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フィンランド

フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく)は、北ヨーロッパにある国家北欧諸国のひとつ。首都ヘルシンキ。西にスウェーデン、北にノルウェー、東にロシアと隣接する。

国名

正式名称は、フィンランド語では Suomen tasavalta(スオメン・タサヴァルタ)、通称 Suomiスオミ)。スウェーデン語では Republiken Finland(レプブリケン・フィンランド)、通称 Finlandフィンランド)。公用語はフィンランド語とスウェーデン語。
公式の英語表記は Republic of Finland(リパブリック・オブ・フィンランド)、通称 Finland
日本語の表記は フィンランド共和国、通称 フィンランド。漢字による当て字では芬蘭(古くは芬蘭土とも)と表記し、と略す。

歴史

通常は先史時代(〜1155年)、スウェーデン時代(1155年1809年)、ロシアによる大公国時代(1809年1917年)、独立後の現代(1917年〜)の四つの区分に分かれる。
フィンランドは「フィン人の国」という意味、スオミはフィン人の自称である。スオミの語源については多くの説が提唱されており定説はない。「フィン」についてはタキトゥスが残した「北方に住む貧しいフェンニ人」の記述が最古のものである。「スオミ」については古くはフィンランド南西端、バルト海沿岸にある都市トゥルクを中心とする限られた地域を指す単語であったのが、後に国土全体を指す単語に変容し、そこに住んでいたスオミ族の名が後にフィンランド語の名称になった。トゥルク周辺は現在では「本来のスオミ(Varsinais-Suomi)」と呼ばれている。

概史

現在のフィンランドの土地には、旧石器時代から人が居住した。南には農業や航海を生業とするウラル語族フィン人が居住し、後にトナカイの放牧狩猟をする、同じくウラル語族サーミ人が北方に生活を営むようになった。 400年代にインド・ヨーロッパ語族ノルマン人のスヴェーア人がフィンランド沿岸に移住を開始し、居住域を拡大していった。
1155年にはスウェーデン王エーリク9世は北方十字軍の名のもと、フィンランドを征服し、同時にキリスト教(カトリック)を広めた。1323年までにはスウェーデンによる支配が完了し、正教会ノブゴロド公国との間で国境線が画定したことで、名実ともにスウェーデン領になった。 16世紀の宗教改革でスウェーデンのグスタフ1世ルター派を受け入れたため、フィンランドもルター派が広まることになった。1527年にはアグリコラが聖書翻訳を進めたことでフィンランドは新教国としての性格を決定的にした。 1581年にはフィンランドの独立が模索された結果、フィンランド公国がスウェーデン王国を宗主国とする形で建国が宣言された。
1700年から始まった大北方戦争の結果の1721年ニスタット条約で、フィンランドの一部(カレリア)をロシア帝国に割譲された。 ナポレオン戦争ではスウェーデンの敗北で、1809年アレクサンドル1世フィンランド大公国を建国し、フィンランド大公を兼任することになった。その後スウェーデンが戦勝国となったが、フィンランドはスウェーデンにもどらず、ロシアに留め置かれた。
19世紀の民族主義の高まりはフィンランドにも波及し、「カレワラ」の編纂など独自の歴史の探求が研究された。その一方でロシア帝国によるロシア語の強制などでフィンランド人の不満は高まった。 1899年には、ニコライ2世がフィンランドの自治権を廃止すると宣言したため暴動が発生。ロシア総督ニコライ・ボブリコフ暗殺の惨事にいたり、ついに1905年には「自治権廃止」は撤回された。
1917年にはロシア革命の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は独立を宣言した。1918年に共産化し、オットー・クーシネンらがフィンランド社会主義労働共和国が成立する。その後マンネルヘイムが左翼の反乱を鎮圧し、1919年にはフィンランド共和国憲法が制定された。しかし、独立後の政情は不安定で1921年にスウェーデンと領土問題で争い(オーランド諸島)、さらに1939年から1940年ソ連との冬戦争では国土の10分の1を失った。第二次世界大戦継続戦争)ではソ連と対抗するために枢軸国側に付いて戦い、一時は冬戦争前の領土を回復したが、ソ連軍の反攻によって押し戻され、1944年にソ連と休戦。休戦の条件として国内駐留ドイツ軍を駆逐するために戦った(ラップランド戦争)ものの、敗戦国として終戦を迎えた。
戦後はソ連の勢力下に置かれ、ソ連の意向によりマーシャル・プランを受けられず、北大西洋条約機構にもECにも加盟しなかった。自由民主政体を維持し資本主義経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では社会主義陣営に近かったが、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった(ノルディックバランス)。この微妙な舵取りのもと、現在に至るまで独立と平和を維持した。ソ連崩壊後には西側陣営に接近し、1994年にはEU加盟に合意。2000年にはユーロを導入した。

政治

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国家元首である大統領の任期は6年で、国民の直接選挙によって選ばれる。前回投票は、2006年1月15日に行われたが、どの候補も過半数に満たなかったため、上位2名で1月29日に決選投票が行われ、フィンランド初の女性大統領が僅差ながらも再選を果たした。
議会制民主主義国家であり、議会が国権の最高機関である。政治形態は独立以降、半大統領制の様な状態で大統領には現在より大きな権力があったが、1990年以降になって議院内閣制への移行を目的とした憲法改正が数度行われ、行政権の比重は大統領から首相(内閣)に大きく傾いた。
議会一院制エドゥスクンタ(Eduskunta)と呼ばれる。200議席を15の選挙区に分け、比例代表制選挙で選出する。任期は4年だが、途中で解散される場合もある。前回の投票は、2007年3月18日に行われた。政党別の獲得議席数は、次の通り。
  • 中央党(Kesk)51
  • 国民連合党(Kok)50
  • 社会民主党(SDP)45
  • 左翼同盟(VAS)17
  • 緑の党(VIHR)15
  • キリスト教民主同盟(KD)7
  • スウェーデン人民党(SFP)9
  • その他 6
行政府の長である首相は、副首相や閣僚と共に内閣を構成する。各閣僚は議会に対して責任を負う。首相は、総選挙後に各党代表の交渉結果に従って大統領が首相候補者を指名し、議会で過半数の賛成を得た後、大統領による任命を経て就任する。他の閣僚は、首相の選任に基づき大統領が任命する。
内政面においては先進的な北欧型の福祉国家という印象が強いが、戦後は賠償金などの支払いもあり労働者の権利拡充は後回しされ、労働無きコーポラティズムとして日本に近い社会であった。その後は急速に福祉国家建設へと邁進し北欧型の社会に近づく。
第二次世界大戦後、軍事勢力バランスの上でソビエト連邦の勢力圏に入りながら資本主義体制を維持するというジレンマに置かれたため、外交のみならず国内的にもソビエト批判をタブーとする空気に支配されるという"フィンランド化"状況が続いた。しかしながらその立場を逆用し、東西貿易の窓口として栄え、国民の生活水準は世界一にもなった。現在では北欧理事会を中心とする北欧主義(Nordicism)、EUを中心とする欧州への参加、国連を中心とする世界秩序の構築が国是となっている。
また、世界で最も政治家による汚職の少ない国のひとつとも評価されている。2008年の民間活動団体「トランスペアレンシー・インターナショナル」による政治の「清潔度」調査では、前年の1位(世界で最も汚職が少ない)から5位に転落した。
狩猟の文化があるため、米国などに次いで家庭へのピストルなどのの普及率が世界第三位である。このため銃乱射事件などが起きるたびに銃規制の強化が検討されているが、政治的な決着は見られていない。

軍事

三軍の他に国境警備隊(3,000人)があり、内務省の指揮下にあるが、有事の際には軍隊に統合される。
徴兵制 。18歳以上の男子に対してのみ強制されており兵役の期間は6〜12ヵ月。女子は志願制、エホバの証人(宗教法人)は免除されている。兵役期間は6〜12ヵ月。なお100人あたりの小型武器の所有率は、2007年においてアメリカ合衆国イエメンに次いで世界第三位である。詳細は、フィンランドの銃規制を参照。
冷戦時代には、ソ連製のMiG-21戦闘機AKライフルT-54/55およびT-72戦車と中立国のスウェーデンサーブ 35 ドラケン戦闘機などを有していた。冷戦後は西側からの調達が主となり、アメリカ製F-18(攻撃任務には使用しないためAが付かない)戦闘機、ドイツ製レオパルド2戦車を装備している。
冷戦期に中曽根首相(当時)が「国防努力を怠ればフィンランドのようになる」とフィンランド化について言及した発言を国会でおこない、当時の駐日フィンランド大使が遺憾の意を表明した。

地方行政区画

フィンランドは、6つの (lääni) に区分される。ラッピ州とオーランド自治州以外の州はさらにいくつかの (maakunta) に分かれ、全部で20の県がある。
  1. 南スオミ州 (Etelä-Suomen lääni)
  2. 西スオミ州 (Länsi-Suomen lääni)
  3. 東スオミ州 (Itä-Suomen lääni)
  4. オウル州 (Oulun lääni)
  5. ラッピ州 (Lapin lääni)
  6. オーランド自治州 (Ålands län; Ahvenanmaan lääni)

地理

北側はノルウェー、西側はスウェーデンと国境を接する。西はボスニア湾、南西はバルト海、南はフィンランド湾に面する。ボスニア湾の対岸はスウェーデン、フィンランド湾の対岸はエストニアである。東から南東にかけてはロシアと陸上で国境を接する。なお、スカンジナビア半島には含まれない。 国土の大半は平坦な地形で、氷河に削られて形成されたが無数に点在する。 植生はタイガ地衣類が多い。また森林には粘菌が多様に生息する。 首都ヘルシンキは国の最南部に位置し、フィンランド湾に面する。国土の大半が寒冷な気候であることから、ヘルシンキを始めとする規模の大きな都市はその多くが国の南部に偏在している。
フィンランドにある大きめの湖は以下の通り。

経済

人口とGDPが日本の北海道とほぼ同じフィンランドは、1980年代以降、農業林業中心の経済体制から、携帯電話の生産量が世界1位になるなどのハイテク産業を基幹とする工業先進国へと著しい変化を遂げることに成功した。特に、日本の江戸時代からある老舗企業のノキア(NOKIA)やLinuxが有名である。高い教育水準なども影響した結果、ヨーロッパ内でも有数の経済大国となった。世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表する国際経済競争力の順位では、2001年から2004年までと4年連続首位となった(2002年は一旦、2位と発表されたがその後の再評価で1位に修正された)。
ナショナル・フラッグ・キャリアフィンランド航空だが、政府は既に株式の半数以上を売却している。
女性の労働力化は進んでおり、特に法律家・医師は女性が半数を占めている。企業で高い地位を占める女性も増えているが、男性に比べるとまだ少ない。女性は男性に比べ正社員として雇用されにくい傾向があり、若い世代の女性で契約期間付き雇用が多い(20代女性の4割が派遣社員)。タイムバンクという制度があり、多忙な時期に残業して、暇な時期に余計に休める。残業をして給与が増えても税金で持っていかれてしまうため、この制度はよく利用されている。1994年に16.6%まで上昇した失業率は不況からの脱却とともに毎年改善を続け、2006年には7.7%まで下がった。

国民

宗教は、福音ルーテル教会が89%、正教会が1%、無宗教9%。福音ルーテル派は国教であり、政府が国民から直接税の形で集めた「教会税」によって資金的援助を受けている。しかし、近年では国民の信仰心の低下や、政教分離の意見の高まりなどから、教会への支援は世論からの支持を受けなくなる傾向にあり、それにともない「教会税」も毎年、減少傾向にある。
使用されている言語は、フィンランド語が93.4%、スウェーデン語が5.9%で、この2つが公用語である。1919年に制定された。サーミ人は、サーミ語を使用し、1970年代にその地位は向上した。1999年の憲法改正により、準公用語と明記された。同時にロマ人その他の少数民族に対する配慮も加えられている。また、ロシア語を母語とするロシアからのいわゆる帰還者は最近増加しつつある。スウェーデン語は、すでにフィンランドに根を下ろしており、少数派とは言え、経済界、産業界で影響力を持ち、政界にも主要政党を持っているため、公用語問題は歴史的な問題であった。これに対しロシア語は1世紀にわたり支配社会の上層部にのみ影響をあたえただけで、庶民に浸透することはなかった。
特徴的な事柄を挙げるとすれば、男女同権思想がある。生産性の低い土地に住んでいたためか、農業時代から女性も男性と同じくらい働き、発言権を持っていたという。フィンランドで普通選挙法が導入されたとき、ヨーロッパ初の女性参政権も当然のように付属していたのはフィンランドならではといえよう。今も女性の社会進出は世界最高レベルであるが、アファーマティヴ・アクション制やクォーター制のようなフェミニズムプログラム無しで達成している。現在、フィンランドの国会議員は定数の3分の1以上に当たる76人の女性議員がいる。しかし、一方で兵役は男子のみの義務である(女子は志願制)。
また、俗説としてフィンランド人は「恥ずかしがりや」であり、サウナの様に集団で集まりやすい場を大切にし、顔を会わせずに会話の出来る電話や携帯電話の普及速度が速かったと言われる。ヨーロッパで「フィンランド人は無口で、話す時は独特の抑揚のない言語で不機嫌そうにしゃべる」というステレオタイプの印象が元になったと考えられる。<!--
(注意) フィンランド人のモンゴロイド起源説は、今日では俗説という考えが一般的である。かつてそういう認識があったのは、彼らがウラル・アルタイ語族に属すると考えられていたこと、またハンガリー人・フィンランド人が中央アジア地域の出身とされていたためである。しかし、現在ではウラル語族アルタイ諸語は全く別の系統と考えられていること、及びアジア人と云われる人々には、アラブ人・インド人をはじめ人種分類上はコーカソイドに含まれている民族が多いこと等から、フィンランド人はコーカソイド系と考えるのが現在の通説である。 また近年のDNA分析により、フィンランド人はミトコンドリアDNA(母系)ではコーカソイド系であることが証明されている。
1. 北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子: 日本人 44%, ハンガリー人 2%, フィン人 0%
下戸遺伝子とは、アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)の487番目のアミノ酸を決める塩基配列がグアニンからアデニンに変化したものでモンゴロイド特有の遺伝子である。この遺伝子マーカーはモンゴロイドの祖先であるコーカソイド(白人)・ネグロイド(黒人)、及びオーストラロイド (オーストラリア原住民等) には存在しない。

教育

学校教育ではフィンランド語スウェーデン語が必修であり(ただしオーランド諸島ではフィンランド語は必修ではない)、さらに英語やその他の言語の教育が行われている。本土のスウェーデン系国民は幼いころからテレビなどを通じて自然にフィンランド語を習得することが多いが、フィンランド系国民はスウェーデン語習得機会に乏しく、一部国民から「スウェーデン語必修」に反発がある。フィンランドの大学はすべて国立で、受験戦争はフランスや日本ほど厳しくはない。しかし、フィンランドの教育水準は世界トップで、教育における「フィンランドモデル」が注目を集めている。生徒は競争による相対評価ではなく、達成度によって評価される。
ユネスコの定義による高等教育機関(大学およびその他すべての高等教育機関・課程)の進学率は世界第二位の87パーセントである。(2004年度)この年の世界第一位は大韓民国の89パーセントであったが前年度は世界第一位であった。2004年度に行われたOECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)は日本や韓国、香港などの教育熱の高い国や欧米先進国を抑えて学力世界一を誇っている(ただし、OECDの調査自体には多くの問題点が指摘されている)。PISAは(1)読解力(2)数学リテラシー(3)科学リテラシーという三分野のみの調査を57カ国に対して行ったものである。
フィンランドの学校は週休二日制であり、教師は大学院卒が基本、授業時間も日本よりかなり少なく、また「総合的な学習」に相当する時間も日本より多い。近年、日本で批判されている「ゆとり教育」に近い内容という特徴があるが、教育内容や教授方法への教育行政の指示が少なく、分権化が進んでいること、成績下位者への支援態勢が特に手厚いこと、義務教育にも留年制度があること、小学校から大学まで多くの学校で学費が無料であることなどの違いがある。
ただし、問題も多く指摘されている。2007年11月、2008年09月と短期間に連続して10人以上の犠牲者が出る学校内銃撃事件が発生、世界に衝撃を与えた。この事件に関連して、フィンランドの新聞ヘルシンギン・サノマット9月24日の社説はこの問題に言及し、フィンランドの学校での暴力の発生率は西側諸国でトップであると報道した。

文化

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音楽

フィンランド人の音楽界での活躍は目覚しく、人口に比しても世界的な音楽家を数多く輩出している。
フィンランドの音楽と言えばジャン・シベリウスが世界的に有名であり、国民的英雄ともなっている。フィンランドでは、彼の交響詩「フィンランディア」の「フィンランディア賛歌」と呼ばれるメロディに詩人であるコスケンニエミが歌詞をつけたものが第2の国歌として深く親しまれている。
彼以後にもアーッレ・メリカント(1893-1958)、レーヴィ・マデトヤ(1887-1947)が現れ、国際的評価を得た。
その後も、カイヤ・サーリアホマグヌス・リンドベルイなどの作曲家が世界的な評価を得ているし、オペラ作品もエイノユハニ・ラウタヴァーラ、ヨーナス・コッコネン、アウリス・サッリネンなどの逸材が制作、上演に積極的である。21世紀に入っても、人材確保の為に政府が若手作曲家を必要以上に庇護する政策を取っており、やや現在の若手作曲家がこれに甘えているという批判も見られる。
クラシックの指揮者では、オッコ・カムレイフ・セーゲルスタムオスモ・ヴァンスカエサ=ペッカ・サロネンユッカ=ペッカ・サラステミッコ・フランク、オペラ歌手のマッティ・サルミネン、ヨルマ・ヒュンニネン、モニカ・グロープ、カリタ・マッティラ、ピアニストのオッリ・ムストネン、バイオリンのクーシスト兄弟などがそうである。
また毎年夏に開催されるサヴォンリンナ・オペラ・フェスティバルは湖上の城で開催されるフィンランド夏の風物詩である。また、フィンランド国立オペラなども世界的評価を得て国内外での活動が活発である。野外コンサートや教会での演奏会が盛んでクフモ室内楽音楽祭、ナーンタリ、トゥルクの各音楽祭などでは、地元の教会や自然に囲まれた場所での演奏が行われている。
クラシック音楽のみならずジャズポップロックなどのポピュラー音楽でもフィンランド人アーティストは世界的に活躍している。ハノイ・ロックスは1980年代に人気を博したし、HIMナイトウィッシュザ・ラスマスローディチルドレン・オブ・ボドムコルピクラーニといったバンドは欧米のみならず日本にも活躍の場を広げた。特にロックはフィンランドにおいて大きな人気を得ると同時にレベルも高く、“フィニッシュ・ロック Finnish rock”として国際的な評価は高い。
他にもテクノ・バンドのボムファンクMC、ワールドミュージック分野でのヴァルッティナ、アコーディオンのキンモ・ポホヨイネンといったアーティストもヨーロッパでは人気を得ている。
最近では、エアギター世界選手権が行われた。

秀逸なデザイン・テキスタイル

スポーツ

フィンランドにおいてサッカーは他の欧州諸国とは違い、 最も人気を集めるスポーツではない。そのため弱小国の一つにすぎなかった。ただ近年は着実に力をつけており最も直近の北欧選手権では初優勝を果たしている。個人ではヤリ・リトマネンサミ・ヒーピアなどがスペイン、イングランドのトップクラブに所属するなどし、近年は欧州でも中堅の地位を堅めつつある。
国民の関心ではサッカーよりもアイスホッケーが人気である。トリノオリンピックではサク・コイブらの活躍で銀メダルを獲得している。また1995年の世界選手権で優勝している。
野球をサッカー場や陸上競技場でもできるように改良されたペサパッロ(フィンランド野球)は国技である。
また、北国なのでウィンタースポーツも盛んである。スキーではオリンピックなどで多くの選手が活躍。ジャンプ競技ではマッティ・ニッカネンヤンネ・アホネンなどの英雄を輩出。ノルディックコンバインドではサンパ・ラユネンハンヌ・マンニネンが英雄である。また最近ではスノーボードも人気が出てきた。アイスホッケーNHLにプロ選手を送り出すほどの選手層の厚さを誇る。トリノオリンピックでは歴史的に因縁あるスウェーデンと初の北欧対決を繰り広げ、惜敗。銀メダルを獲得している。 またフィギュアスケートでは、特に女子において近年世界トップレベルの選手が育ってきている。
注目すべきはモータースポーツの分野で、F1では、ケケ・ロズベルグJ.J.レートミカ・ハッキネンミカ・サロキミ・ライコネンヘイキ・コバライネンWRCでは、アリ・バタネンヘンリ・トイボネン、ティモ・サロネン、ユハ・カンクネントミ・マキネンマーカス・グロンホルムミッコ・ヒルボネン、ヤリ・マティ・ラトバラなどの優れたドライバーを何人も輩出しており、世界チャンピオンも少なくない。このように速いドライバーの事を「フライング・フィン」と呼ぶほどである。このフライング・フィンは、陸上競技の長距離種目で活躍したハンネス・コーレマイネンパーヴォ・ヌルミを称したのが始まりであるが、さまざまなスポーツの選手でこの愛称が使われている。最近では、F1の2007年世界チャンピオンにキミ・ライコネンが輝いた。

世界遺産

フィンランド国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件ある。詳細はフィンランドの世界遺産を参照。

奇妙な世界大会

どこの国にも地域おこしを兼ねた祭り的イベントは数多くあるが、フィンランドは名物やゆかりの行事などを競技化した奇妙な大会をいくつも開催している。何でもかんでも「世界選手権」を銘打ち、実際世界的に有名で各国から参加者が訪れる大会もある。 ・スタイル]]

祝祭日

著名なフィンランド人

フィンランド人の一覧スウェーデン系フィンランド人の一覧も参照。行頭の順位付けは、もっとも偉大なフィンランド人ランキングでの順位。
政治
文化
スポーツ

関連項目

脚注

外部リンク

*

出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.


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