歴史
しかし、
1974年に大統領に就任した
ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権にて、次第にソ連との距離を取り始め、
西側諸国との提携も行うなど、「東欧の異端児」と呼ばれる独自の路線を進んだ。ルーマニアは豊富な資源を基盤に政権運営を行ったが、
官僚の失政が相次ぎ、チャウシェスクが「
国民の館」と称する豪奢な宮殿を建設するなどの奢侈に走り、ルーマニアの経済は失速。国民の生活水準は益々厳しいものとなっていった。
冷戦末期、
ペレストロイカや
ベルリンの壁の崩壊に連なる、
東欧の民主化の波はルーマニアにも波及した。他の東欧諸国が無血革命で民主化を成し遂げる中、チャウシェスク大統領は無謀にも権力の保持を図った。そのため、首都ブカレストを含む全国規模の暴動が発生。
1989年の
ルーマニア革命によってチャウシェスクは処刑され、民主化が実現した。暫定政権として救国戦線評議会が結成され、事実上の政府となった。同評議会は
イオン・イリエスクを議長に選出した。
関連項目
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)