歴史的には
中欧の概念ができた時点から中欧の国であった。ソ連の侵攻後、政治的には
東欧に分類されてきた。ヨーロッパ共産圏の消滅後、再び
中欧または
中東欧に分類される。国土は東西に細長い六角形をしており、北は
ポーランド、東は
スロバキア、南は
オーストリア、西は
ドイツと国境を接する。
国名
正式名称(
チェコ語)は
Česká republika(チェスカー・レプブリカ:チェコ共和国)。通称は、
Česko(
チェスコ)、または
Čechy(
チェヒ)。
英語での公式名称及び通称は
Czech Republic(チェク・リパブリック)。チェコ
外務省が1993年に提唱した通称に、
ラテン語風の
Czechia があるが、現在一般的に使われているとは言い難い。
日本語では
チェコ共和国(日本国外務省統一表記)。通称、
チェコ。かつての外務省書類等では
チェッコという表記が使用された。なお、「チェッコ」という場合は、
日中戦争期のチェコスロバキア製
軽機関銃を指すこともある(→
ブルーノZB26軽機関銃)。
かつて一つの国家であった「チェコスロバキア」の英語での綴りは
Czechoslovakia である。これは1918年の建国時に
チェコ民族と
スロバキア民族による一つの国家として建国されたものであるが、日本では「チェコスロバキア」の短縮形として単に「チェコ」を使う場面もみられた。
チェコ共和国の国境が現在のようになったのは1993年になってのことである。
プラハを中心とした“Čechy”(チェヒ・ラテン名「
ボヘミア」)、ブルノを中心とした“Morava”(ラテン名・
モラヴィア)、さらにポーランド国境近くの“Slezsko”(
シレジア)の3つの地方がチェコ共和国を形成している。
ボヘミア地方を示す「Čechy」(チェヒ)を
チェコスロバキア建国の命名に採用しているが、もちろん国家にはモラヴィアもシレジアも入る。歴史的に、チェコ語におけるČechy、および英語のCzechでは、「ボヘミア地方」のみを指す文献もある。
そのため、チェコ共和国という国家としての表現を必要とする場合、「チェコ共和国」「Czech republic」「Česká republika」を用いるのが正確であり、世界的には一般的な考え方である。
現在、チェコ共和国内のメディアなどで見かける「Česko」は、チェコスロバキア時代の通称「Československo」から、形式上チェコにあたる部分を切り離した呼び名であり、チェコ共和国を指す。だが、新しい呼称のため、定着したといえるのは最近であり、公の場や正式な文章では用いられない。
歴史
第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、
民族自決の理念のもと
チェコスロヴァキア共和国の独立が宣言され、初代大統領には
トマーシュ・マサリクが就任した。このときにボヘミア、モラヴィア、ハンガリーの一部であったスロバキアが領土となった。マサリク政権では西欧的民主主義が布かれたが、チェコスロバキアにおいてはチェコ人が社会のほぼ全てを支配し、スロバキア人と対立した。そのためスロバキア人は親ドイツの立場をとった。チェコスロバキアとして行った外交においては国内の状況がチェコ人支配だったため反共・反ドイツの立場を取った。
1935年から
ナチス・ドイツの圧迫が強まると、
1938年に
ミュンヘン会談で
ズデーテン地方をドイツに割譲し、
1939年にはボヘミアとモラヴィアは保護領としてドイツに編入され、反チェコ・親ドイツ派の多かったスロバキアはドイツの
保護国となって、チェコスロバキアは地図から姿を消した。
第二次世界大戦後にチェコスロバキア共和国は復活した。
1946年、1940年から1945年まで
エドヴァルド・ベネシュによって布告されていた一連の法案(いわゆる「ベネシュ布告」)が臨時連邦政府委員会によって可決承認され、これにより
ズデーテンに多く住んでいたドイツ人やスロバキアに多く住んでいた
ハンガリー人のほとんど全てが財産を奪われた上チェコスロバキアから追放された(この「ベネシュ布告」は現在のチェコおよびスロバキアにおいても有効であり、どちらの国でも撤回されていない。
1946年までチェコに領地を持っていた
リヒテンシュタイン侯国はこれを法律による重大な
人権侵害だとして、2008年現在でもチェコ共和国とスロバキア共和国を国家として承認するのを断固拒否している)。
1946年の選挙で第一党となっていた共産党が
ソ連からの影響力なども背景に
1948年に
共産主義政権を設立し、「人民共和国」となった。
1960年には「社会主義共和国」に改名した。しかし
スターリン的抑圧に対する不満が爆発して
ノヴォトニー政権は倒された。スロバキア人の
ドプチェク率いる政権が誕生し、「
プラハの春」と呼ばれる自由化・民主化路線が布かれたが、これに対して
ソ連を含む
ワルシャワ条約機構5カ国の軍が介入、チェコ人の
フサーク政権が樹立され、国内の
秘密警察網が整備強化されて国民同士の監視と秘密警察への密告が奨励され、
旧東ドイツと並んで東欧で最悪の
警察国家となった。人々は相互不信に陥り、
プロテスタント教会では信者や聖職者の間での密告が頻発した結果として教会組織が自ら消滅していき、信者は宗教不信から
無神論者になっていった。フサーク政権は思想的な締め付けを強めた一方、個人の経済活動をある程度の規模までは黙認し、この「地下経済」によって国内の
消費財の生産は活発化した。
政治
- 大統領
- 首相
-
政党
- 社会民主党(ČSSD)
- 市民民主党(ODS)
- ボヘミア・モラヴィア共産党(KSČM)
- キリスト教民主連合-人民党(KDU-ČSL)
- 自由連合-民主連合(US-DEU)
- 市民民主同盟(ODA)
- 緑の党(Strana Zelených)
地方行政区分と自治体
チェコの地方行政区画は
2000年に再編され、首都プラハおよび13の県(クライ)に区分されている。
チェコの県
都市、村、観光スポット
| ブランディース・ナド・ラベム |
Brandýs nad Labem |
Brandeis an der Elbe |
ユダヤ人街 |
|
ブジェゾヴァー
|
Březová |
Pirkenhammer |
陶器ブランド |
<tr><td>ツィーノヴェツ(ツィンヴァルト)</td>
<td>Cínovec</td>
<td>Zinnwald(-Georgenfeld)</td>
<td>
http://mapmachine.nationalgeographic.com/mapmachine/viewandcustomize.html?task=getMap&themeId=100&topten=100,110,102,115&place=Zinnwald&iplace=Zinnwald%2C%20Germany&sext=13.691666,50.658334,13.841666,50.808334&splace=Zinnwald%2C%20Germany&iext=13.691666,50.658334,13.841666,50.808334&ext=13.691666,50.658334,13.841666,50.808334;
http://www.calle.com/world/EZ/0/Cinovec.html;
チンワルド雲母(zinnwaldite)の産地。</td></tr>
チェスキー・クルムロフ(ベーミッシュ・クルーマウ)
Krumau世界遺産。近郊にホルニー・プラナー(Horní Planá)がある
| ドマジュリツェ |
Domažlice |
Taus |
ドマジュリツェの戦い(1631年、フス戦争) |
| ドヴール・クラーロヴェー(ラベ河畔の) |
Dvůr Králové nad Labem |
Königinhof |
ホドニーン
Hodonín
Göding
| ホレショフ |
Holešov |
Holleschau |
ユダヤ人街 |
|
フラニツェ
|
Hranice |
Mährisch-Weißkirchen |
ユダヤ人街 |
|
ホドフ(ホーダウ) |
Chodov | Chodau | 陶器ブランド |
| イヴァンチツェ |
Ivančice |
Eibenschütz, Eibenschitz |
ユダヤ人街がある。グイード・アードラー、アルフォンス・ムハらの生地。 |
ヤーヒモフ (ザンクト・ヨアヒムスタール) |
Jáchymov | Sankt Joachimsthal |
トレル(ドルの語源)貨幣鋳造 |
| ヤンコフ(ヤンカウ) |
Jankov |
Jankau |
ヤンカウの戦い |
| カルルシュテイン |
Karlštejn |
Karlstein |
カルルシュテイン城 |
クルノフ(イェーゲルンドルフ)
Krnov
Jägerndorf
かつて一侯国。クルノフ・
シナゴーグ(Krnovská synagoga)など。
| クロムニェジーシュ |
Kroměříž |
Kremsier | 世界遺産 |
|
クトナー・ホラ(クッテンベルク) |
Kutná Hora |
Kuttenberg |
銀鉱、グロシュ 銀貨鋳造 |
レドニツェ
Lednice
Eisgrub
世界遺産
リベレツ(ライヒェンベルク)
Liberec
Reichenberg
| リジツェ(リヂツェ) |
Lidice |
Liditz |
ナチス・ドイツによる虐殺 |
| リトムニェジツェ |
Litoměřice |
Leitmeritz |
<tr><td>
ミクロフ(
ニコルスブルク)</td>
<td>Mikulov</td>
<td>Nikolsburg</td>
<td>ニコルスブルク和約、ユダヤ人街。<br/>近郊に、レドニツェ&
ヴァルチツェがある。</td></tr>
| ナーホト |
Náchod |
Nachod | ナーホトの戦い |
地理
経済
20世紀初頭には世界有数の工業国家に。1980年代から西側企業の進出が相次いでおり、
ビロード革命等の混乱はあったが、
1994年には成長率がプラスに転じ、旧東欧諸国の中では
スロベニアや
ハンガリー等と並んで高い水準を維持している。
伝統産業
深刻な問題
チェコは外国、特に日本人の間で「すぐれた技術を持つ国」という先入観を持たれており、チェコ政府自身の過剰ともいえるイメージ宣伝もあってこれが過大評価される傾向にあった。このため
欧州連合(EU)に加盟する直前から日本の製造業が「チェコブーム」に乗り後先を考えずにチェコだけに殺到して工場を乱立させ、その結果深刻な従業員不足の状態に陥っている。
2004年にチェコが欧州連合に加盟してから
2007年末までにチェコの平均給与は40%以上も上昇した。この地域の他国に比べて比較的高いGDPはその結果である。給与が急上昇した最も大きな原因は外資系メーカーがチェコに殺到したゆえのこの労働力不足である。このような状況で、チェコの労働者は高い給料を求めて次々と転職を繰り返し、一つの企業で長く働くことはなくなり、企業の教育もおぼつかない状態になった。「安くて良質な労働力」を期待してチェコに殺到した外資系
メーカーは深刻な人手不足と納期不達に悩み、労働者を雇うために給料をさらに急激に上昇させる競争に追い込まれている。日本の
トヨタとフランス
プジョーが共同出資して建てた工場や、ドイツの
フォルクスワーゲングループのシュコダの工場といった外資系メーカーの自動車工場も例外ではない。このような規模の大きいメーカーは、一度投資を開始して工場を建ててしまうとそう簡単に撤収することもできないので、急上昇する人件費は企業の利益を急激に圧迫することになってしまった。
国民
かつて
ズデーテン地方で多数派であったドイツ人は、第二次世界大戦後の
ドイツ人追放によりそのほとんどがドイツに追放された。又戦前に多かった
ユダヤ人のコミュニティも消滅している。
チェコでは歴史的経緯から宗教的メンタリティを持たない者が多く、60%がこのグループに属する。その他、
カトリックが27.4%、
プロテスタント1.2%、
フス派が1%である。
文化
食文化
-
詳細はチェコの食文化を参照
-
ビール--日本の飲食店でも取り扱いあり。
- クネドリーキ(クネーデル)
- グラーシュ
- ブランボラーク
- スマジェニー・ジーゼック
- スマジェニー・スィール
- スヴィチュコヴァー
-
クグロフ
- ちなみに、チェコはビールの年間消費量が世界一である(2005年統計では一人当たり161.5Lで日本の3.3倍の消費量)。
スポーツ
世界遺産
その他
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 観光
- その他
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