術
音楽
施設
交通
空港
鉄道路線
路線バス
道路
高速道路 市内にはなし
一般国道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所
観光スポット
祭事
地車祭
祭礼日
10月体育の日の前日および前々日。
特徴
主に堺型・住吉型の地車が数多く存在する。
地車の後輪を持ち上げ、そのバランスを取りながら勢いよく地車を回転させる「ぶん回し」は圧巻。
宮入神社およびその氏子区
- 三日市地区
- 千代田地区
- 千代田神社-市町西・市町東・木戸本郷・楠・千代田石坂・松ヶ丘・向野
- 長野地区
- 高向地区
- 加賀田地区
- 岩瀬地区
出身(または在住)有名人
関連項目
外部リンク
かわちなかのし
*
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)