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レゲエ

レゲエreggae)は、1960年代後半からジャマイカで発展した音楽ジャンル。
ジャマイカ音楽の中で最もポピュラーであり、直接的にはスカロックステディから発展した。
広義では、ジャマイカで発展した音楽全般を指しスカやロックステディあるいはダブも含んでいる。

呼称について

レゲエと言う言葉の語源には諸説あるが、1967年版のジャマイカ英語辞典によると「レゲエ(Reggae)」は「ぼろ、ぼろ布,または口げんか、口論」という意味を表すスラングとして紹介されている。このスラングが転じていつしか音楽のスタイルを表すようになったとされる説が有力である。「レゲエ」という言葉が最初にレコードとして世に出たのは1968年、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズによる楽曲『Do the reggay』である。

音楽的特徴

一般的には、リズムギターまたはキーボードが、バックビート(裏打ち)と呼ばれる2、4拍にアクセントを置いて演奏される特徴的なリズムの形式によって、レゲエと分類される。しかしより厳密には、レゲエをより特徴づけているのは裏打ちではなく、むしろ打楽器ベースが作るリズムの形式である。
ボブ・マーリーの世界的ヒットなどを経て、レゲエのリズム様式はヨーロッパ各地、アフリカアジアなど世界中のポップ音楽の分野で、しばしば演奏されるようになった。また、異なるジャンルとの融合(例えばジャズ、ロック、ヒップホップなど)も多く見られるが、それらは特にレゲエとは呼ばれず、「クロスオーバーもの」と表現されるにとどまる。
また「レゲエのリズム」のことをジャマイカ英語で「リディム」といい、曲名ではなくリディム自体に名前がついていることも多い。

ドラムス

標準のドラムキットが一般的に使用されるが、スネアドラムはしばしばティンバレスのような非常に高い音にチューニングされる。スネアドラムにおけるリム・ショットはよく多用される。
レゲエのドラムビートは、ワンドロップ(One Drop)、ロッカーズ(Rockers)、ステッパーズ(Steppers)など、いくつかのカテゴリーに分けることができる。ワンドロップにおいては、1拍めにアクセントがなく、3拍めが強調される。この様なリズムは、ポピュラー音楽においては非常に珍しく、レゲエの定義の特性の一つである。恐らくこのスタイルのドラムの最もよく知られた演奏者で、発明したとされる人は、ウェイラーズのカールトン・バレットである。ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズの曲、「ワン・ドロップ(One Drop)」の曲名は、このドラムビートに由来する。
スネアまたはリムショットによる3拍めの強調は、すべてのレゲエのドラムビートに見られるが、ロッカーズビートにおいては、スネアドラムはマーチングバンド風なフレーズを叩いている。その戦闘的とも取れるフレーズからミリタントビートとも呼ばれている。チャンネル・ワンというレーベルの専属バンドだったレヴォリューショナリーズが代表的な演奏者である。
ステッパーズには、バスドラムは4拍すべてに固いビートを加える。カールトン・バレットが演奏する、ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズの曲「エクソダス(Exodus)」がよい例だ。ここでは、彼の異例のハイハットの3連のリズムを絡めている。ステッパーズビートは、1970年代後期と1980年代初めのイギリスの2トーンスカやレゲエのバンドでも好んで演奏された。
レゲエドラムの他の珍しい特徴としては、ロックやポップスなどと異なり、シンバルを使ったフィルが多用されないという点、しばしばハイハットでアクセントをつけず平板なビートを刻む点が挙げられる。
その他のパーカッションとしては、ボンゴカウベルシェイカー、ビンギ・ドラム、近年ではMPC等様々な楽器が使われる。

ベース

標準的なエレキベースが使われることが多いが、中音域を徹底的に下げ、極端に重低音を強調した音にチューニングされる。 レゲエにおいてベースはうねうねとした特徴的なベースラインを繰り返し、転調もないことが多い。奏者はエレキベースを腰より上に構える。

ギター

標準的なエレキギターが使われることが多いが、曲によってはアコースティックギターも使われる。 特徴的な裏打ちをカッティングするリズムギターブルース風やロック風のメロディを弾くリードギターがある。

ボーカル

レゲエには非常に多彩なボーカルスタイルが存在する。ソロ歌手、ボーカル・デュオ、ボーカル・トリオ、ボーカル・グループ、DJ、ボーカルとDJのコンビ等である。 また、ダンスホール期に誕生したDJによるトースティング、シングジェイ(Sing-Jay)、アウト・オブ・キー(Out of Key)はレゲエ特有の歌唱法である。

レゲエの歌詞

レゲエはレベル・ミュージック(Rebel Music/反抗の音楽)であるといわれる。その理由は社会批判、物質主義への批判、反植民地主義などの政治的なテーマが多く歌われるからである。これはラスタファリアニズムの影響が大きいが、全てのレゲエ・アーティストがラスタファリアン(ラスタ)というわけではない。また、ジャマイカの伝統音楽であるメントと同様のコミカルな歌詞や、フォークロアに基づく説話的歌詞、ブルースのようにゲットーの貧しい暮らしを嘆くもの、他のポピュラー音楽と同様の男女の愛や人生の機微、音楽への陶酔などを歌うものなどレゲエにおける歌詞の主題は幅広い。レゲエはジャマイカの不良の音楽でもあり、ルードボーイ(rude boy)、ラガマフィン(raggamuffin)、ギャングスタ(gangsta、gangster)、バッドマン(bad man)など不良を意味する語が歌詞に頻出する。一方、不良たちの暴力をいさめる歌詞も多く見られる。ルードボーイとラスタは必ずしも対立する概念ではなく、実際には多くのアーティストがルードボーイであり同時にラスタでもある。レゲエにはガンジャを吸うことで世界中が平和になると歌いながら、暴力や同性愛差別をやめることをしない者もいて、歌詞とアーティストの行動は必ずしも一致していない。
以下はレゲエ特有の歌詞の主題についての補足である。

ラスタファリズム

エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ1世を神(Jah)として称え、アフリカ回帰を主義とする宗教的運動。レゲエの歌詞にはしばしば自らをラスタの戦士やライオンになぞらえ、バビロン(Babylon/悪の象徴)と戦いこれを打ち破る、という描写が出てくる。また、ラスタ・カラーとして有名な緑、黄色、赤の色彩の組み合わせはエチオピア国旗から来ているので、本来はラスタを信仰する者だけが身につけるものであり、独特の髪型ドレッドロックス聖書の中の記述を由来とする宗教的な理由がある。しかし日本ではその意味が一般にはあまり認知されておらず、単なるファッションとして消費されている傾向がある。

大麻

ラスタファリズムも参照のこと。
大麻はラスタファリズムがジャマイカに浸透した1960年代末以降、レゲエの歌詞の中で頻繁に取り上げられる主題の一つである。<ref>鈴木慎一郎「Yard Livity part 5 ジャマイカのガンジャ文化」『レゲエ・マガジン』46号、株式会社タキオン、1995年、129-132ページ </ref>ジャマイカにおける大麻は19世紀中葉以降プランテーションでの人手不足を補うため導入されたインド系移民によってもたらされた。<ref>ガンジャ(Ganja)、チラム(Chillum)、カリ(Collie)などはヒンディー語を語源とする。</ref><ref>中央アフリカのコンゴ系奴隷から伝わったという異説もある。</ref>。ジャマイカでは大麻はガンジャ(ガン=草、ジャー=神)または、ハーブ(Herb、薬草)という呼称が多用され、「ガンジャ・チューン(Ganja Tune)」等と称されるガンジャによる効能や瞑想、またはガンジャが非合法とされているが故の苦難をテーマとした楽曲も非常に多い<ref>鈴木慎一郎「Yard Livity part 5 ジャマイカのガンジャ文化」『レゲエ・マガジン』46号、株式会社タキオン、1995年、129-132ページ </ref>。1966年ドン・ドラモンドによるインスト曲『Cool Smoke』が最早期のガンジャ・チューンである<ref>鈴木慎一郎「Yard Livity part 5 ジャマイカのガンジャ文化」『レゲエ・マガジン』46号、株式会社タキオン、1995年、129-132ページ </ref>が、ガンジャ=レゲエというイメージがジャマイカ以外の国々まで浸透したのは1972年にリリースされたボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズメジャーデビューアルバム『キャッチ・ア・ファイア』においてボブがガンジャの煙をくゆらす印象的なジャケットが紹介されてからである。ピーター・トッシュも大麻解禁に賛成の運動をしており、1976年には『リーガライズ・イット』(邦題『解禁せよ』)というアルバムをリリースしている。しかし一方で、ジャマイカには1913年より施行された厳しい反マリファナ法(Dangerous Drugs Law)があり<ref>立法当初は万国阿片条約にて締結されたアヘンの取締りを主目的としていた。</ref><ref>http://www.tc.columbia.edu/centers/cifas/Drugsandsociety/background/BackgNotes.html</ref>、所持、売買、喫煙にはそれぞれに応じた罰金刑、懲役刑が科されており<ref>鈴木慎一郎「Yard Livity part 5 ジャマイカのガンジャ文化」『レゲエ・マガジン』46号、株式会社タキオン、1995年、129-132ページ </ref>、ピーター・トッシュ、ブジュ・バントン、ニンジャマンらレゲエアーティストもこの法律を根拠に科刑された経験がある。

反同性愛

また特に1990年代以降のダンスホールレゲエの楽曲を中心に、レゲエの歌詞には異性愛を尊重し、しばしば同性愛者を「バティボーイ(Batty Bwoy)」などと呼び激しく批判するホモフォビア的内容のものが多い。これら同性愛者批判はジャマイカ国民の大多数を占める保守的キリスト教信者やラスタファリアンが持つ信仰に基づく性倫理観の影響、植民地時代が長らく続いたことによる母系社会化と相対的な男性の地位低下等のジャマイカ特有の社会的、歴史的事情の影響がある。また、ジャマイカでは法律「Offences Against the Person Act」第76条、79条によって男性間の性交が違法とされており、違反者には最大で禁固10年、もしくは服役2年が課せられている。
1990年代以降、ブジュ・バントン、エレファント・マン、ビーニ・マン、シズラ、ケイプルトンらがイギリスに本部を置く「Outrage!」等の同性愛団体・人権団体から差別的発言について抗議を受けている。同団体は2004年に「ストップ・マーダー・ミュージック(Stop Murder Music)」キャンペーンを、2007年には「レゲエ思いやりの決意表明(Reggae Compassionate Act)」キャンペーンを展開した。
日本のレゲエのファンには女性蔑視の傾向は少ないといえるが、反同性愛思想は見られ、2007年にソカシンガーのMINMIが楽曲提供した化粧品のCMに、おネエキャラ(女装の男子)のIKKOが出演した事で、一部のレゲエファンの間で異論を呼び、その出演に反発した人たちがMINMIの公式ブログに中傷の書き込みを続け炎上する騒ぎとなった。

サウンド・チューン

後述するように、ジャマイカの音楽はサウンド・システムダブ・プレートというそサウンドシステム独自のレコードをかけ、互いに競い合う文化がある。そのため自分のサウンドを称えたり、相手のサウンドをけなしたりする曲が古くはレゲエ以前の時代からリリースされていた。そのような曲のことを「サウンド・チューン」「サウンド・アンセム」と呼ぶ。

レゲエの歴史

レゲエ以前

レゲエ誕生以前のジャマイカではカリブ地域の伝統音楽であるメントカリプソやアメリカ合衆国のリズムアンドブルースジャズビーバップが親しまれていた。

1940年代-サウンドシステムの誕生

ジャマイカでは前述のような音楽をサウンド・システムと呼ばれる移動式で、巨大なスピーカーを積み上げた音響施設でプレイし、楽むことが1940年代以降ポピュラーになっていった。そこでは曲を掛けるセレクター(selector。他音楽ジャンルのDJにあたる)、曲に合わせてトースティングしたり歌ったりするDJ(Dee Jay)、セレクターのかける曲の説明などをして場を盛り上げるMCなどの役割分担がある。サウンドシステムは当時のキングストンの人々にとって娯楽の中心であり、出会いの場であり、情報交換の場であり、商売の場でもあった。
1951年にスタンレー・モッタ(Stanley Motta)がジャマイカ国内初のレコーディング・スタジオ「MRS(Motta's Recording Studio)」を設立し<ref>http://www.pressure.co.uk/item/PS51/</ref> 、1957年にはケン・クォーリ(Ken Khouri)が後に「タフ・ゴング・スタジオ」となる「フェデラル・レコーディング・スタジオ(Federal Recording Studio)」を設立した<ref>ロイド・ブラッドリー著、高橋瑞穂訳『ベース・カルチャー』シンコーミュージック、2008年、55-57ページ</ref>。それ以後ジャマイカ産のR&Bやジャズをプレイできるようになった各サウンドシステムはダブ・プレートと呼ばれる独自のレコードを量産し、互いにさらに激しく競い合うようになる。
特にデューク・リードの「トロージャン(Trojan)」、コクソン・ドッドの「サー・コクソンズ・ダウンビート(Sir Coxsone's Downbeat)」は1961年頃までにそれぞれ自前のスタジオ「トレジャー・アイル(Treasure Isle)」と「スタジオ・ワン」を設立し音楽業界を牽引した。これらのサウンドシステム文化はクール・ハークなどの移民によってアメリカへ持ち込まれ、ヒップホップの誕生にも影響を与えた。

ジャマイカ独立-スカの誕生

1959年ジャマイカは英連邦王国において完全自治権を獲得。さらに1962年には独立を果たす。この頃からジャマイカのミュージシャンは独自の音楽を作り出すことを模索していった。そうした中で生まれたのがスカである。スカは、ジャズやリズム・アンド・ブルースなどのアメリカ合衆国の音楽や、カリプソ、メント等のカリブ海の音楽に影響を受け誕生した。1小節の2拍目と4拍目にアクセントを置く裏打ちのリズムが特徴である。1959年、ヒッグス・アンド・ウィルソンの『マニー・オー』は2万5千枚を超えるヒットを記録し 、プリンス・バスターがプロデュースした『オー・キャロライナ』はカウント・オジーによるナイヤビンギを取り入れ、ラスタの精神性をジャマイカ音楽に反映させた最初の曲となった 。
中国系ジャマイカ人バイロン・リーは1962年公開の映画『007 ドクター・ノオ』に出演し、スカをジャマイカの上流階級や海外に紹介する役割を担った。 1964年、ジャマイカ国内ではドン・ドラモンドジャッキー・ミットゥらによってスカタライツが結成され、国外に目を向けるとジャマイカ人女性シンガーミリー・スモールの歌った『マイ・ボーイ・ロリポップ』が全世界で600万枚を売り上げ スカ人気は頂点に達する。しかしスカ人気は短命に終わり、1966年後半にはより抑制の効いた新しいリズムに取って代わられることになった。

ロックステディの誕生

1966年にリリースされたホープトン・ルイスによる『Take it easy』やアルトン・エリス『Rock steady』などの楽曲を端緒にジャマイカではスカに代わりロックステディが流行する。 ロックステディは3拍目にバスドラムが打たれる「ワンドロップ」によるドラム、シンコペーションを重視したメロディアスなベースラインと、甘く滑らかなサウンドを特徴とする。また、ロックステディのテンポはスカよりも遥かにゆったりとしているが、この変化には1966年夏ジャマイカを襲った熱波が影響していると言う説もある。
このロックステディ期にはインプレッションズなどのソウル・ミュージックに影響を受けウェイラーズ、ヘプトーンズ、テクニークス、パラゴンズをはじめとするトリオによるコーラスグループ が流行した。さらにジャマイカ国内の社会状況の悪化の影響からデリック・モーガン『Tougher than tough』やプリンス・バスター『Judge Dread』などの「ルードボーイ(Rude Boy)」を主題とした歌詞が増えて行った。
しかしながらジャマイカ音楽史上におけるロックステディ時代も短命に終わり、流行のわずか2年後1968年にはレゲエに取って代わられることとなる。この変化の背景にはラスタファリズム公民権運動の高まりがあり、より直接的要因としてはスカ、ロックステディの音作りを支えたミュージシャンであるリン・テイトリコ・ロドリゲス、ローレル・エイトキンらの国外移住、各種エフェクターをはじめとする音響機材の進歩とそれに伴うリー・ペリーキング・タビーら革新的な新興プロデューサーの台頭があった。
なお、「パート・ツー・スタイル(Part 2 Style)」などと称される「同一のリディムを複数のシンガー、DJによって使いまわす」という現在も続くレゲエ特有の手法はこのロックステディ期に誕生したが、その起源は1967年末、スパニッシュタウンのルディーズ(Ruddy's the Supreme Ruler of Sound)というサウンド・システムが偶然ボーカルを入れ忘れたパラゴンズの『On The Beach』のダブプレートをプレイしたことにある。

レゲエの誕生

ロックステディは一世を風靡したが、短命に終わり、1968年にはレゲエに取って代わられることとなる。「レゲエ」という言葉が最初に用いられた曲は同年リリースされたメイタルズの『Do The Reggay』であるが、メント風のリズミカルなギターにブールーやクミナ風のパーカッションを取り入れたリー・ペリー『People Funny Boy』や、電子オルガンディレイのかかったギターが特徴のラリー・マーシャル『Nanny Goat』などもロックステディからレゲエへの変化が顕著に現れている作品である。
上記のようなギターとオルガンの変化は即ドラムとベースの変化を促した。ワンドロップと呼ばれる3拍目にバスドラムとスネアのリムショットが入るゆったりしたリズムこそロックステディ期と同一 だったものの、パーカッシブなベースラインとの対比による特徴的なアンサンブルが完成し、レゲエをそれ以前のジャマイカ音楽と決定的に異ならしめた。
また、歌詞の内容もアビシニアンズ『Satta Masagana』やエチオピアンズ『Everything Crash』をはじめとする黒人としての誇りや社会問題について歌うものが多くなっていったが、その背景には1966年のハイレ・セラシエ1世ジャマイカ訪問や西インド大学講師ウォルター・ロドニーの思想運動の結果高まったラスタファリアニズム や、同年独立を記念しジャマイカ政府によって創始された「フェスティバル・ソング・コンテスト」による文化的ナショナリズムの高揚、さらにジャマイカ労働党による経済政策の失策による景気・治安の悪化、さらにはアメリカ合衆国で高まりを見せつつあった公民権運動やネイション・オブ・イスラムの流行などの様々な要因があった。

1970年代-ルーツロックレゲエの隆盛

それまで様々な音楽の影響を受けて混沌としていたレゲエは、1970年代に入り、ルーツロックレゲエと呼ばれるスタイルを確立していく。またキング・タビーによるダブの発見、ディスコ音楽からの影響を受けた4つ打ちのリズムであるステッパーズリディムの登場などにより、主にクラブミュージックの分野で後世、大きな影響を与えることになる。またキングストンのゲットーを舞台にした映画「ハーダーゼイカム」やボブ・マーリーの世界的な大ヒットにより、レゲエはカリブ海の一民族音楽の枠を超え、世界に広まった。

ダンスホールレゲエの誕生と発展

1980年代初頭に入っても良質なルーツレゲエの作品が次々と発表された。それに加え、ジャマイカではダンスホールレゲエと呼ばれるリディムに乗せてDee Jayするスタイルが一般的になる。そんな中、1985年プリンス・ジャミーが発したリディム「Sleng Teng」からレゲエのデジタル化が始まる。これらの打ち込みよるトラックは、当時はコンピューターライズドと呼ばれた。
コンピュータライズドとは、バックのトラックをドラムマシンシンセサイザーで打ち込んだ物を指す。初のコンピュータライズドとなった「Sleng Teng」は、なんとカシオトーンのみで製作された。その後、スティーリィ&クリーヴィという二人組がコンピュータライズドのトラックを大量生産し、ヒットを飛ばし続けた。
またこのころからレゲエからラスタ色が薄れ、スラックネスと呼ばれる下ねたを中心とした歌詞やガントークと呼ばれる自分の銃や力を強調する歌詞などが流行する。

ラヴァーズロック

ジャマイカ移民達によってイギリスで1970年代にクリエイトされたブリティッシュ・レゲエ。中でも南部の黒人都市ブリクストンで誕生したと伝えられるラヴァーズロックはUKならではのハイブリッドな響きを持つ最高のポップミュージック。 ラスタファリアニズムの影響下、当時台頭していたルーツ・レゲエを後目にUKブラック達はポップで甘いレゲエを指向した。それがラヴァーズロック。 フィリーソウルやシカゴソウル、モータウンの影響をモロに受けたラヴァーズロックには優れたカヴァー曲も少なくない。

1990年代以降-ダンスホールレゲエ全盛期へ

1990年代中ごろ、ジャマイカではルーツアンドカルチャーの標語の下、ガーネット・シルク等が中心となりラスタ復興の兆しが現れる。またテクノやエレクトロニカのアーティストのよる新たなレゲエの解釈やジャマイカのダンスホールとイギリスのニュールーツとの交流、ヒップホップとのクロスオーバーなど新たな動きが現れている。

イギリスにおけるレゲエ

1967年に英国政府が移民を制限するまで、ジャマイカからのイギリスへの移民の数は膨張し続けた。この移民の中にはサウンドマンも存在し、1960年前後には小規模ながらもサウンド・システムが出現した。1961年の12月には、トロンボーン奏者のリコ・ロドリゲスがイギリスに移住し、イギリスにおけるジャマイカ音楽の発展に関わるミュージシャンの一人となった。
ユダヤ系アメリカ人のエミール・E・シャリットは、1960年に「ブルービート・レーベル」を立ち上げ、積極的にジャマイカ産のR&Bやスカをリリースした。これを初めとして、カリブ海の音楽の小さなレーベルが乱立した。1962年8月のジャマイカ独立を機に、クリス・ブラックウェルがアイランド・レコードをジャマイカからイギリスに移転させた。1964年、このアイランド・レコードから出たミリー・スモールの「マイ・ボーイ・ロリポップ」が700万枚を売り上げ、スカの曲として初めて世界的なヒットとなった。さらに1967年、ブラックウェルはデューク・リードのトレジャー・アイルと契約し、トロージャン・レーベルを設立する。このレーベルはジャマイカ音楽を輸入し続けた<ref name = "rn"/>。
アイランド・レコードは1972年に公開された映画『ハーダー・ゼイ・カム』のサントラ盤をリリースし、この盤ではジミー・クリフが数曲を歌いヒットした。翌年には、ボブ・マーリーの『キャッチ・ア・ファイア』が出て、アイランド・レーベルとレゲエの結びつきが世界に示された。
1970年代中頃から、ジャマイカ移民の二世を中心にした人々がレゲエをプレイし始めた。ルーツ色の濃いアスワドやスティール・パルス、白人中心ながら正統派のレゲエのUB40などがいる。また同じ時期に結成されたバンドマトゥンビのデニス・ボーヴェルは、イギリスにおけるレゲエとダブのみならず、ジャネット・ケイなどのラヴァーズ・ロック、スリッツトンプソン・ツインズなどのパンクニュー・ウェイヴのシーンでも重要な人物となった。ダブ・ポエトリーと呼ばれる、ダブに合わせて詩の朗読をするリントン・クエシ・ジョンソンといったアーティストも著名な存在となった。
イギリスでサウンドシステムを経営していたジャー・シャカはコンピューターライズドによってルーツレゲエを表現した。このようなスタイルはニュールーツと呼ばれる。さらにデジタル化したレゲエからジャングルやドラムンベース等の音楽が生まれ、UKニュー・ウェイヴやテクノ、ハウスといったクラブ系ミュージックにも大きな影響を与えた。
また、イギリスではソウルフルで甘い歌物のレゲエも好まれていて、それをラヴァーズ・ロック(Lovers Rock)と呼ぶ。ジャネット・ケイ、サンドラ・クロス、J.C.ロッジ、コフィ等、女性シンガーが人気である。

レゲエのサブジャンル一覧

レゲエの細分類、派生、および相互または一方向に影響した音楽ジャンルには以下のものがある。
スカ - ロックステディ - ルーツロックレゲエ - ダブ - ダンスホールレゲエ - ジャングル - ラガマフィン - レゲトン - 2トーン - スカコア - ナイヤビンギ- ラヴァーズロック - スキンヘッドレゲエ - ダブポエトリー - ニュールーツ - ダブステップ - ラガヒップホップ - ハワイアンレゲエ - スパニッシュレゲエ - ジャパニーズレゲエ - サンバレゲエ - アフリカンレゲエ - バングラガ - セゲエ - ラガコア

脚註

* れげえ

出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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