加越能鉄道株式会社(かえつのうてつどう)は
富山県西部を中心に
路線バスを運営する
バス事業者。通称は『
加越能バス』。かつては
鉄道路線を保有していたが、
2002年には最後の鉄道路線だった
万葉線を万葉線株式会社に譲渡し鉄道事業者ではなくなった。
路線バス事業のほか、
貸切バス事業や旅行業なども行う。
歴史
鉄道事業(撤退)
路線
万葉線
高岡軌道線・新湊港線は「
万葉線」という愛称で一体の路線として運行されていた。しかし、旅客数の伸び悩みなどにより、加越能鉄道は万葉線の廃止・バス代替の意向を示した。地域住民や自治体から反対運動が起き、
2001年に高岡市・新湊市が中心となって
第三セクター会社「万葉線株式会社」を設立して存続することとなった。
2002年2月、加越能鉄道は万葉線株式会社に万葉線の事業譲渡を行った。
加越能高速鉄道計画
加越能鉄道の本来の設立目的である加越能高速鉄道計画は、富山〜金沢、高岡〜七尾の2つの路線の計画があった。富山〜金沢についてはすでに
北陸本線があるが、加越能鉄道の計画は両都市を直線状に結び、かつ北陸本線が非電化の時代に電車を使用し、国鉄の半分の時間で走るというものであった。
1953年(昭和28年)2月27日に両路線の免許を申請し、
1954年(昭和29年)5月に免許が下りたが、免許されたのは富山〜金沢のみで高岡〜七尾については保留とされた。富山〜金沢間の経由地を高岡に変更した上で
1959年(昭和34年)12月に工事認可が下り、電鉄富山駅〜
小杉町(現
射水市)
太閤山〜地鉄高岡駅の路線について用地買収を開始した。
昭和40年ごろまでに予定の半分まで用地買収が終わっていたが、
モータリゼーションの急速な進行により加越能鉄道・地鉄とも乗客が減少したことや、北陸本線が電化されスピードアップが行われたことなど情勢の変化により、
1970年(昭和45年)に計画中止、翌
1971年(昭和46年)に起業廃止を申請した。買収された線路用地は富山県に買い上げられ、中央サイクリングロード(
富山県道370号富山庄川小矢部自転車道線の一部)として転用されている。
予定では、電鉄富山駅を起点として富山市街地を
松川右岸の高架線、安野屋を経て
神通川を渡り新富山、
富山大学の南側、下野、寺町を経て呉羽丘陵をトンネルで抜け、花ノ木、黒河、太閤山、水戸田、
庄川を渡り蓮花寺、大野、新高岡駅というルートとなっていた。
バス事業
路線バス
金沢線
- 砺波市役所前 - 砺波駅 - 高儀 - 東石黒 - 福光駅 - 砂子谷 - 森本駅前 - 東山 - 武蔵ヶ辻 - 金沢駅
福光駅〜金沢駅間は
西日本JRバス名金線と平行しているが、加越能バス担当便でジェイアールバスの回数券・定期券等の使用は認められていない(車内アナウンスでも告示されている)。また、JRバスによって新設された新規停留所3カ所(川口眼科前・一福茶屋・国道法林寺)は加越能バス担当便では停車しない。
画像:Kaetsunobus 44.JPG|新塗色
画像:Kaetsunobus 217.JPG|旧塗色
高速バス
運行受託
外部リンク
社
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)