経歴
新潟県立新潟南高等学校から東京教育大学(現
筑波大学)に進学。大学4年生の
1968年メキシコオリンピック男子体操チームのメンバーに選ばれて以来、3大会連続でオリンピックに出場。
1960年 のローマ大会から
1976年のモントリオール大会まで続いた男子体操チームのオリンピック団体5連覇のうち、3大会でメンバーとして出場した。
1977年に引退、筑波大学コーチに就任。
自身がオリンピックで獲得した金メダルの数は8個に及び、これは日本選手としては最多の獲得数である。特に「個人総合」のオリンピック2連覇を達成した選手は、
ソビエト連邦のビクトル・チュカリンと加藤沢男の2人のみである。
後輩の
塚原光男、
笠松茂が難易度の高いオリジナル演技を自ら開発、演技するのに比べ、加藤の演技は美しさを追求するものである。モントリオール大会における
平行棒の演技では、フィニッシュの2回宙返りの最中でも、足の爪先を伸ばしたままの姿勢を維持していた。これは、「体操の教科書」となる演技と言われ、このような美しさを追求した演技が、後輩の選手達にも大きな影響を与えている。
2000年の
シドニーオリンピック時には、選手村内の道路の1つが「サワオ・カトー・ストリート」と名付けられた。選手名の冠がつけられたのは、オーストラリアの27人と、その他の国から25人で、アジアでは加藤澤男がただ1人であった。
オリンピックでの成績
- メキシコ大会(1968年)
- 団体総合 優勝
- 個人総合 優勝
- 個人種目別 床運動 優勝
- 個人種目別 つり輪 3位
- ミュンヘン大会(1972年)
- 団体総合 優勝
- 個人総合 優勝
- 個人種目別 床運動 6位
- 個人種目別 あん馬 2位
- 個人種目別 つり輪 4位
- 個人種目別 跳馬 4位
- 個人種目別 平行棒 優勝
- 個人種目別 鉄棒 2位
- モントリオール大会(1976年)
- 団体総合 優勝
- 個人総合 2位
- 個人種目別 床運動 5位
- 個人種目別 あん馬 5位
- 個人種目別 つり輪 6位
- 個人種目別 平行棒 優勝
著書
脚注
関連項目
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)