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ベルリンオリンピック

ベルリンオリンピック(Games of the XI Olympiad)は、1936年ドイツベルリンで行われた夏季オリンピック大会。ベルリンは1916年のオリンピック開催都市として一度は予定されていたが、第一次世界大戦によって中止された経緯がある。

概要

ヒトラーのオリンピック

1933年にドイツの政権を奪取し、同国の国民からの支持を背景に当時隆盛を誇っていたアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権が、首都のベルリンでドイツ国家の威信をかけて開催した。この大会をナチスプロパガンダとみる論者もいる。
当時ユダヤ人迫害政策を進めていたナチスは、この大会を開催したいがために、誘致と大会期間に限りユダヤ人に対する迫害政策を緩めた他、ヒトラー自身も、有色人種差別発言、特に黒人に対する差別発言を抑えるなど、国の政策を一時的に変更してまで大会を成功に導こうとした。
その一方、人種差別を抑え切れなかったヒトラーは、黒人のメダリストジェシー・オーエンスを快く考えず握手を拒否したという逸話がある。しかし実際には、ヒトラーは当初勝者全員と握手していたが、走り高跳び競技が長引き、ヒトラーは時間の都合上途中で退席せざるを得なかった。そこでオリンピック委員会が、公平を期すために全ての勝者に握手するかしないかを決めるよう要求したところ、ヒトラーは後者を選んだという。 オーエンスの回想によると、「ヒトラーの席の前を通過する時に、ヒトラーは立ち上がり手を振った。私も手を振りかえした。」というものがあり、ヒトラーは人種偏見を表に出すことを抑制していた。
ヒトラーにとってオリンピックは、「アーリア民族の優秀性」と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会でもあった。大会はヒトラーの思惑通りに進められ、開会式に詰めかけた10万人の観衆らは右手を掲げ「ハイル・ヒトラー!」と唱和、ヒトラー自身がオリンピックの開会宣言をした。

初の聖火リレー

この大会において、宣伝効果を高めることを目的に古代オリンピックの発祥地であるオリンピアで五輪の火を採火し、たいまつで開会式のメインスタジアムまで運ぶ「聖火リレー」が初めて実施された。
聖火リレーのコースは、ギリシャのオリンピアを出発して、ブルガリアユーゴスラビアハンガリーオーストリアチェコスロバキアを経由し、ドイツ国内へ入るというものであった。
なお、ドイツ政府は聖火リレーのルート調査のためにルート途上の各国の道路事情を綿密に調査したが、1939年に勃発した第二次世界大戦においてドイツ軍がこの調査結果を活用したという逸話が残っている。ただし、この説には反論もある。

初のテレビ中継

この大会において、当時まだ多くの国では開発段階であったテレビジョンによる中継が試験的に行われた。試験的とは言え、複数のカメラを使い、会場と会場外を結ぶ本格的なものであった。

記録映画

女性監督で「ナチス党のお抱え監督」と呼ばれたレニ・リーフェンシュタールによる2部作の記録映画オリンピア』が撮影された。1938年ヴェネツィア国際映画祭で金賞を獲得する等、各方面で絶賛されて、不朽の名作とされている。詳細は『オリンピア (映画)』を参照。
本作の成功により、IOCは以後のオリンピック大会において、組織委員会に記録映画の制作を義務づけることになった。

第二次世界大戦前最後の大会

この大会の3年後、1939年9月にドイツによるポーランド侵攻を機に第二次世界大戦が勃発し、第12回東京大会第13回ロンドン大会が中止されたため、この大会が大戦前最後の大会となる。ロンドン大会は1948年に繰り越されて第14回大会として開催されたが、1940年の東京大会は日本側が開催権を返上したために繰り越されず、実に24年後の第18回大会まで開催を待つことになる。

大会ハイライト

  • 前回ロサンゼルス大会に引き続き、平沼亮三が選手団長を務めた。
  • カヌーバスケットボールハンドボールが初めて正式種目となった。特にハンドボールはヒトラーの特別要求によって実施。
  • 8月1日の開会式では、ヒトラーが開会宣言をしている間に、メインスタジアムの10万人の観衆が、ナチス式敬礼(ローマ式敬礼)のように右手を斜め前方に挙げた。またドイツと政治的に緊張状態であったフランスの選手団が、行進の際「右手を斜め横に掲げるオリンピック式」の挨拶をし、これをナチス式の敬礼と見たドイツの観衆の熱狂的な拍手を浴びた。
  • 陸上の10,000メートル、5,000メートルに出場した村社講平は共に4位とメダルはならなかったものの、小柄な村社が大柄なフィンランド選手達を相手に果敢に先行する姿がドイツの観衆達の熱狂的な共感を呼び、日本においてもベルリンオリンピック最初の国民的英雄となった。
  • 女子二百メートル平泳ぎでは前畑秀子が、地元ドイツのゲネンゲルの激しい追い込みを僅差で押さえ、金メダルを獲得した。ラジオ放送での河西三省アナウンサーの「前畑頑張れ」の連呼の実況は、日本の聴衆者に熱狂的な興奮を巻き起こした。
  • 陸上棒高跳びでは西田修平と大江季雄の日本勢が、アメリカ勢との熾烈な争いの末、それぞれ銀・銅メダルを獲得。2人はメダルを半分ずつに割って『友情のメダル』を作成した。(後に、西田修平のメダルは早稲田大学に、大江季雄のメダルは秩父宮記念スポーツ博物館に、それぞれ寄贈された)。
  • サッカーでは初出場の日本チームが優勝候補のスウェーデンを破る歴史的番狂わせを演じ(ベルリンの奇跡)ベスト8に進出した。
  • 前回ロサンゼルス大会の際、ライバル大阪朝日新聞が日本代表応援歌詞を公募して大ヒット曲を生みだしたことに鑑み、大阪毎日新聞は子会社東京日日新聞にも参画させて当大会の応援歌を懸賞公募した。結果、山本塊二の詩が当選。『あげよ日の丸』の曲題を付し、前大会の朝日製応援歌と同じく山田耕筰作曲、中野忠晴の歌唱で日本コロムビアレーベルから発売させた。これに対し朝日は前大会応援歌『走れ大地を』を再発売する奇策で対抗したところこれが大当たりをとり、朝日の大逆転勝利となった。
  • 競技報道においても大毎・大朝の争いは熾烈を極め、国際電話取材、飛行機によるフィルム送付、実験的ながら画像電送機(ファクシミリ)が登場した。

実施競技

主なメダリスト

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各国のメダル獲得数

レコード

  • 『第十一回国際オリムピック大会・ニュースレコード水上競技実況放送』
    • 河西三省アナウンサーによる実況レコード。11万枚という、記録レコードとしては異例の大ヒットとなった。

脚注

参考文献

  • リチャード・マンデル(著)、田島直人(訳)、『ナチ・オリンピック』、ベースボール・マガジン社、1976年
  • ダフ・ハート・ディヴィス(著)、岸本完司(訳)、『ヒトラーへの聖火:ベルリン・オリンピック』、東京書籍、1988年、ISBN 4487761026
  • 沢木耕太郎(著)、『オリンピア:ナチスの森で』、集英社、1998年、ISBN 4087830950
  • 児島襄 『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』(文春文庫)

関連項目

外部リンク

* へるりんおりんひつく 1936

出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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