概要
一介のサラリーマンが政界に進出し、地元利益還元ではなく、日本、ひいては世界から物事を考える政治家となるストーリー。作中のテーマがそれぞれ当時の世相を反映した内容となっていた。
難関へ次々と挑む主人公を描いてみせる一方で、密室政治による首相選出を厳しく批判する主人公が自ら密室政治を運んで首相を選ぶ場面、主人公やその妻が不倫している場面などもある。
あらすじ
- 丸講物産・食料品本部農産部課長の加治隆介のもとに、父親である衆議院議員・加治元春の事故死の一報が飛び込んできたのはホテルで愛人・鮎美との情事を済ませた後だった。さらに隆介の地元到着後に兄・春彦も亡くなったことで来るべき総選挙に向けて後援会は隆介の擁立に動く。
- 一度はその申し出を固辞した隆介だったが、後援会長・山本から元春が早くから隆介を後継者として考えていたことを知らされ、隆介は立候補を決心して鮎美に別れを告げる。
- 地元に帰った隆介を待っていたのは厳しい現実だった。父の理想に従って地元利益を第一義としなかったことに党寄りの幹部が反発、後援会分裂のうえ元春の第一秘書だった谷崎が後継者として民政党の公認を取り付けてしまう。
- 無所属で戦わざるを得なくなった隆介は選挙区各地を回って自分の主張を訴えるが、農村部でトマトを投げつけられるなど大苦戦する。しかしテレビの公開討論会などが功を奏して都市部では徐々に支持が浸透していく。
- そして迎えた投票日、隆介と谷崎の争いは開票がすべて終了するまで結果の見えない大激戦となる。そして開票が終わったが、隆介はあと15票という前代未聞の僅差で敗れ去った。
- しかし、それはその後の大波乱の序章でしかなかった。なんとトップ当選したベテラン代議士の急死に伴い、隆介は繰上げで当選を果たしたのだった。
登場人物
日本の政治家
自由と責任党、または関連する党派
- 加治隆介
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鹿児島県出身。鹿児島1区選出。民主政和党の大物政治家である加治元春の次男。鹿児島ラサール高校、東京大学法学部を経て、一流商社である丸講物産に入社。父とその後継者と目されていた兄の死をうけて後援会長の山本らにより後継者に推される。しかし、地元利益を前面に押し出さない姿勢を鮮明にしたことで後援会分裂を招き、民政党からも公認されなかったがこれが逆に若年層の支持を獲得する。
- 初当選直後は民政党井原派に属するも当初より旧来のしがらみに囚われない政治活動を志し、同じ井原派の若手議員数人とともに超党派の政策集団「桜嵐会」を結成(のちに「桜新党」→「自由と責任党」に発展)
- その後鳩村失脚、総選挙での民政党敗北を経て誕生した野党連立による浅海恒太郎内閣にて内閣官房長官に指名され、のちの渦上三郎内閣まで務める。
- その後は青杉幹二内閣で外務政務次官、小沢倫太郎内閣で国務大臣防衛庁長官、平原和正内閣にて外務大臣を歴任、そして平原首相の病気辞任に伴う自由と責任党党首選にて熱田健二郎を破って自由と責任党党首、内閣総理大臣に就任する。
- 外遊時に事件に巻き込まれることが多く、鳩村失脚後の総選挙期間中に一ノ関鮎美の消息を追ってカンボジアに向かった際にはゲリラに身柄を拘束され命を落とす寸前まで行ったほか、やくざとの裏取引(大阪でのAPEC会合開催時に中国代表団から別のホテルを用意するよう要求されたため、そのホテルを予約していたとある暴力団の組長と交渉したこと)を問題視され一時議員を辞職していた際に一民間人として韓国を訪問した際には、北朝鮮関係者により拉致されかかったりもした。
- 浅海恒太郎
- 民主政和党の大物議員。のち桜新党代表、内閣総理大臣を歴任。加治元治の側近中の側近で、民政党時代は「錦江クラブの元帥」と呼ばれていた。和歌山1区選出(ただし、与野党逆転となった総選挙時は「長野2区」となっている)。
- 所属派閥「錦江クラブ」の井原七郎とはソリが合わず、錦江クラブの七政会への衣替えに反発して隆介の桜嵐会に参加。その人柄と影響力で桜嵐会の勢力拡大に貢献したほか、鳩村失脚後の民政党総裁選に渦上三郎の擁立を打ち出して鳩村・井原派の分断や鈴鹿・桂木・横谷の三派連合の分裂を引き起こすなど、策士であった。
- その後井原内閣不信任案に同調したことで桜嵐会の全会員とともに民政党を離党、桜新党を結成して代表となる。
- 総選挙にて民政党敗北ののち初の反民政連立内閣の総理大臣となり、当選2回の隆介を内閣官房長官に指名する。
- 総理大臣就任後、政治改革関連法案の成立に執念を燃やすが、法案が衆議院を通過した当日夜、持病の肝細胞癌の悪化により官邸内で吐血、殉職した。
- 初期における隆介の後見人的存在であり、政治の師匠であった。
- 渦上三郎
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広島県出身。広島1区選出。内閣総理大臣、新党渦潮代表、自由と責任党党首を歴任。原理原則を貫く真の政治家で、民政党時代は次期首相候補と目された鳩村派のプリンスだった。しかし、鳩村辞任後の民政党総裁選に鳩村・井原の二派合同による井原擁立に反発する形で桜嵐会の後押しをうけて出馬し、鳩村派を除名される。
- 井原・鳩村の多数派工作の前に敗れ去った後に「新党渦潮」(のちに自由と責任党に発展)を結成して民政党を離党。政権交代を実現させて浅海政権の副総理・外務大臣に就任、そして浅海の急死をうけて自由と責任党・日本平和党の連立を成功させ、内閣総理大臣となった。
- しかし北朝鮮問題や責任党・平和党の理念の相違等で政権運営に苦しみ、最後は自身の女性問題が引き金となって辞任に追い込まれた。その後も自由と責任党党首として活躍するも青杉退陣後の首班指名候補擁立を巡って日本平和党の海藤正俊を殴打し、道義的責任を取って政界を引退。その後は故郷の広島で悠々自適の余生を送る。
- 浅海亡き後の隆介の後見人的存在であり、政治の師である。
- 細井義文
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徳島県出身。徳島1区選出で隆介より1期先輩。加治元春に心酔しており、七政会への参加に疑問を持って隆介・秋山とともに桜嵐会を結成。その後渦上政権の内閣官房副長官を務め、加治政権にて内閣官房長官となる。
- 隆介の先輩議員であり、一番の同志である。
- 秋山吉正
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山梨県出身。山梨2区選出で隆介とは同期。隆介・細井とともに桜嵐会の結成メンバーとなる。五菱経済研究所で主任研究員を務めた経済通。小沢政権当時は運輸政務次官だった。加治政権では熱田の後押しで経済企画庁長官に就任するも、当初は派閥人事と称されることを嫌って固辞していた。
- 土方俊太郎
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長崎県出身。元は海上自衛隊の護衛艦「ちくご」艦長。北朝鮮の小型砲艦による釜関フェリー襲撃に際し、乗客の人命優先のため敢えて規律に違反して砲艦を撃沈、引責辞任に追い込まれる。
- その後その行動力に感銘を受けた隆介の熱心な説得に応じて長崎4区より出馬、見事当選を果たす。
- 加治政権では入閣第1号として防衛庁長官に就任した。
- 津坂藤治
- 鹿児島県出身。隆介の高校の後輩。鹿児島青年会議所の理事長として実績を残した後、隆介の後押しで鹿児島2区から立候補、当選を果たす。
- 長池修三
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兵庫県出身。渦上の側近として新党渦潮代表幹事、自由と責任党幹事長を歴任。青杉失脚後に一旦後継の首班指名候補とされたがその後に自身の運動員による選挙違反(実は海藤による謀略だった)の発覚で連座制により議員辞職に追い込まれる。
- 小沢倫太郎
- 明示会派のホープで幹事長代理だったが、長池の選挙違反発覚に伴って急遽首班指名候補に推され、青杉の後任の内閣総理大臣となる。在任期間中にシージャック事件、日本平和党の連立離脱を招くも、最後は総選挙勝利にて花道を飾り、平原政権にバトンタッチした。
- 平原和正
- 小沢内閣の大蔵大臣だったが小沢辞任に伴って後継の内閣総理大臣に就任、隆介を外務大臣、熱田を大蔵大臣に指名する。経済問題に苦しみながらも政権を運営してきたが狭心症で辞任を止む無くされ、道半ばにして隆介に後を譲った。
- また、彼の夫人・史子は婦女暴行事件等で信頼の低下していた米軍海兵隊員との親睦を深めるべく富士登山による交流会を独自に実施するなど、この作品中に登場するファースト・レディとしては最も傑出した人物であった。
- 熱田健二郎
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愛知県出身。もともと民主政和党次代のプリンスと目されていたが、日本平和党との国民福祉党結成に乗じて同志38名とともに民政党を離党、自由と責任党に合流する。その後平原政権にて大蔵大臣を務めたが、平原辞任後の党首選にて隆介に敗れた。その後は幹事長に落ち着いている。
日本平和党
- 青杉幹二
- もともと社会平和党右派の議員で隆介とは同期。渦上の推薦により浅海政権の政治改革担当大臣に就任。その後政治改革関連法案成立を巡って海藤に接近。
- 政治改革関連法案の成立後同志41名とともに社平党を離党して「日本平和党」を結成、党首となる。茨城県選出だったはずだが、後の描写では兵庫1区が選挙区になっている。
- 渦上失脚後の内閣総理大臣となるが、財政赤字を拡大させたことを理由に国民の支持を落とし、総選挙敗北にて総理の座を追われる。
- その後小沢内閣にて外務大臣を務めるも、民政党からの誘惑(実は熱田の謀略だった)に乗じて連立を離脱、民政党と合同で「国民福祉党」を結成するも直後の総選挙で落選した。
- 海藤正俊
- もとは民主政和党の大物議員。元内閣総理大臣。政治改革関連法案成立を巡って接近してきた青杉幹二と結託、自身が率いるグループ70名を引き連れて日本平和党に合流、副党首となる。
- 当初より闇将軍として政界を牛耳ることを目論んでおり、渦上の女性問題発覚に対しては民政党との連携をちらつかせて渦上に辞任を迫り、青杉失脚後の首班指名に際しては一旦渦上の要求に応じるふりをして長池修三を推薦(実は自身の謀略で長池を失脚に追い込み、平和党から後継総理を擁立する算段だった)するなど、?タヌキ?ぶりを発揮する。
- しかし最後は渦上と差し違えの形で青杉からも絶縁され、失意の死を遂げた。
- 浦口直樹
- 青杉政権の外務大臣。労組の書記長を務めていたバリバリの社会主義者だったが、転向して日本平和党に参加。政務次官の隆介よりも外交能力を疑われている。
- 名前は、同名のTBSアナウンサーから取ったものと思われる(同様に「小林豊」という名前も作品中に見られる)。
民主政和党
- 鳩村尚三(謙三)
- 隆介が初当選した当時の内閣総理大臣。党内第三派閥の鳩村派の領袖で、第五派閥だった加治派(→井原派)の協力を得て総理の座に就く。しかしその後有力スポンサーだった光田工業相手の仕手戦が絡んだ収賄事件の当事者となったことからその調停を依頼した加治元治の殺害を指示。その事実を隆介に暴かれたことにより内閣総辞職を余儀なくされる(その後逮捕)。
- 保釈後は人目を避け、目黒の自宅でひっそりと過ごしていたが、最後は加治元治殺害を持ちかけてきた元私設秘書の海部雅治に射殺された。
- 連載当時の名前は「鳩村謙三」だったが、後の単行本では「鳩村尚三」に変わっている。
- 井原七郎
- 隆介の初当選当時は農林水産大臣。のち内閣総理大臣。福岡県選出の政治家。加治元春の死後、錦江クラブを継承、「七政会」に改組する。鳩村失脚後、多数派工作に成功して内閣総理大臣となるが政治改革法案廃案を巡って内閣不信任案を提出され(渦潮、桜嵐会が賛成に回って可決)、解散総選挙に打って出るものの民政党の過半数割れを招き、首班指名で浅海に敗れて退陣した。
- その後は政敵だった鈴鹿と手を組んでいる姿が見られることから、何らかの影響力は残しているものとみられる。
- 鈴鹿宏
- 当初は民主政和党幹事長、のち井原政権崩壊後に下野した民主政和党総裁に就任、日本平和党との合併後の国民福祉党でも総裁を務める。宮城県選出の政治家。党内最大派閥である鈴鹿派の領袖。鳩村内閣の文部大臣の失言テープを入手して、衆議院解散のキャスティングボートを握る。民主政和党の下野以降は政権奪回に執念を燃やし、渦上の女性スキャンダルのリーク、社会平和党との野合など数々の策を打つが、政権奪回には至らなかった。
- 谷崎健吾
- 加治元春の議員秘書。元治の死後、後継者となった隆介の政治姿勢に反発して後援会の大多数を率いて出馬。以後鹿児島1区における隆介の最大の政敵となる。
- いわゆる利益誘導型の政治家で、当初こそ民政党や錦江クラブの強烈なバックアップを受けたが、結局は陣笠に成り下がり、やがて政治家としての実績、実力共に隆介に水を空けられる。
- そのため隆介と神弘組の黒い交際をでっち上げて一旦は隆介を議員辞職に追い込むなどの妨害工作を繰り返す。
- しかし、結局隆介に実力で差をつけられる一方になり、最後は総選挙で圧倒的大差をつけられて大敗したうえ、選挙違反で政治生命を絶たれた。
- 加治元春
- 鹿児島県出身。労働大臣、建設大臣を歴任した与党大物政治家。隆介の父親。原理原則を貫く真の政治家として人気が高く、党内第五派閥「錦江クラブ」(加治派)の領袖だった。光田工業から賄賂性の高い金を受け取った疑惑を掛けられていたがその渦中、交通事故(実は鳩村の陰謀)により即死した。
その他
- 山本真喜雄
- 加治元春の地元後援会会長。元春の死後、隆介の擁立に尽力、後援会分裂後も隆介の陣営に残った。警察官の息子がいたがカンボジアでのPKO活動の最中にパルパト派による銃撃の犠牲となった。
- 西 田丸
- 隆介の第一秘書。当初は地元・鹿児島の後援会の一職員だったがワシントンでの光田工業事件の疑惑追及を機に隆介の右腕的存在となる。
- 田中 収
- 隆介の第一秘書(当初)。もともとは錦江クラブの鹿児島支部長だったが後援会分裂をきっかけに隆介側の陣営に残り第一秘書となる。その後第一秘書の肩書きは西に譲ったようだが、隆介に同行することの多い西に対し事務所に残って後方業務などを一手に任されているようである。
- 大森洋二郎
- 大日新聞の政治部キャップ。隆介とは東大の同期でラグビー部時代からの親友。選挙戦や加治元治の事故死疑惑、アメリカからの公文書問題、青杉後継の首班指名に絡む選挙違反問題などで幾度となく隆介をアシストする。
- 倉地潤
- 外務省官僚。隆介とは東大の同期でラグビー部時代からの親友。渦上政権では外務担当秘書官を務めた。
- 一ノ関鮎美
- 丸講物産OL。隆介の愛人だったが彼の政界進出を機に身を退く。その後は国連ボランティアの活動に生き甲斐を見出すが、白血病により逝去。
- 亡くなる寸前、隆介に「総理大臣になって下さい」との言葉を書き残し、隆介に党首戦出馬を決心させる。
- 田名網敬子
- 料亭「すっぽん田名網」の女将。渦上三郎の愛人だったが稲川欽蔵に心を移した。渦上に新党結成資金となる50億円を貸す。
- 稲川欽蔵
- 推定資産800億の大物相場師。田名網敬子の愛人。今は熱海で隠居生活を送っている。敬子の申し出に渦上や隆介の活動資金となる100億円を差し出した。(ただし隆介は受取っていない)是川銀蔵がモデル
- 手嶋治雄
- 外務事務次官。外務省の事務方トップとして、手堅く仕事をしている。同時期に政務次官だった隆介の外交能力を非常に買っている。のちにアメリカ大使に転身。
- 柳田昇吉
- 隆介が防衛庁長官に就任した当時の統合幕僚会議議長。自衛隊に対する理解の深い隆介に一目置いている。
- リンダ・シモンズ
- アメリカの新聞「ワシントン・ジャーナル」の記者。外務政務次官時代の隆介に密着取材を行ったことから交遊が生まれた。
- 加治春彦
- 隆介の兄。大蔵省を退官して父・元春の秘書を務めながらバトンタッチのときを待っていたが、鳩村らの陰謀に嵌められて睡眠薬を飲まされ交通事故を起こして死亡。
- 海辺雅治
- 鳩村の元私設秘書。鳩村から加治元春殺害の指示を受ける。鳩村逮捕後は右翼団体代表となるが加治元春殺害の件で西らから揺さぶりを掛けられ追い詰められた挙句、援助を拒んだ鳩村を射殺して逮捕された。
党派について
- 民主政和党(民政党)
- 戦後一貫して与党を維持し続けた保守政党。加治や渦上の離党により衆院で過半数割れ、総選挙でも過半数奪取ならず下野した。後に日本平和党と合流し、国民福祉党を結成。自由民主党がモデル。
- 社会平和党(社平党)
- かつては社会主義・非武装中立を主張していた革新政党。浅海亡き後の首班指名を巡り連立各党と決裂、青杉率いる右派グループが大量離党した。後に国民福祉党と連立政権を模索するが失敗する。日本社会党がモデル。
- 明示党
- 桜新党、新党渦潮と連立を組んだ政党。その後「自由と責任党」結成に参画し、旧明示党出身の小沢倫太郎が首相に就任する。公明党がモデル。
- 共立党
- 桜新党、新党渦潮と連立を組んだ政党。その後「日本平和党」結成に参画するが、民政党との合流に反発し「自由と責任党」に移籍。民社党がモデル。
- 民主進歩連合
- 桜新党、新党渦潮と連立を組んだ政党。その後「日本平和党」結成に参画したはずだったが、渦上内閣総辞職時点では「自由と責任党」に移籍していた。社会民主連合がモデル。
- 国民共産党
- 独自路線を行く政党。日本共産党がモデル。
- 桜新党
- 浅海率いる民政党の政策集団「桜嵐会」の議員が、政治改革を巡る党の姿勢に反発して離党し結成。新党渦潮、明示党と「自由と責任党」を結成する。新党さきがけ、日本新党がモデル。
- 新党渦潮
- 民政党鳩村派から除名された渦上グループが、政治改革を巡る党の姿勢に反発して離党し結成。反民政の連立政権を主導し、浅海首班で各党をまとめる。桜新党、明示党と「自由と責任党」を結成する。新生党がモデル。
- 自由と責任党
- 桜新党、新党渦潮、明示党が合流して結成した新自由主義政党。渦上、小沢、平原、加治の4首相を輩出する。新進党がモデル。
- 日本平和党
- 社平党右派の青杉と民政党を離党した海藤グループが合流して結成。「自由と責任党」と連立を組んでいたが、責任党のスキャンダルを察知し連立離脱、民政党と「国民福祉党」を結成した。民主党 (日本 1996-1998)がモデル。
- 国民福祉党
- 民政党と日本平和党が合流し結成。政策は福祉優先であるが、青杉の落選により党の主導権は民政党総裁であった鈴鹿が握る。自社さ連立政権がモデル。
加治隆介の議テレビドラマを実現する議員の会
この作品は、当時の若手政治家にとって
バイブルのような存在になっていて、
2000年4月に
山本一太参議院議員と
浅尾慶一郎参議院議員が呼びかけて、同作をテレビドラマ化させるための超党派の
議員連盟(通称・カジ派)が結成された。しかし、結局この計画は頓挫した。
しかし、ドラマ『
CHANGE』の内容が『加治隆介の議』と似たものとなっていることから、『CHANGE』によって『加治隆介の議』のドラマ化という目的は達成されたとの見方もある。
しりゆうすけのき
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)