モルドバ共和国(モルドヴァ共和国)の国名となっている
モルドヴァ(
Moldova)は、モルダヴィア(Moldavia)の
ルーマニア語・
モルドバ語における名称である。モルドバ共和国は、
ソビエト連邦の構成国であった時は
モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国を国名としていた。
歴史
歴代のモルダヴィア公は有力な
貴族の間の抗争に悩まされながらも
15世紀の間に勢力を拡大し、北上してきた
オスマン帝国の勢力と戦ったが、
16世紀初頭にその宗主権を認めてオスマン帝国の
属国になった。オスマン帝国の支配下でモルダヴィア公国は
自治を認められ、大貴族によって選挙された公がオスマン政府の公認のもとで統治を行い、ルーマニア人貴族の勢力は残された。
1774年にロシアとオスマン帝国の間で結ばれた
キュチュク・カイナルジャ条約の結果、モルダヴィアに対する宗主国オスマン帝国の支配力は弱まり、ロシアが影響力を強めた。
19世紀前半には実質的なロシアの保護下のもとで、モルダヴィアは同じくロシア保護下に入ったルーマニア人の国
ワラキアと緊密な関係を結ぶこととなり、共通のルーマニア人民族意識を高めた両国は
1859年に共同の
公を選出して統合を果たした。
東モルダヴィアとルーマニアの統一は
1920年の
パリ条約によるものだが、ソ連はこれを承認しなかった。
第二次世界大戦後、東モルダヴィアはソ連を構成するモルダヴィア社会主義連邦共和国となり、南部(
ブジャク)と北部(北ブコヴィナ)は
ウクライナ領となった。1991年、モルダヴィア連邦共和国は独立を宣言し、モルドバと改称した。
地誌、世界遺産
住民
ルーマニア側に4,681,555人(2002年)、モルドバ側に3,388,000人 (2004年)が住む。ウクライナ側の住民については信頼できる統計がないが、2001年の人口調査では約1,539,000人。人口は総計で約9,608,600人となる。
都市
世界遺産
文化
参考資料
- 『モルドヴァの教会壁画』(V・ドラグーツ 著 / 中村一夫 訳 / 恒文社 / ISBN 4-7704-0367-4 / 1980年9月)
- 講談社+α文庫『ヨーロッパの世界遺産 5 ロシア・ポーランド・ブルガリア・ルーマニア・マケドニア・北欧』(PPS通信社 写真 / 水村光男 監修 / 講談社 / ISBN 4-06-256833-0 / 2004年10月)
- 『近代ヨーロッパの探究 10 民族』(望田幸男・村岡健次 監修 / 大津留厚ほか 著 / ミネルヴァ書房 / ISBN 4-623-03716-9 / 2003年11月)
関連項目
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