国土の大部分はなだらかな丘陵で、
ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる。首都
ブダペストには
ロンドンに次いで世界で2番目に
地下鉄が開通した。
国名
正式名称はハンガリー語で Magyar Köztársaság(マジャル・ケスタールシャシャーグ)。通称 Magyarország(マジャルオルサーグ)。
公式の英語表記は Republic of Hungary、通称 Hungary。
日本語の表記は
ハンガリー共和国、通称
ハンガリー。漢字表記では
洪牙利で、
洪と略される。中国語では、ハンガリーの
フン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる
匈奴から、
匈牙利と表記するようになった。
ハンガリー語において、ハンガリー人もしくはハンガリーを指す
Magyar は日本では「マジャール」と表記されることが多いが、これはおそらく英語の発音に基いた表記である。
ハンガリー語は母音の長短をはっきり区別する特性をもち、Magyar の語は全て短母音なので、ハンガリー語の発音に倣うならば「マジャル」という表記がもっとも近くなる。
歴史上では、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「
マジャル人」という表現が用いられることがある。
「ハンガリー」は俗説にあるような「
フン族」が語源ではなく、ドイツ語Ungarn、ギリシャ語Oungroiに見られるように元々は語頭のhがなかった。語源として一般に認められているのは、7世紀のチュルク系のOnogurという部族結合を表す語である。
歴史
ハンガリーの国土は
ハンガリー平原と言われる広大な平原を中心としており、古来より様々な民族が侵入し、定着してきた。
古代には
パンノニアと呼ばれ、パンノニア族などが住んでいた。紀元前1世紀には
ローマに占領され、属州イリュリクムに編入。1世紀中頃属州パンノニアに分離された。4世紀後半には
フン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、
フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。
フン族はその後アキラ(日本では一般的に
アッティラ)の時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に納めたが、アキラが40歳で死亡した後、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に
6世紀には
アヴァール人の侵入を許す。その後、
8世紀にはアヴァールを倒した
フランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、
9世紀にはウラル山脈を起源とする
マジャル人が移住してきた。
オスマン帝国が軍事的に後退すると、
1699年の
カルロヴィッツ条約でハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲された。ハンガリーにとっては支配者がハプスブルク家に変わっただけであり、たびたび独立を求める運動が繰り返された。
1848年の
3月革命では、
コッシュート・ラヨシュが指導した独立運動こそ
ロシア帝国軍の介入により失敗したが、オーストリアに民族独立運動を抑えるための妥協を決断させ、
1867年に
アウスグライヒ(和協)が結ばれた。これにより、ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨するが、両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合する
オーストリア・ハンガリー帝国となった。
オーストリア・ハンガリー二重帝国の体制下、
資本主義経済が発展し、
ナショナリズムが高揚したが、
第一次世界大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離された。
1918年にハンガリー初の共和制国家であるハンガリー民主共和国が成立し、社会民主党系のミハーイ・カーロイが初代大統領及び首相を務める。さらに共産党との連立によってハンガリー・ソヴィエト共和国と化したが、ルーマニアの介入で打倒される。
1920年に結ばれた
トリアノン条約により、ハンガリーはトランシルヴァニアなど二重帝国時代の王国領のうち、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。
戦後のハンガリーは、ソ連の影響下のもと共産主義国として再出発し、
1949年にハンガリー人民共和国が成立。
冷戦体制の中で東側の共産圏に属した。しかしソ連に対する反発も根強く、
1956年には
ハンガリー動乱が起こるが、ソ連に鎮圧された。
政治
ハンガリーは
議院内閣制を取り、
大統領は任期5年で
議会によって選ばれるが、首相を任命するなど、儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な
元首である。実権は
首相にあり、自ら
閣僚を選んで行政を行う。
立法府の議会 (Országgyűlés) は
一院制、民選で、任期は4年、定員は386人である。議会は国家の最高権威機関であり、全ての法は議会の承認を経なければ成立しない。
主な政党
地方行政区分
ハンガリーは40の地方行政区分に区分される。うち19は郡とも県とも訳されるメジェ (megye) で、20はメジェと同格の市という行政単位(正確には都市郡; megyei város)。なお、首都のブダペスト市はいずれにも属さない、独立した自治体である。
地理
ハンガリーの国土は
カルパティア山脈の麓に広がるカルパート盆地のうちの平野部をなす。
ハンガリー平原またはハンガリー盆地と呼ばれる国土の中心は、中央を流れる
ドナウ川によってほぼ二分され、東には大きな支流の
ティサ川も流れている。国土の西部には
ヨーロッパでも有数の大湖である
バラトン湖がある。また各地に
温泉が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されてきた。ヨーロッパ有数の
「温泉大国」であり、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる。
トランシルヴァニア地方など、
ルーマニアとの国境係争地帯を持っている。
大陸性気候に属する気候は比較的穏やかで、
四季もある。
緯度が比較的高く、冬は冷え込むが、
地中海から海洋性気候の影響を受け、冬も湿潤で、曇りがちである。年間平均気温は10度前後。
Image:DonauknieVisegrad.jpg|ドナウ川
Image:HungarianGreyCattle3.jpg|
Image:Hortobagy-ziehbrunnen.jpg|
Image:Transdanubia5.jpg|
Image:Kekesteto1.JPG|ケレシュ山
Image:Balatonhungary6.jpg|
Image:Diosgyorvar.jpg|
経済
ハンガリーは
1989年の体制転換以来、外国資本を受け入れて積極的に経済の開放を進めた。その結果、
1997年以降年間4%以上の高成長を続けるとともに、2004年には経済の民間部門が
国内総生産 (GDP) の80%以上を占め、「旧東欧の優等生」と呼ばれるほどであった。2004年のEU加盟は、当時のハンガリー経済にとって追い風になった。
しかしその後、
インフレーションと
失業率が増加して貧富の差が広がり、社会問題として常態化した。また巨額の財政赤字も重要な課題であり、現政権が目標とするユーロ導入への見通しは立っていない。
工業
第二次世界大戦前のハンガリーは肥沃な土壌と計画的な灌漑設備により、農業国として成立していた。そのため、食品工業を中心とした軽工業が盛んであった。第二次世界大戦後、社会主義下の計画経済によって重工業化が進められた。特に、車両生産、一般機械が優先され、化学工業、薬品工業がそれに次いだ。しかし、有機鉱物資源とボーキサイトを除くと、工業原材料には恵まれておらず、輸入原材料を加工し、輸出するという形を取った。1970年代には工業を中心とする貿易が国民所得の40%を占めるまで成長した。
共産主義体制から資本主義体制に転換後、1990年代初頭においては、化学工業の比重が次第に大きくなっていく傾向にあった。2003年時点では、全産業に占める工業の割合がさらに高まっており、輸出額の86.8%を工業製品が占めるに至った。さらに貿易依存度は輸出54.5%、輸入59.2%まで上がっている。品目別では機械工業が再び盛んになっており、輸出に占める比率は電気機械36.1%、機械類16.2%、自動車8.2%というものである。世界シェアに占める比率が高い工業製品は、ワイン(1.7%、49万トン)、
硝酸(1.5%、31万トン)である。
鉱業
ハンガリーの
鉱業は、燃料に利用できる亜炭と
ボーキサイトが中核となっている。有機鉱物資源では、世界シェアの1.5%を占める亜炭(1391万トン、2002年)、原油(107万トン)、天然ガス(115千兆ジュール)を採掘する。有力な炭田は南東部ベーチ近郊、首都ブダペストの西方50kmに位置するタタバーニャ近郊の2カ所に広がる。油田は中央南部セゲド近郊と、スロベニア、クロアチア国境に接する位置にある。
金属鉱物資源ではボーキサイト(100万トン)が有力。バラトン湖北岸からブダペストに向かって北東に延びる山地沿いで採掘されている。ただし、採掘量は減少傾向にある(1991年には203.7万トンが採掘されていた)。この他、小規模ながら
マンガンと
ウランの採掘も見られる。
ハンガリーの通貨単位の変遷
国民
ハンガリーとその周辺は、独特の豊かな
文化をもった様々な
民族が居住していることが
19世紀以来よく知られている。
その他の民族では、有意の人口を有する
ロマ(ジプシー)と
ドイツ人が居住する。ハンガリーのロマは個性的な民族文化で知られる。また、ドイツ人は東方植民地運動の一環としてハンガリー王国に移り住んできた人々の子孫で、
トランシルヴァニアのサース人(
ザクセン人)や
スロヴァキアのツィプス・ドイツ人のようにハンガリー王国の中で独自の民族共同体を築いた人々もいる。
ハンガリー人が黄色人種であるという説は、
アジア及び
アジア人の定義が曖昧であること、また、過去の
人種の定義が現在とは多少異なることからくる誤謬であると言える。
近年のDNA分析の成果から、ハンガリー人は
モンゴロイド(黄色人種)と
コーカソイド(白人)とが混血した民族であることが証明されている『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523) より。北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子 日本人 44% ハンガリー人 2% フィン人 0%
文化
音楽
ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化を持ち、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団(ロマなど)を担い手とする
民族音楽は有名である。
文学
科学
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ハンガリーは歴史的に多数の科学者を輩出している。人口比での
ノーベル賞受賞者数はトップクラスである。ナチスの迫害から逃れる為、米国に亡命した科学者はコンピュータの開発や核開発で活躍した。ハンガリーは優れた数学教育で有名であるが、未だ
フィールズ賞受賞者は輩出していない。有名な数学者には
エルデーシュ・パールや
フランクル・ペーテルらがいる。
ハンガリー人は様々な分野で後世に影響を与える独創的な発明をしている。
ハンガリー人の発明には
ルビク・エルネーによる
ルービックキューブやブローディ・イムレによるクリプトン電球等がある。
ハンガリー出身の科学者は核兵器やコンピュータの開発に貢献した。ナイマン・ヤーノシュ(
ジョン・フォン・ノイマン)はコンピュータの開発に貢献した。ケメーニィ・ヤーノシュは米国人
計算機科学者のトーマス・E・カーツと共に
BASICを開発した。
温泉文化
は1550年に建設された温泉である]]
ハンガリーでは温泉が湧き出す。温泉文化が古くから伝わっている。ハンガリーの温泉文化は多様である。基本は建築様式にある。ハンガリーの温泉は古代ローマやギリシャトルコや北方の建築様式の影響を受けている。
地政学的に見た場合、良い水質、水量の温泉産出は80%以上ハンガリー国内である。古代ローマ時代、ハンガリーに最初の温泉浴場が建設された。当時の浴場をオーブダ(ブダペストの地区の一つ)に見る事ができる。
ハンガリーで温泉は約1500見つかっている。そのうち約、半分が入浴に用いられている。
ブダペストにおける温泉文化は2000年近くある。ブダペストは世界中で最も温泉に恵まれた首都である。1日あたり200万の浴槽に相当する温水が消費される。
ハンガリーには約450の公衆浴場がある。近年では時代に合わせて運営者達は近代化し、サービス向上に努めている。これらの温泉には様々な効果がある。ハンガリーにおいて入浴と温泉の観光事業は歴史的に見ていつも重要な場面を演じてきた。
- 温水湖ヘーヴィーズ
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温水湖であるヘーヴィーズ湖は世界中で最も生命多様性の高い自然温水湖である。ハンガリーにおいて最も古くから知られており、
古代ローマ時代の記録に遡り、2000年の歴史がある。4.4ヘクタール、水深38m、泉質は硫黄、
ラジウム、カルシウム、マグネシウム等のミネラルを含む。泉からは大量に湧き出し、48時間で水が入れ替わる。水温は冬は23〜25℃、夏は33〜36℃である。
食文化
世界遺産
ハンガリー国内には
ユネスコの
世界遺産リストに登録された文化遺産が6件ある。オーストリアにまたがって1件の文化遺産が、スロバキアにまたがって1件の自然遺産が登録されている。詳細は
ハンガリーの世界遺産を参照。
祝祭日
スポーツ
脚注
参考文献
関連項目
一覧
外部リンク
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