名称
「ローマ帝国」は
ラテン語の「
Imperium Romanum」の訳語である。「
Imperium」は元々ローマの「支配権(統治権)」という意味であり、転じてその支配権の及ぶ範囲のことをも指す。従って日本語の「
帝国」という文字から想像されるような皇帝が支配する国家という意味は無い。帝国には「多民族・多人種・多宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」という意味もあり、その意味において共和政時代から
古代ローマは「ローマ帝国」であった。しかしながら日本においては、しばしば帝政以降のみを示す言葉として用いられている。
変遷
古代ローマがいわゆる
ローマ帝国となったのは、上述の通り、イタリア半島を支配する都市国家連合から「多民族・多人種・多宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」へと成長を遂げたからであり、帝政開始をもってローマ帝国となった訳ではない。だからいつの時点をもってローマ帝国が成立したか、それを定義づける事は不可能である。
ただし、西ローマ滅亡後もコンスタンティノポリスの皇帝が名目上全ローマ帝国の皇帝とされており、
東ローマ帝国では古代末期のローマ帝国の政治経済の体制が数百年にわたって継続されていた。
帝政の開始
都市国家ローマは次第に力をつけ、中小独立自営農民を基盤とする重装歩兵部隊を中核とした市民軍でイタリア半島の諸都市国家を統一、さらに地中海に覇権を伸ばして広大な領域を支配するようになった。
紀元前1世紀には
ローマ市民権を求めるイタリア半島内の諸同盟市による反乱(
同盟市戦争)を経て、イタリア半島内の諸都市の市民に市民権を付与し、狭い都市国家の枠を越えた帝国へと発展していった。
以降、帝政初期の
ユリウス・クラウディウス朝の世襲皇帝たちは実質的には君主であったにもかかわらず、表面的には
共和制を尊重して
プリンケプス(元首)としてふるまった。これを「
プリンキパトゥス」(元首政)と呼ぶ。彼らが即位する際には、まず軍隊が忠誠を宣言した後、元老院が形式的に新皇帝を元首に任命した。皇帝は代々次のような称号と権力を有した。
- 「カエサル」と「アウグストゥス」の称号。
- 「インペラトル」(凱旋将軍、軍最高司令官)の称号とそれに伴う全軍の最高指揮権(「エンペラー」の語源)。
- 「プリンケプス」(市民の中の第一人者)の称号。本来は元老院において、最初に発言する第一人者の意味。
- 「最高神祇官」の職。多神教が基本のローマ社会において、その祭事を主催する。
- 「皇帝属州総督の任命権。元老院が管轄する元老院属州が別にある。直轄領として、エジプトを直接支配する権限。
- 「護民官特権」を実際に護民官には就任していないにもかかわらず行使する権利。これには身体の不可侵権に加え、元老院への議案提出権やその決議に対する拒否権などが含まれており、歴代皇帝はこの権限を利用して国政を自由に支配した。
これらに加え、皇帝たちは必要な場合コンスルや
ケンソル(監察官)などの共和政上の公職に就任することもあった。さらに、皇帝たちには「国家の父」などの尊称がよく送られた。また皇帝は死後、次の皇帝の請願を受けた元老院の承認によって、神格化されることも少なくなかった。
五賢帝の時代
アウグストゥスの後、帝位をめぐる曲折を経て、紀元
1世紀の末から
2世紀にかけて即位した5人の皇帝の時代にローマ帝国は最盛期を迎えた。この5人の皇帝を
五賢帝という。
のちに若干の理想化も含めた歴史の叙述によれば、彼らは生存中に秀材を探して養子として帝位を継がせ、安定した帝位の継承を実現した。ユリウス・クラウディウス朝時代には建前であった元首政が、この時期には実質的に元首政として機能していたとも言える。またこの時代には、法律(
ローマ法)、交通路、度量衡、幣制などの整備・統一が行われ、領内の流通と経済が盛んになった。
五賢帝の時代を過ぎると、各地で反乱が頻発するようになった。これに対処すべく、
212年、
カラカラ帝の「
アントニヌス勅令」によって、ローマの支配下にあるすべての地域に、同等の市民権が与えられた。これによってローマの都市国家的要素は全て消滅したが、反面、財産や教育といった面から見て、かつての基準を下回るローマ市民を大量に受け入れる事となり、原則的に権利の上では平等であったローマ市民権保有者の間での階層化を生む事となった。
混乱と分裂、キリスト教
いわゆる「元首政」の欠点は、元首を選出するための明確な基準が存在しない事である。そのため、反乱の増加に伴って、軍隊が強権を持ち皇帝の進退を左右した。約50年間に26人が皇帝位に就いたこの時代は
軍人皇帝時代と称される。
284年に最後の
軍人皇帝となった
ディオクレティアヌス(在位:
284年-
305年)は混乱を収拾すべく、帝権を強化した。元首、つまり終身大統領のような存在であった皇帝を、オリエントのような専制君主にしたのである。これ以降の帝政を、それまでのプリンキパトゥス(元首政)に対して「
ドミナートゥス(専制君主制)」と呼ぶ。また
テトラルキア(四分割統治)を導入した。四分割統治は、二人の正帝(
アウグストゥス)と副帝(
カエサル)によって行われ、ディオクレティアヌス自身は東の正帝に就いた。強大な複数の外敵に面した結果、皇帝以外の将軍の指揮する大きな軍団が必要とされたが、そうした軍団はしばしば皇帝に反乱を起こした。テトラルキアは皇帝の数を増やすことでこの問題を解決し、帝国は一時安定を取り戻した。
帝国の分裂
395年、
テオドシウス1世は死に際して帝国を東西に分け、長男
アルカディウスに東を、次男
ホノリウスに西を与えて分治させた。当初はあくまでもディオクレティアヌス時代の四分割統治以来、何人もの皇帝がそうしたのと同様に1つの帝国を分割統治するというつもりであったのだが、これ以後帝国の東西領域は再統一されることはなく、対照的な運命を辿ることになった。そのため、今日ではこれ以降のローマ帝国をそれぞれ西ローマ帝国、東ローマ帝国と呼ぶ。ただし、当時の意識としては別の国家となったわけではなく、あくまでもひとつのローマ帝国が西の皇帝と東の皇帝の統治管区に分割されているというものであった。
西ローマ帝国
東ローマ帝国
東ローマ帝国は、軍事力と経済力を高めてゲルマン人の侵入を最小限に食い止め、西ローマの消滅後は唯一のローマ帝国政府として、名目上では全ローマ帝国の統治権を持った。紆余曲折を経ながらも、
1453年に
オスマン帝国に滅ぼされるまでの1000年にわたってローマ帝国の正統な後継者として存続した。
ローマ帝国の継承国家
西ローマ帝国滅亡後のゲルマン系諸王国の多くは、消滅した西の皇帝に替わって東の皇帝の宗主権を仰ぎ、東の皇帝に任命された官僚の資格で統治を行った。しかしフランク王国が
カロリング朝の時代を迎え、
カールが教皇レオ3世より戴冠され帝位に就いたことで、
ローマ総大司教管轄下のキリスト教会ともども、東の皇帝の宗主権下から名実とも離脱した。ここに後世
神聖ローマ帝国と呼ばれる政体に結実する西欧のローマ皇帝と帝権が誕生し、
1806年まで継続した。
東ローマ帝国を征服し、滅ぼしたオスマン帝国
スルタン・
メフメト2世および
スレイマン1世は、自らを東ローマ皇帝の継承者として振る舞い、「ルーム・カエサリ」(トルコ語でローマ皇帝)と名乗った。ただし
バヤズィト2世のように異教徒の文化のオスマン帝国への導入を嫌悪する皇帝もおり、オスマン皇帝がローマ皇帝の継承者を自称するのは、一時の事に終わった。
ロシア帝国はローマ帝国の後継者をもって任じ、ロシア皇帝を自称するも、国内向けの称号に留まり、対外的には単なる「
モスクワ国の
大公」として扱われている。その後、国際的に皇帝と認められるようになるが、ローマ帝国の継承者としての皇帝という意味あいは忘れ去られていた。
ローマ帝国の滅亡
ローマ帝国という名称を名乗る国家としては、
神聖ローマ帝国が
1806年の帝国解散の詔勅による滅亡まで存続しているが、既にこの当時はドイツ民族による大小の国家連合体となって長い時間が経過しており、帝国解散の詔勅自体が「ドイツ帝国」の名で出されている上、旧東西ローマ帝国の滅亡時に正統な後継国家として認証されている訳ではない、自称ローマといえる。
また東ローマ帝国はギリシア系住民が多い地域を支配していたために、古代ローマ時代に比べてギリシア文化の影響力が強くなり、古代以来の統治機構がイスラムの侵攻などによって崩壊したことなどから、ヘレニズムとローマ法、正教会を基盤とした新たな「ビザンツ文明」とも呼べる段階に移行した。そのため同時代の西欧からも「ギリシア人の帝国」と見なされ、後世からも「ビザンティン帝国」と呼ばれる場合が多い。
そのため単に「ローマ帝国の滅亡」と言ったときには、476年の西ローマ帝国の滅亡を指すのが一般的である。
ただし、東ローマ帝国は分裂以前のローマ帝国から断絶なく連続している政体であり、西ローマ帝国の滅亡後も神聖ローマ帝国成立までは西欧からローマ帝国とみなされていた。いつの時点をもってビザンティン帝国へと変質したのか明白に定義づけができないため、冒頭で述べたエドワード・ギボンのように、東ローマ帝国の滅亡をもってローマ帝国の滅亡と考える者も多い。
歴代皇帝
脚注
関連項目
参考文献
関連作品
- Ty Bomba &Joseph Miranda"Lest Darkness Fall: Rome in Crisis"",Strategy & Tactics No.234,Decision Games,2006※235〜285年における軍人皇帝時代のローマ帝国と周辺勢力の戦い。イベントも多くローマファンも楽しめる
外部リンク
*
ろまていこく