沿革
当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなど、不評も多かった。シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われる。
当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。その割りに工業製品としての品質は低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。後に
フィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、そもそもエンツォ自身がロードカーの開発に積極的でなかったためか、依然としてどこかに設計上の問題点を抱えていた。カタログ上の性能の向上はもちろん進んでいたのだが、ボディ
剛性、
サスペンションシステム、
ミッドシップにもかかわらず高い重心など、「スポーツカー」としての性能はいまひとつであった。そのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。ただしレース用車両をベースに開発された市販車はその限りではなかったようである。
フィアット傘下へ
1960年代に経営が苦境に陥り、1963年に
フォードから買収を持ちかけられるが買収金額をめぐって交渉は決裂。1969年にイタリア最大の自動車メーカーであるフィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。この買収の決裂を受けてフォードは後に独自のスポーツカー
フォード・GT40を開発し、その資本力に物を言わせて
ル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破り、一矢報いることになる。
フィアットの傘下に入った後、
ディーノ・206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、
フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、
ランチアでは
ストラトスが生まれた。政治的配慮からなのか、このエンジンはキャブ、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同じ仕様で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が馬力的に有利なのにもかかわらず、フィアットの方が馬力が少ない表示となっている。
またその後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。そして市販車部門をフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとしてV型8気筒エンジンを搭載したスモールフェラーリ「
308」シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。308のエンジンはランチアのレーシングマシンや
ランチア・テーマに使用された。これはやがて
328へと発展し、そして、
348へと発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、
F355、
360現在の
F430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。
エンツォ没後、
1991年にフィアットの創業者一族につながり、かつてチーム監督としてレース部門を立て直した
ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロがフェラーリ社長に就任。エンツォ亡き後『エンツォの居ないフェラーリはフェラーリ足り得るか?』とも言われたが、456GT、
F355を開発、劇的な品質の改善に成功し、好調な業績を上げてきている。モンテゼーモロはその手腕を買われ、その傘下に
マセラティを加えて復活させ、さらには苦境に陥った親会社フィアットを率いている。
日本における販売
2008年2月、フェラーリとコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドは輸入権を日本法人フェラーリ・ジャパンに移管することで合意。2008年7月1日からはフェラーリ・ジャパンが輸入業務を開始した。
カヴァッリーノ・ランパンテ
イタリア語で後足で立ち上がった馬の紋章を使用するため、「跳ね馬」の愛称を持つ。この「跳ね馬」はエンツォ・フェラーリの兄アルフレードが
第一次世界大戦時に所属していた
イタリア空軍第91飛行隊のエンブレムであり、エンツォはこの部隊に属していた撃墜王、故
フランチェスコ・バラッカ少佐の母から使用の許可を得てフェラーリの紋章とした、と言われている。しかしながらイタリアの英雄の母親とはいえ、息子の部隊章の使用許可を与える権限などあるはずもなく、エンツォが彼女の思いつきのようなアドバイスを採用したというのが実情らしい。
本来この紋章はバラッカが撃墜したドイツのパイロットが付けていた紋章から取ったもので、高性能・高級スポーツカーブランドとして覇を競った
ポルシェ社の紋章と同じく、ルーツが
シュトゥットガルト市の市章にある。
コーポレートカラー
フェラーリのイメージカラーとして赤が非常に有名であるが、これはイタリアのナショナルカラーである。本来のコーポレート・カラーは会社があるモデナ県のカラー「黄色」で、それを裏付けるかのようにフェラーリの黄色い外板色の名前は「ジャッロ・モーデナ」である。
現在では赤色も暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車のカラーオーダーメイドプランでは、赤色と黄色は原則として取り扱いをしない。また、量産車の新車発表時には、赤色と黄色の車両を用意するように配慮されている。
車種一覧
現行車種
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F430、F430スパイダー - MR・2シーター
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430スクーデリア - MR・2シーター
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599 - FR・2シーター。現フラッグシップモデル。正式名称は599GTB Fioranoだが、日本仕様では"Fiorano"および「フィオラーノ」が株式会社オートバックスセブンが、"GTB"はトヨタ自動車株式会社が登録商標を持つため単に599となった。
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612スカリエッティ - FR・4シーター
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カリフォルニア -(日本導入未定)フェラーリ初のクーペカブリオレである。V型8気筒のFRも初。2008年秋に発売予定。
Image:Ferrari 599 GTB Fiorano.jpg|599
Image:Ferrari 612 Scaglietti Meilenwerk.jpg|612スカリエッティ
Image:Ferrari-F430-DC-1.jpg|F430
Image:Ferrari F430 Spider (2).jpg|F430スパイダー
Image:Ferrari F430 Scuderia.JPG|430スクーデリア
過去の主な車種
- 250GTスパイダーカリフォルニアSWB (1960年)
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250GTベルリネッタSWB (1959年)
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250GTE (1959年)
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250TR (1957年)
- 290MM (1956年)
- 500TR (1956年)
- 625LM (1956年)
- 860モンツァ (1956年)
- 410SAスーパーファスト (1955年)
- 750モンツァ (1954年)
- 375MM (1953年)
- 250MM (1953年)
- 340メキシコ (1952年)
- 225S (1952年)
- 340アメリカ (1951年)
-
212 (1951年)
- 166インター (1949年)
- 166MM (1948年)
- 125S (1947年)
Image:1962 Ferrari 250 GTO 34 2.jpg|250GTO
(1962)
画像:Ferrari 330 gtc.jpg|330GTC
(1966)
Image:Ferrari Dino 246 GTS Spider green.jpg|ディーノ246GTS
(1970)
Image:1972 Ferrari Daytona convertible.jpg|Ferrari Daytona
(1972)
画像:Ferrari-TESTAROSSA-02.jpg|テスタロッサ
(1984)
Image:FerrariGTO.jpg|288GTO
(1984)
Image:FerrariF40.jpg|F40
(1987)
Image:Ferrari F50.jpg|F50
(1995)
コンセプトモデル
- P5
- モデューロ
- レインボー
- P6
- ROSSA
- MYTHOS(ミトス)
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GG50
- ミレキリ(Millechili)
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フェラーリ・F430バイオ・フューエル(Bio Fuel)
関連項目
脚注
外部リンク
- 公式
- その他
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