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ターザン山本

ターザン山本!(たーざん やまもと、1946年4月26日 - )は格闘技プロレスジャーナリスト競馬ライター山口県岩国市生まれ。本名は、山本 隆司(やまもと たかし)。当初は「山本 隆」であったが、お金の貯まらない画数であると指摘されたので「隆」から「隆司」に改名した。愛称は、ター山ターザン落武者ターちゃんたかしおじいちゃんなど。太田プロダクション所属。

略歴

編集者、ライターとして

山口県立岩国高等学校時代、バスケットボール選手として新潟国体に参加。立命館大学文学部中国文学専攻中退後、大阪難波の映画館の映写技師、営業担当を経て、1977年、「週刊ファイト」のプロレス担当記者として新大阪新聞社に入社。「週刊ファイト」の編集長だった井上義啓の影響を強く受ける。1980年にはベースボール・マガジン社(以下「BBM社」)に移籍して「週刊プロレス」編集部に入る。その後、1987年には「週刊プロレス」の編集長を、後には「格闘技通信」の編集長を歴任、筆者の思い入れを強く押し出すレポートスタイルを確立し、「活字プロレス」「密航」等の流行語を生み出す。
山本が編集長の時代、「週刊プロレス」は販売部数40万部(公称)を達成した。また、1995年、BBM社は、団体の枠を超えたプロレス興行「夢の架け橋」を東京ドームで主催しているが、山本はこのイベントの中心人物となっている。こうした山本の活躍は出版業界全体から大きな注目を集め、山本自身の回顧によれば、BBM社の次期社長も夢ではなかったという。BBM社の業務以外にも、副業としてミスターX名義による単行本を多数執筆。1985年には第一次UWFを退団した佐山聡の著書「ケーフェイ」の出版にも匿名で関わった。最盛期の年収は2000万円を超える売れっ子ぶりであった。
だが、1996年、山本率いる「週刊プロレス」は業界の盟主・新日本プロレスから取材拒否を通告されることとなった。この取材拒否の原因には諸説があり、山本本人は『業界に強大な影響力を持つようになった「週刊プロレス」とターザン山本に対する、レスラーサイドの反発・嫉妬』が原因であると公言している。しかし取材拒否を通達したサイドの永島勝司は、2008年の自著の中で『山本が(じっさいは地方の試合の取材を行っていないにも関わらず)伝聞のみで「新日は地方で手を抜く」と書き、それが原因で地方のプロモーターとの間に軋轢が生じたこと』を取材拒否の原因と明言しており、また、山本が言うような“影響力”は観客動員数に表れなかったと記している。  山本は、後に新日本プロレス宛ての署名入り謝罪文を誌面に掲載したが、取材拒否処分は解除されることはなかった。他のプロレス団体も新日本プロレスの動きに同調。山本はインディペンデント系のプロレス団体を前面に押し出すなどの新しい誌面作りを計ったが読者の支持を得ることは叶わず、週刊プロレスの発行部数は減少の一途を辿った。この件をきっかけに、山本の影響力は急速に低下。同1996年、雑誌売れ行き不振の責任を取る形で「週刊プロレス」編集長を辞任。その後、BBM社の別会社である恒文社において、大幅な減給の上でヨーロッパ文学書の編集を行うことを命ぜられたのを不服として、BBM社を退社した。
以後は、フリーのプロレス・格闘技ライター、編集者として活動していたが、格闘技・プロレス人気の傾き、ならびに「週刊ファイト」「週刊ゴング」の相次ぐ休刊によって仕事量は激減http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1163.html。こうした仕事環境の悪化に対し、2006年末、山本は「出版社や編集者を相手にしているとらちがあかない」「言いたいことをズバリ言える。まったくの規制なしなのだ」と宣言し、電子書籍の執筆に乗り出した。しかしここでも成果を上げることは叶わず、2008年には「ずばり言うと、雑誌の時代は終わったということである」と電子書籍の進出に見切りをつけ、ポッドキャストを自らの活動の主軸に据えると語った。なお、2008年9月以降、このポッドキャストも更新が滞っている。
風俗誌への寄稿などを経て、現在は競馬誌・風俗誌への寄稿、小コラム執筆、トークイベント出演、私塾の講師(後述)として活動中。格闘技・プロレスに関する仕事の穴を埋めるかのように近年、音楽、美術、映画など他分野への発言が増えているが、レッド・ツェッペリンを「赤い飛行船」と訳したり、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの代表作『ウルビーノのヴィーナス』を「ウルビーノは天才画家」と評したり、映画『猿の惑星』の有名な結末を知らないなど、知識不足を露呈している。
私自身、もうプロレスに興味がなくなった。つまらない。取材する意欲と原稿を書く気持ちにならないのだhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/7/211.htmlと、小説、劇、詩といった他分野への進出を公言している。こうした現状を表すかのように、ウェブ上で公開している日記http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/index.htmlにはもはやプロレス、出版、放送業界との交流について書かれることはほとんどなく、しかし執筆する様子もなく、その日の食事内容や私塾受講生への私信を綴る場と化している。

マルチタレントとして

2000年、浅草キッドに見込まれ、彼ら主催のお笑いライブ「浅草お兄さん会」で初舞台を踏み、その後、芸人として太田プロダクションに所属。一時期はビートたけしからもらった「ビートたかし」名義で活動した。2001年、プロレス・格闘技のライター・編集者を育成する目的で「一揆塾」を立ち上げる。2005年から「ターザン山本!」(感嘆符を後ろにつける)と名乗る。同時期、有限会社「ターザンギャルド」を設立。2006年8月、日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の企画「芸能人サファリパーク」に出演。2008年には自己啓発セミナー関係者との交流が活発化し、2008年3月に自身初のセミナー講演をこなす。

評価

週刊プロレス」編集長として絶大な影響力を誇った90年代前半までは、多くの信者とアンチを生み出し、評価は二分されていた。しかし、BBM社退職10年以上を経た現在でもなお「元週刊プロレス編集長」という肩書きを用いていることからも明らかなように、フリーに転じてからは編集者、文筆家として新たに評価の対象となる仕事を残しておらず、現在は様々なプライベートの珍騒動(「エピソード」参照)をネットコミュニティのプロレスファンに提供するだけの存在として認識、評価されている。
ライター活動においては、年を経るごとに常識的な事実の誤認や言い回しの誤用、題材の使いまわしが増え、準備不足や理論的破綻をターザン山本というキャラクターで押し切る(これを「炎上」と称する)傾向が強まっている。プロレス・格闘技の試合会場に足を運ぶことは稀であり、またインターネット環境を持たないこともあって、定期購読する「日刊スポーツ」がほぼ唯一の情報ソースとなっている。日本語として成立していない悪文も増加の一途を辿っている。
こうした原稿精度の低下に加えて、手書き原稿のPC入力を受け持っていた弟子の歌枕力のミス(「墓穴を握る」「腰を抱えて笑う」等)、各所で繰り返される格闘技・プロレス界を貶める発言、編集者に対する尊大な態度などが原因で業界から干され雑誌等の連載は途絶。恩師である井上義啓の追悼本やベースボール・マガジン社のムック「週刊プロレス回顧録」の出版に際してさえ声がかからなかった。名前を見かけるのは『生前追悼 ターザン山本!』(エンターブレイン)や、別冊宝島『プロレス「悪夢の10年」を問う』のインタビュー記事「プロレス記者生活を総括できない『ターザン山本』62歳の『性衝動』と『才能の限界』」(宝島社)といった、山本の常軌を逸した言動について書かれたものに限られつつある。こうした事情を山本も自覚しており、「この私が自分をさらけ出してプロレスをするしかない」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/7/211.htmlと現在は「28歳年下彼女との年の差カップル」を全面的に押し出した売り出し戦略を採り、2008年10月に「62歳のボクに28歳下の彼女が出来たのだ!」(古関夢香との共著)が出版された。

私塾の運営(ひとこと塾)

人材育成を謳い、2001年に私塾たる「一揆塾」を立ち上げ、その後「実践文章講座」「ひとこと塾」と名称を変えつつ今日に至っている。美術をテーマに据えた「ビジュツイッキ塾」、映画をテーマに据えた「シネマイッキ塾」が開催されることもある。

評価・実績

これらの塾は体系的なカリキュラムを持たず、山本が独自の「〜論」を語るアドリブトークショーの傾向が強い。そのため客観的な評価基準が存在せず、文章力そのものよりも山本・受講者間の現実的な力関係(恋人、スポンサー、使い走り等)が課題への評価に如実に表れる傾向がある。また、山本は会社に属さない自分を「狩猟民族」と自称し、社会通念や堅気な日常、故郷や家族に縛られる者は「農耕民族」であり「しょっぱい」として、塾生に対し、前者の生き方こそが正しい道であるとのアジテーションを強く行っている。こうした極端な人生指南を真に受けた塾生が実際に会社を辞める、無計画に上京する、山本の放蕩生活に引き込まれて破綻するといったケースが数々見られ、人材育成塾としてのありかたに疑問の声があがっている。 2007年までは「編集者&ライター志望者。マスコミ界への就職、転職を希望する者」を受講対象としていたが実績を上げることはできず2008年からは方針が突如「文章を書くことが人格形成につながる」 「自己発見になる最大の近道」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1475.html「文章の添削にプラスして人格添削もある。そこがミソだ」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1503.htmlに転換。後述する自己啓発セミナーとの胡乱な関係を連想させる。

崩壊までの経緯

上記のように文章講座としての実効性に疑問符がつくこと、格闘技・プロレスとは無関係な自己啓発セミナーの様相を呈し始めていること、講師である山本の知名度が著しく低下していることから、私塾に新規メンバーが加わることは稀であった。しかし、山本を慕う私塾ファンも固定客として存在し、喫茶店の有料会議室を貸し切って講座を開く程度の人数は長く維持していた。
しかし性的関係にある女性塾生の古関に「幹事長」の座を与えて塾生の人格添削をさせたこと、弟子の歌枕力を切り捨てたこと(「エピソード」参照)などが原因で塾生の数は激減http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1506.html。「4月から塾に新しい人を募集する。新人の大募集だ」「ただし、10人限定とする。10人が限界だ」とプレミア感をあおるも人数は集まらず、2008年10月現在は休止状態に陥っている。2006年当時の山本は体験入門の申込者を「お前、体験入門してオレのことを品定めしようとするのか?」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/715.htmlと一蹴するなど、自らの塾に高い参加資格を設定していたが、2008年3月には受講料のディスカウントを断行のうえ「体験入門を求む。でも、これがなかなかこないんだよなあ。千円。どんな自己啓発セミナーよりも安くて凄いのに」と無差別に参加を乞いhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1506.html、参加するだけで「VIP待遇」「みんな『よく来てくれたね』と拍手する」状態に至っているhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/6/104.html。また、かつて「君はさあ、ボクを車で家に送ってくれるから存在価値があるんだよなあ」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/767.htmlと酷評した塾生への態度も、参加者数名に落ち込んだビジュツイッキ塾においては「ありがとう、××君。君は“ビジュツイッキ塾”を救ってくれたメシアだ」「それに××君は我々の仲間の中では“雑学王”なのだ。こと雑学に関してはもう彼にかなう人はいない」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1509.htmlと劇的に変化。苦しい運営事情が浮き彫りとなっている。

ターザンギャルド

2005年4月に立ち上げられた有限会社。社長は山本のパトロンである山崎二三代。山本は代表取締役に就いている。元々は「ターザンギルド」と称していたが、字画が悪いという指摘を受けて「20世紀がアバンギャルドなら21世紀はターザンギャルド」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/401.htmlと現在の名前に変更された。設立目的は山本の借金の一元管理であったが、2007年5月からは有料講座事業を本格化。しかし、当初アナウンスされた様々な企画のほとんどは実行されず、「山本によるトークDVDの販売」が行われたのみであった。休止期間をおいて2008年3月には代表が「山本隆司(ターザンの本名)」に変更されhttp://www.tarzan-garde.com/about.htmlコンテンツを一新、活動を山本の私塾運営一本に絞り、かつて19800円で販売していたトークDVDを9割引きの2100円で販売している。
2008年3月20日、山崎夫妻が主催した講演会「成功法則に基づくマーケティングの実践とビジネスを成功させる会話術・文章術」http://www.yamasaki-cpa.com/seminar/index.htmlに講師として参加。しかし翌日の日記に「みんなに受け入れられるようになったら、それはオレたちにとって堕落の始まりだ」と記したりhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/7/210.html、名刺交換をした社長に営業をかけて無視される等http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1526.html、「ビジネスを成功させる会話術」とは相反する結果を残した。

エピソード

試合を見ずに批判
週刊プロレス」編集長時代は「現場主義」を標榜していたが、ここ数年は会場に足を運ぶことなく一方的な断罪を下すパターンが恒常化している。その主張も一貫せず、数日後には正反対の論陣を張ることすらある。
2006年12月31日、京セラドーム大阪で開催された「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」興行における秋山成勲 vs 桜庭和志戦(通称「ヌルヌル事件」)について、悪罵を浴びせる猛批判を展開。怒りの矛先は次第にマスコミに向かい、ついには「桜庭vs秋山戦でわかった格闘技界の惨状 マスコミの犯罪行為」(ターザン山本&一揆塾名義)と題した電子書籍をまとめるにまで到ったが、この時点で本人は実際の試合を全く見ておらず、もっぱら「日刊スポーツ」の記事と出所が定かでない噂や伝聞に基づいているだけであったため、著しく説得力を欠いた。また攻撃の矛先を向けられたマスコミも取材期間を置いて月刊誌等でこの試合の検証特集を組んだため、論拠の薄い山本の稿は忽ち陳腐化した。
2007年11月11日、両国国技館で行われた新日本プロレスの興行でIWGPヘビー級選手権戦として棚橋弘至 vs 後藤洋央紀が行われ、プロレス大賞ベストバウト候補にも挙げられ、低迷する新日本プロレスに復活の兆しが見られたと高い評価を受けた。しかし山本はスポーツ新聞で試合結果だけをみて、フィニッシュ技がテキサスクローバーホールドだったことを痛烈に批判し、両選手に対し「将来を断たれた」「頭がおかしい」「プロレスわかってない」「想像的貧困丸出し」「アホ」と酷評http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/4/522.html。当日会場に詰め掛けたファン・マスコミとの著しい乖離を露にした。
2008年4月13日、横浜アリーナで開催されたK-1ワールドGPにおいても、試合会場で居眠りと馬券チェックに没頭していたにも関わらずhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1545.html、「私だったら、こんな無神経でデリカシーに欠けるカードは組まない。極論すると、ビジネスを考えていない」「まったく、『K-1』は何を考えているのかと言いたくなってくる」と、興行を一刀両断にしている。
カクカク詐欺
「ネタは山ほどある。書きたいことはいくらでもある。ただ、それを私はやっていないだけ」「才能は有り余るほど持っている」と常々語り、小説執筆を公約している。ウェブ日記で「明日から小説を書く」と決意表明することが誕生日や新年、季節の変わり目、月替わり初日の恒例となっているがhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1192.html、一向に執筆に着手する様子はなく、周囲から「カクカク詐欺」と揶揄されるまでに至っている。同業者に「書かないのではなく書けないだけなのではないか?」とこの件を厳しく追求された際にはhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1522.html、「あれだけボロカスに言われたらさすがの私も考える」と反省の意を表したが、わずか3行後には「まあ、考えても仕方がない」という結論に至っているhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1523.html。原稿を書かない理由を山本本人は「時間がないから」と語っているが、小説執筆を再三勧めている吉田豪からは「あなた時間しかないですよ」という的確な指摘が入っている。また、尾崎魔弓の熱狂的なファンとしても知られる堺屋太一からもかつて、お金持ちならぬ「時間持ち」と呼ばれたことがある。
お布施人生をまっしぐら
仕事数の激減ならびに競馬へののめり込みにより、山本の経済状況は困窮を極めている。ついにはweb日記上で「これからのオレは「お布施人生」をまっしぐらだ」と宣言http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1174.html。私塾の受講者を名指しして切手、高級石鹸、銭湯の入浴券、原稿用紙、映画チケット、美術展チケット、ボディソープ、シャンプーの供出を指示した。なお、受講者が供出した切手を換金したと思しき描写(4月12日に届いた60枚の切手http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1176.htmlがその翌日にはほぼなくなっている http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1177.html)がある。トークショーではもらったパソコンを秋葉原で換金したと自ら語っている。
2008年4月、古関夢香にサイパン旅行をねだられた際にも、競馬での一攫千金を狙って失敗http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1538.htmlしたのちに、私塾の受講者へ「彼女とのサイパン旅行のカンパをしてくれない。ついでに君の親父さんにもカンパを頼んでよ」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1541.htmlとのメッセージを送った。また、実姉が「母親の七回忌に顔を出してほしい」と申し入れた際には、古関の同伴チケット代を要求し、実妹が帰郷の確認電話を入れてきた際にも、古関の宿泊費の負担までをも要求するメッセージを送った。他にも長野への出張時、古関の電車代を同行者の吉田豪に借りるなど、この種の話題にはこと欠かない。
格闘二人祭〜逃走としょっぱいギャラ交渉〜
『格闘二人祭』と題したトークイベントを吉田豪と共に開催している(不定期開催)。しかし山本は前述の通りプロレス・格闘技に対する興味をすでに失っているため、リアルタイムで活動しているライター・ファンの話題についていくことができず、このイベントに対応できなくなりつつある。2006年2月の二人祭においては、司会者(吉田)とゲスト(金澤克彦)に的外れな質問をぶつけて2人に無視され、これに腹を立ててイベントの途中で退席http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/742.html。また、2008年7月の同イベントにおいても、かつての部下須山浩継が「今回のイベントにおける山本さんの存在感の無さはどうしたことか」「ほとんど置物状態」と驚きのコメントを漏らすほど精彩を欠いており、「終電がなくなるので」と途中退席した。
山本がこのような状態であるため、二人祭の実務運営は実質的に吉田1人で行われている。しかし山本は自分の取り分を削って折半以上のギャラを支払っている吉田に対し不満を述べたものの、呆れた吉田が「じゃあ、次回からは『吉田豪とGK金澤の格闘2人祭』にするということで」と切り返したところ完全にスネてしまい、ウェブ日記上で吉田に対する恨み言を重ねた。
稲取温泉しょっぱい葡萄事件
2007年1月に稲取温泉観光協会事務局長の募集に応募するも、書類選考で落選。ところが山本は、稲取温泉はおろか観光業や温泉にまったく無知・無縁であるにも関わらず「普通に考えたらボクは受かる」と断じ、公募を「八百長」と糾弾したhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1104.html。最後に「やっぱりしょっぱいものにかかわったら時間のムダでした」と捨て台詞を吐くものの未練は断ちがたく、数日後には協会事務局に対して抗議文を速達で送りつけている。なお、山本が提出した活性化計画は、伊豆の温泉をまとめて「温泉博」を開催し、混浴タワー、混浴ハウスを作るという、予算を考慮しない、実現の見込みの薄いものであったhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1108.html
狂乱の4日間
2007年3月29日、山本は私塾受講生達と花見に興じた。しかしその後、一部の受講生が連れ立ってキャバクラに出かけたことを知り、「自分は誘われなかった」と激怒。自慰で怒りを発散し、翌早朝、各人にポストカードの抗議文を投函、とりわけ首謀者と目した者には便箋8枚に綴った抗議文を送りつけhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1162.html、これらの顛末を記した日記に『精子悲哀』なる題名を冠した。翌日http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1163.htmlも月の生活費が15万円であることを告白する『自他放火』なる日記を、続く3月31日http://www.ibjcafe.com/talk/tarzan/b/2007/20070401115603.htm、4月1日http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1165.htmlには全生活費を競馬に突っ込みそのほとんどを失った顛末をアップし、『精子同盟』なる題名を冠した。
猪木に土下座
2007年4月下旬に行われたアントニオ猪木をマスコミが囲む会において、山本は「猪木さんが来てくれればボクの顔が立ちます」と土下座し、週末に行われる自分の誕生パーティーへの来場を懇願した。このことは金澤克彦によって暴露されたが(猪木側の返答は、「検討します」とのこと)、当日の山本の日記http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1185.htmlでは一切触れられていない。
当日、中京地区で営業活動中の猪木は誕生パーティーには来場せず、花束だけが届いたhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1192.html。予め誕生日の参加者に「花束だけはNGさせてもらう」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1187.htmlと宣言していただけになんとも気まずい贈り物となったが、山本は日記には「ありがとう、猪木さん」と記している。こうした事情との因果関係は不明ではあるが、土下座直後の4月23日から突如として始まった「猪木さんについて」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/4/481.htmlなる猪木礼賛の連載は27日http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/4/484.htmlで途切れ、その呼称も29日には「A・猪木」と呼び捨てに転じているhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1193.html
金澤克彦に絶縁状
2007年9月、新雑誌「Gリング」創刊号における自分の扱いに激怒し、金澤克彦および「Gリング」に対し絶縁宣言http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1322.html。一ライターにすぎない自分よりも同誌総括プロデューサーたる金澤の方が目立っていることが許せない、というのが理由であった。仕事激減の中、本当に絶縁する勇気があるのか注目されたが、特に断りもなく2号以降も登場している。
不幸を呼ぶ恋人弁当
2008年1月30日、恋愛関係にある女性塾生の古関が派遣されている金融機関に、自らチョイスしたオリジン弁当を届けた山本は当初、「恋人弁当」「みんなやったら? 彼女は喜ぶよ」と得意満面であったhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1471.html。しかし、古関が派遣先の責任者から厳重注意を受け、立場的に追い詰められたことを聞かされ、山本は大炎上。責任者に事の次第を報告した(山本曰く「告げ口をした」)受付の女性に対して「一部上場の会社なのに、50代のおばさんだよ、おばさん。普通、受付嬢は若い女性だろう。何を考えているんだ、あの会社。アホかだ。受付が太ったおばさんだったら、こっちの景気まで悪くなってくる。最悪だ」と、自分の年齢(61歳)は棚に上げて毒づいたのを皮切りに、「おばさんの実人生には何もいいことがないんだろう」「夫にも誰にも愛されていない」「お前なんか死ね、死ね、死ね、死んでしまえだあくそババあ」と、罵倒の限りをweb日記にぶちまけたhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1472.html。。なお、この“弁当テロ”が原因であるのかその後の日記の内容が不適切であったせいかは定かではないが、古関は銀行側から次期契約を延長しない旨を通告されたhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1480.html。同日のweb日記に山本は「起こったことは仕方がない。ただ、起こったことをどう解釈するかは絶対的自由なのだ」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/7/203.htmlとのコメントを寄せている。
歌枕力との決別〜私塾崩壊の序曲
2008年1月、8年間連れ添った弟子・マネジャーの歌枕力と決別したhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1467.html。古関との交際にのめり込んだ山本が日記原稿の納品を遅延、PC入力係の歌枕に負担を強いていたこと、またターザンギャルドからの給金について見解の相違があったことなどが原因となった喧嘩別れだった。当初、山本は「歌さんといい形で?別れる?ことになった」と円満な別れをアピ−ルしていたがhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1467.html、後日、塾生が歌枕の送別会を企画するとこれに激怒。「いい別れなんてない」「いい別れを演出しようとする人がいたら、余計なことはするなである。ほっとけ。お前には関係ない。それでもしつこく言うなら、お前とも縁を切る。オレのルールに踏み込んでくるヤツは、オレはかまわずぶった切る。間違いなく」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/7/198.htmlと、「いい別れ」ではなかったことを図らずも自ら吐露した。送別会を企画した塾生はこの事件を機に山本から距離を置き、この後に続く塾生大量離脱の端緒を開いた。
塾生と性的関係に〜私塾の完全崩壊
私塾の女性塾生である古関と恋愛関係に陥り、彼女を特別扱いしたことがきっかけで「このところまったく。ポストカードや手紙がこなくなり」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1465.html、塾生の離脱に歯止めがかからない状態にある。
なお、古関は参加費数十万円の高額自己啓発セミナーの信奉者であり、彼女を山本に紹介したターザンギャルド社長夫妻もまた「この1年間でその費用なんと1000万円!」を自己啓発セミナーに注ぎ込んでいるhttp://plaza.rakuten.co.jp/kurisutarushufu/。このことが関係しているのか、文章講座だったはずの私塾が「人格添削」の場となる、自宅の売却話を頻繁に持ち出すなど、事態は急転している。
プレスパスを使って「彼女自慢」
2008年3月15日、DREAM旗揚げ興業をプレスパスを申請して塾生たちと記者席から観戦。しかし当初から取材目的ではなく「彼女を友達に紹介するつもり」であり、恋愛関係にある古関を引き連れてインタビュールームに押しかけ、谷川貞治をはじめとする関係者に手当たり次第、「彼女自慢」を行い、その様子を日記としてアップしたhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1516.html。なお、紹介の言葉は「おい、谷川! 彼女、34歳!」であった。
2008年4月5日にも、「行って夢香ちゃんをみんなにみせびらかせよう」と、全日本プロレス後楽園ホール興行に出向き、取材の名目で申請したパスでともに入場。しかし、わずか2試合を見ただけで会場を後にしている。この一連の行動は、井上譲二(元「ファイト」紙編集長)らプロレス・マスコミ関係者の顰蹙を買う一方で、DREAM公式BBSにおいても一般の格闘技ファンから「タダ見をした奴らがいる」「ちゃんと料金を出した客を舐めています」との批判を浴びた。
ラジオ番組で性生活を吐露
2008年3月27日、「テリー伊藤のってけラジオ」に古関と共に出演。彼女の家族が番組を聞いているにも関わらず、新小岩のラブホテルで性的関係を結んだことなどを赤裸々に告白した。性生活の吐露に関して山本は「愛し合っていたら自然なことだし何も隠す事などまったくない。この件については私は外国人のスタイルをとる」と語っているhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1529.html
インタビュー革命
2008年4月、『プロレス「悪夢の10年」を問う』(宝島社)に「プロレス記者生活を総括できない『ターザン山本』62歳の『性衝動』と『才能の限界』」と題するインタビュー記事が掲載された。3月の取材時、インタビュアーは山本のカクカク詐欺、言動の矛盾、私塾の生徒に手をつけたことを追求し「ターザン山本のどうでもいい恥は(日記に)書けても、山本隆司の恥は晒せない」と断ずるなど、山本の予想を遙かに超えた“シュート”な取材を挑んだ。恋人同伴で取材場所に現れて“プロレス”をする心づもりであった山本は激しく動揺。当日の日記には辛うじて「まあ、なんとか私は彼の追及をかわした。のらりくらりの戦法」と記したもののhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1522.html、翌日は日記を半休して床に伏せることとなったhttp://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1523.html
しかし、本が上梓されインタビュアーのシュートな取材姿勢が評価されると、「私はそれに対して逃げることなく堂々と受けて立った」「どうだ、見たことかである」「インタビューに革命を起こしたのと同じである」とあたかも自らの著作であり自らの手柄であるかのように態度を一変http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/4/544.html。さらに山本はこの好評に便乗しようと自ら"インタビュー記事への反論文"を執筆。しかし反論文は「Gリング」編集長金澤克彦から掲載を断られ、『ケーフェイ 4―プロレス&格闘技「タブー」伝説』(インフォレスト株式会社)に収録されるに留まり、くだんのインタビュー記事のような話題を呼ぶことはなかった。
最後の砦を全否定
2008年7月5日、「古関の学歴詐称疑惑」をインターネット掲示板ならびにメール経由で指摘された山本は、「だから私はネットをみないのだ。面倒臭いというかバカバカしいというか、すべてがくだらないのだ」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/1/731.html「ネットってヒマな人たちの集まりだよ」「まずそういうヤツはモテないよ。モテようがないだろう」「共同トイレの住人」http://www.ibjcafe.com/talk/content/tarzan/column/2/1630.htmlとインターネットユーザに対する批判を展開した。こうした批判自体は特に目新しいものではないが、その活動のほとんどすべてをインターネットに依存している人間の言葉としては明らかな矛盾をはらんでおり、「ならばそのようなくだらない場所、共同トイレの住人相手の仕事からは勇退すれば宜しい」といった指摘がウェブ日記運営会社へと大量に寄せられるという自滅的結果を招いた。

主な著書

  • ザッツ・レスラー 山本隆司・著(1988年8月、ベースボール・マガジン社)
  • ザッツ・レスラー part2 山本隆司・著(1992年2月、ベースボール・マガジン社)
  • 命懸けの論理 新日本人論 堀辺正史、ターザン山本・著(1993年11月、ベースボール・マガジン社)
  • 穴馬券一本勝負 年間2000レースに賭けるオレの格闘馬券術(1994年3月、ポケットブック社)
  • アントニオ猪木vsターザン山本 命懸けの対談(1994年4月、紙のプロレス特別編集委員会)
  • ザッツ・レスラー part3(1994年5月、ベースボール・マガジン社)
  • グレイシー柔術の秘密 堀辺正史、ターザン山本・著(1994年11月、ベースボール・マガジン社)
  • 猪木はどっちだ!! 北斗晶、ターザン山本・著(1994年11月、ベースボール・マガジン社)
  • アルティメットの方舟 アルティメットという名の方舟に乗った46人の密航者たち(1994年12月、宝島社)
  • プロレス式最強の経営 「好き」と「気迫」が組織を変える(1995年11月、日本経済新聞社)
  • シネマ&プロレス ボクは映写技師だった(1996年5月、ベースボール・マガジン社)
  • 格闘技の読み方 バーリ・トゥード、K-1…最強神話の真実に迫る(1996年9月、ポケットブック社)
  • 往生際。(1996年9月、ぶんか社)
  • UWFという名の幻想への鎮魂歌(1997年1月、飯倉書房)
  • ターザン山本の俺は天下の馬券下手!!(1998年1月、自由国民社)
  • 弾圧 近親憎悪の長州戦争(1998年7月、双葉社)
  • ターザン山本の「天国と地獄」(1999年4月、芸文社)
  • G・馬場二つの心 山本隆司・著(1999年4月、同文書院)
  • 暴露 UWF15年目の予言(1999年8月、世界文化社)
  • プロレス雑誌大戦争! 『週刊ゴング』vs『週刊プロレス』激闘の30年史 竹内宏介、山本隆司・著(1999年12月、芸文社)
  • ターザン山本のマイナーパワー宣言 熱き魂のメッセージ!!(2000年4月、インターメディア)
  • ターザン山本怨念のプロレス 山本隆司、乃木武・著(2000年4月、芳賀書店)
  • 野垂れ死に人間図鑑 山本隆司・著(2000年6月、同朋社)
  • プロレス2001年を読む(日本スポーツ出版社、2000年7月)
  • プロレスがわかるのはオレだけだ レスラーたちの20世紀(2001年2月、ベストセラーズ)
  • プロレスLOVE論 浅草キッド、ターザン山本・著(2001年2月、東邦出版)
  • ターザン山本豪速球 時速160キロの豪腕日記(2001年8月、芳賀書店)
  • プロレスのあばき方(2001年7月、エンターブレイン)
  • プロレスvs格闘技カリスマ大戦争(2002年2月、ベストセラーズ)<文庫>
  • プロレスファンよ感情武装せよ! ミスター高橋に誰も言わないなら俺が言う!(2002年4月、新紀元社)
  • 30 since 1972〜2002 新日本プロレス30周年「非公式ガイド」(2002年5月、宝島社)
  • 往生際日記 一揆塾の夏編(2002年8月、新紀元社)
  • プロレス社長の馬鹿力 十人十色のインディー経営哲学(2002年9月、エンターブレイン)
  • Oh! CIMA CIMA・著 ターザン山本・監修(2002年11月、新紀元社)
  • プロレス元気ですか! プロレスファンよ感情武装せよ! パート2(2002年11月、新紀元社)
  • 往生際日記2 昭和プロレス望郷の旅編(2002年11月、新紀元社)
  • UはオレだUはお前だ!(2002年12月、新紀元社)
  • ここが変だよミスター高橋!(2003年1月、新紀元社)
  • 往生際日記3(2003年2月、新紀元社)
  • 往生際日記4 ボヘミアン・ラプソディー(2003年4月、新紀元社)
  • ど真ん中の結末 ターザン山本の「WJ」試合リポート(2003年5月、新紀元社)
  • 往生際日記5 クレイジー・サマー(2003年6月、新紀元社)
  • 格闘技心中 ターザン山本、テリー伊藤・著(2003年6月、徳間書店)
  • ザッツ・レスラーリターンズ ターザン山本・著 歌枕力、新紀元社編集部・編(2003年9月、新紀元社)
  • 往生際日記6 キャバクラ・ウォーズ(2003年10月、新紀元社)
  • 往生際日記7 レクターズ・ハイ(2003年12月、新紀元社)
  • 『泣き虫』に捧げる永久戦犯 ターザン山本・著 歌枕力、新紀元社編集部・編(2004年1月、新紀元社)
  • 往生際日記8 ボンジュール・パリ!(2004年3月、新紀元社)
  • 元気が出るアジ語! agitation words しょっぱい人生に用はない(2004年5月、新紀元社)
  • 音楽と意図 ヒットチャート考現学!(2005年2月、インフォバーン)
  • 「週刊ゴング、ファイト」を殺したのは誰だ!(2007年9月、東邦出版)
  • ターザン山本!の活字プロレス血風録!!(2007年9月、三才ブックス:ムック)
  • 遺言(2008年10月、ダイヤモンド社)
  • 62歳のボクに28歳年下の彼女ができたのだ!(2008年10月、ロコモーション・パブリッシング)

関連項目

外部リンク

脚注

やまもとたかし たあさんやまもと たあさんやまもと たあさんやまもと たあさんやまもと たあさんやまもと たあさんやまもと たあさんやまもと

出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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